雪姫鳥の独り語

雪姫鳥の山暮らし、日常に感じる事。
雪姫鳥のニットの紹介、旅した国の回想。
食べ物や子育て、雪姫鳥のエコライフ。

梅酵素で元気

2020-08-19 07:52:35 | 思い感じる事
昨日の報道で、一昨日の近畿地方最高気温39.4度、
それも十津川村で、何だか可笑しい。
涼を求めて来る人が多い場所なのに、、、、と思うが、
観測地点の場所だから、都会のビル街、十津川村でも、
40度は超えているだろう、一昨年は41度の表示を見たことあります。
コロナ感染者同様、最高気温も単なる計測に過ぎない。

今年は梅酵素を欲して、毎日のように飲んでいる。
三年前かな、家の梅がポタポタ落ちて、勿体無いので瓶に入れ、
酵素を作り、暑い時に飲んだら、美味しい。
少量にてんさい糖を入れ、炭酸水で飲むとビール感覚、
水で割っても良く、身体に効く感じがします。
暑いと飲みたくなるので、私の体内センサーは正常かと。

右の色の濃いのは二年前で、去年はあまり出番が無かったように思う。
昨年仕込んだのは、青カビが発生し、ダメになってしまい、
色の薄いのは、今年で梅の熟しが足りなかったと思います。
白カビはこす時に取り除けるので、問題ない。
酵素はぬか床に入れても、発酵が良いので、毎年作ります。


今朝はケープ編を撮影、やっぱり白がよいかな?
今日は最高気温34.4度の予報、何だか涼しく感じるし、
土曜からずっと雨マーク、最高気温も30度以下で、
いきなり10度も下がる予報、、、、、
いったいどうなっているのか?
それでも夏のオリンピックに税金使うのか?
コロナより、熱中症の死者数を発表すればと思う。



ニット・イノベーション

2020-08-18 08:12:32 | ニット
早朝は5時頃から空が明るくなり、
太陽の昇る7時頃までが、涼しく極上の時間です。

旅をしていたから、写真は多く撮っていると思うが、
アングルだけは興味あっても、カメラは全くの素人感覚。
どの機種が良いとか、光の調整とか、、、、
デジカメになってから、大きさとか、、、難しくて解ろうとしない。

インスタは画像が勝負のようだけど、とりあえず正方形にして、
雰囲気が伝われば良いかな、私の感性が磁力になれば良い。


左はこれまでのニットファー、右は技法は同じでもファーが少ない。
ビーバーを使用しなくても、他の素材でも可能な編み地。
ビーバーは手撚りするので、強い撚りで広い間隔が可能になる。
機械のスレッド編みに見えるけど、
織りのように、手作業で直線的に入れる編みと織りのコラボ、
手間がかかるけど、ビーバーのような値の高い糸でも、
少なく全体に使えるので、毛皮の良さを極小で体感できる。

値段は10万を超えるけれど、対価とすれば超安い。
持続可能なニットで、一生モノ、コンパクトに収納できるから、
旅先での温度変化にも重宝できるし、
風を通さない上着を着れば、冬でも厚着の必要はないです。

肌さわりは皮膚感覚で、第二のスキンのようです。
角度や光で色が変化するので、編み地はクリスタルと付けてます。

帽子のオリジナルパターンとケープショールもある。
ケープは手編みと機械と両方あり、パターンがオリジナル。
スイッチ入れて、事務仕事を楽しもう。

新しいステージへ

2020-08-17 07:52:13 | 思い感じる事
早朝は高原の清々しさで、一日の始まりは初秋の雰囲気。
日中の暑さにも慣れ、夕方の草引きしなければ、
眠くならなので、夜の手仕事も出来ます。

お盆までには終わらなかった製作も、今朝は仕上がり、
今週は撮影やインスタアップ、アイテムの分類、出張準備があり、
少し苦手な事務仕事だけれど、自分を売り出す最初なので、
新しいステージを楽しめれば、コトが運ぶように思う。

新型コロナ感染も、5類に分類を、、、と言う意見を聞いた。
指定感染症の2類に分類されているので、隔離が必要のようだけど、
現実には、自宅待機だったり、調整中だったりして、
保健所の仕事が増大しているので、5類にすれば発生動向の調査で、
入院措置は要らないようです。

国会を開かないと、決められないので、高額給料泥棒のような国会議員。
半沢直樹や龍の道のドラマを観ると、利権や出世の為に働く人ばかりで、
現実もそうだろうなと、納得してしまいます。

コロナも変化しているし、国民の意識も変化していると思うし、
決断力の乏しい政府は、国民の生活など知る余地も無いだろうけど、
働き方改革の良いチャンスだし、コロナ感染対策も、
新しいステージに入って欲しいと思う。

送り盆

2020-08-16 08:24:42 | 思い感じる事
今年のお盆は、幼少期を思い出す。
命に関わる暑さと、報道されていますが、
送り盆は、昼下がりにお寺に行った記憶があります。

ナスに棒を刺して、ご先祖様を乗せて送る。
精霊馬と知り、割り箸を刺すようですが、
記憶では、何かの植物の茎を乾燥したモノだったように思うが、、、、
調べると、皮を剥いだ麻の茎、おがら、、、名前の記憶がありました。

小豆ときな粉のおはぎも作り、お供えには団子のように小さかった。
お皿には里芋の葉を使い、朝夕のお膳を供えて、
送り盆は行事を終えて、やれやれと言う雰囲気があったように思う。
その当時は、暑くても30度を超える日は少なく、
お寺までも200mほどの距離だし、外遊びが日常でしたね。

中学2年の時に祖父が亡くなるまでは、暦の行事はほぼしていたと思う。
祖父の記憶は、あまり良いモノでは無く、
私のPTSDの起因は、祖父が最初でした。

私は育った環境から、ようやく解放され、
受け継いだ手先の器用さと、百姓由来のモノ作り、
過去を知るコトで、今があり、ツレとの縁や息子に繋がってる。

ようやくニット作家として、自己分析が出来たので、
生い立ちを再考しながら、過去に感謝と家族の醜さも含め、
恥と思わず、歴史として受け止めたいと思う。

コロナ禍で、より深く思考する時間が持て、
穏やかなお盆を過ごせたコトに感謝です。

菊花せんこう

2020-08-15 08:03:44 | 山暮らし
うちわ同様、夏の風物詩の蚊取り線香。
我が家では、30年来使っている菊花せんこう。


色も緑色でなく、褐色で天然成分を使用した体にやさしい防虫線香です。
蚊取りで無く、蚊除けで着色料も入って無く、香りもやさしい。
6時間は持ちますが、夜しか使わないので、2日〜3日持ちます。
鉛筆のキャップでふたをすると、消えるので無駄がない。

育った家が茅葺で、関東大震災で斜めになり、
ピタッと閉まらない家で、夏には虫やハエ、蚊も多く、
虫は慣れているのか、平気です。

ここに住み出した頃は、空き家だった事もあり、蚊帳を使ってましたが、
周囲を綺麗にすると、蚊も減って、いつの間にか蚊帳も用済みに。

亡き母は蚊取りマットを使用していて、自然のモノには興味なかったけれど、
戦前に生まれ、戦後の新しいモノを使うコトが、
時代から遅れないというか、それが昭和だったのかと思う。


うちわ

2020-08-14 07:40:47 | 山暮らし
山の中でも、陽射しの強さは半端なく、
刺すように感じるし、風が吹くと熱風になる。
太陽が7時には山から顔を出し、4時頃には西の山に沈みます。

今年もうちわが活躍しています。


母の看病をしていた頃だから、25年前位にツレが購入した。
竹と和紙で出来ているので、見た目も良い。
数千円したので、高いと思ったが、未だに夏は重宝しています。
息子にも小さいのを買っていたが、使っているだろうか?
小さめだけれど、大きいのより高かった記憶があります。

今では使い捨てのような景品だったり、
うちわも形だけで、涼をうちわで求める人は少ないと思うが、
電気を使わないので、停電しても大丈夫です。

関東平野は豪雷雨が頻繁に起こり、停電もあるようで、
うちわ文化が復活すればと思うが、職人さんはいるのかな?

御主人様やお客様を、妻がうちわであおぐシーンを、
時々、映画やドラマで見るけれど、昔の女性は凄いと思います。
家事のプロフェッショナルで、子育てもきちんとしていた。

男尊女卑とか言われ、家事をする男性も増えたけれど、
男女問わず、料理や裁縫の出来ないのは、どうかと思う。

私は、桐島洋子さんに憧れたこともあり、
聡明な女性は料理が上手い、、、、を目指しました。

今日も暑そうで、うちわが活躍しそうです。





息苦しい日本

2020-08-13 08:32:38 | 山暮らし
昨日は月一の買い出し、ツレと新宮市まで行って来た。
十津川村でも、役場や道の駅はここより標高が低く、
何処へ行くにも、山を降りる感覚です。

海風の吹く、新宮市街は暑くても都会ほどではないと思うが、
それでも熱風が吹き、新宮で車の冷房を効かせたのは初めてかも。

人も車も少ないけど、マスクして自転車乗っている人もいて、
何だか、息苦しさを感じ、出張は曇り日を選んでいこうと思う。

スーパーに入る時は、マスクをするし、中はクーラー聞いてますが、
それでも汗をかき、息苦しいし、街の生活は大変です。

帰ると天然クーラーの中に入ったようで、
空には、面白い雲が浮かんでいた。

電気無しでは生きていけなくなった、人の生活。
食べ物も輸入が無ければ成り立たない、
政策転換は今の政権に期待は出来ない、
気づいた人が行動し、世論を起こすしかないだろう。

今日は迎え盆、子供の頃の風景を思い出す。
盆棚作って、ほおずきや供え物を飾って、提灯持ってお寺へいき、
帰りは灯りをともして、ご先祖さんをおぶって帰り、
玄関ではなく、縁側からご先祖さんに上がってもらう。

50年で日本は風景も、人も、気象も、、、、、
何もかもが変わってしまった、これが戦後に望んだ日本なのだろうか?
歴史から学ばず、物欲と消費に導いた戦後の政治、
コロナ禍は生きるとは何だろうと、考えるきっかけになれば良いと思う。


蛇は後ろに下がる

2020-08-12 08:00:49 | 山暮らし
山奥で暮らして四半世紀が過ぎ、何かと驚くコトが減りましたが、
今年は蛇との遭遇が多く、昔ならビクビクしていたと思うと笑う。

我が家、と言っても古い貸家だけれど広い。
街の月極駐車場代よりも、安い値段で借りています。

トイレは、昔ながらのポットン式ですが、
汲み取りではなく、浸透式で広い座敷トイレです。
小さな野ネズミが多く、ネズミ捕りを置いて、
今年の春は3匹捕まりました。

そのネズミ捕りの入り口に、大きなクモが止まり放置して居たら、
一昨日の午後、蛇が頭を入れて動けなくなって居ました。
ギョッとしたけれど、静止したままだし、まあ後で考えようと、、、、

すると、ネズミ捕りごと、動いているので生存を確認、
餓死するまで待って、それから片付ければ良いと思っていたら、
昨日の朝方見ると、入ってきた隙間に尻尾から出ようとしています。
かなりクネクネさせて、後ろに下がって行ったようです。
驚くのと、生命力の逞しさに感動し、つい頑張れと声をかけました。


その後、蛇は自力で脱出して行きました。
必死だったのでしょうね、見事です。

自然や動物と向き合うと、人と接触しなくても飽きるコトはありません。
ツレが一軒家で、犬と暮らせる気持ちも理解できます。
若い時に多くの人に出会っているし、多くの世界を見ているので、
日々変化する野菜達や、小動物、虫、、、、全てが生活に直結するので、
ボヤボヤしてはいられませんし、学びも多いです。

毎夜、鹿がウロウロしているし、先日はイノシシをご近所さんが捕獲したよう。
人のエゴが主になった都会では、コロナウイルス に逆襲され、
緑が減り、砂漠化した平野では、インド並に気温が上昇している。

令和は思考する時代、これからの人生、残りの人生、
お上の言うことは信用できないし、自分で行動する人が増えると思う。
和を以て貴しとなす、、、、小さなコミュニティが増え、
真の地方自治の時代になるといいな。

この世界の片隅に

2020-08-11 08:17:06 | 映画、ドラマ、役者
この時期になると、戦争モノの映画やドラマが多い。
先日、NHKで放映された「この世界の片隅に」が、
GAYOでも配信中で、気になった台詞を再度確認できました。

アニメーションで、主人公のすずさんの胸の内を、
独り言のように話します。

私も日常は誰とも話さないコトが多く、思考の確認も兼ね、
ブログしたり、FBする以外は自問自答のような毎日です。

すずさんは18歳で見初められ、広島から呉に嫁に行きます。
戦時中は、人の死という非日常が次第に日常になっていきます。
お義母さんが、大ゴトだと思っていた頃が懐かしい、、、と言う。
すずさんは、ぼーっとしている間にこうなったと。

コロナ禍もダイヤモンドピリンセス号のクラスターや、
東京オリンピック2020が、何だか遠い昔のように感じます。
志村けんさんや岡江久美子さんが亡くなったコトや、コロナ恐怖も
感染者の増大で、緊急事態宣言は何だったのかと思うこの頃です。
コロナ禍の報道は相変わらずでも、政治が動いてない、と言うより、
内戦状態で、ゾンビのように見える政治家もいます。
緊張感は感じないし、コロナ禍がバーチャル世界のようです。

過ぎしコト、選ばなかった道、覚めて終わった夢と同じ、、、深いですね。
十津川へ来れなかった母が、夢で見たので行ったのと同じ、、、
何だか、通じる言葉と思いました。

世界の片隅にいたすずさんは、夫に見つけてもらってありがとうと言い、
この場を受け入れて生きていこうと、決心します。

十津川を出るコトばかり考えていたけど、預金も減り、
積極的移住ではなく、消極的移住、流れに任せようと思い始めたら、
営業法も諸々アイデアが浮かび、コロナ禍も悪く無いし、
政治の膿が出れば、日本の未来にもプラスかと思う。

この山奥の片隅に、世界に通じる編み物があるコト、
見つける人が増えるといいなと思う。

八月の狂詩曲

2020-08-09 08:06:55 | 映画、ドラマ、役者
今日は75年前に長崎に原爆が投下された日です。

先日、NHKBSで八月の狂詩曲を観ました。
以前も観たように思うが、意識してなかったように思います。

長崎で被爆された祖母の家に、孫達が集い原爆の話を聞く。
祖母の兄がハワイで存命していると分かり、
成功者になっている叔父の家に、母の代わりに息子と娘が行くが、
父親が長崎の原爆で亡くなったことは、告げません。

孫達の手紙でその事を知った、リチャードギアの演じる息子が、
長崎を訪れ、孫達との交流を描いた映画です。

長崎平和公園内にある、平和の泉の石碑が映画でも登場します。

のどが乾いてたまりませんでした
水にはあぶらのようなものが
一面に浮いていました
どうしても水が欲しくて
とうとうあぶらの浮いたまま飲みました
―あの日のある少女の手記から

私も40年前に九州を旅して、長崎を訪れたとき、
この言葉が深く記憶に残っています。
コロナ禍で、何もかもバイ菌のように殺菌していますが、
あの暑い夏、汚い水でも飲んで命を繋いだ事を忘れないで欲しい。

戦争に対しても、世代間での意識の違いを映画は描いてます。
孫達は事実を伝えたけれど、親達はアメリカ人に嫌な思いをさせると、、、、

長崎に来た、従兄弟のアメリカ人は、素直に原爆の事を謝ります。

戦争も、原爆投下も、人それぞれの思いはあると思いますが、
自分自身で、深く考えるが、コロナ禍にも繋がると思います。