10月14日
母が生きていたら91歳のお誕生日
夜 たまぁに 思い出して 淋しさを感じる時があります
永遠の命はないのだから、いずれ 順序を経て 私も
それまで は
見守っていてね
10月14日
母が生きていたら91歳のお誕生日
夜 たまぁに 思い出して 淋しさを感じる時があります
永遠の命はないのだから、いずれ 順序を経て 私も
それまで は
見守っていてね
6月16日
資格保持者でしたが、他人様の介護ヘルパーはほとんどしたことがなく、その予定も全くなかったのですが…
人手不足なんでしょうかね
お断りしたいのはやまやまでしたが、それが出来ずに 今日から訪問ヘルパーデビューとなりました
不安で返事をしてしまったことを何度 後悔したことでしょうか‼️
ピンポーン
上品でニコニコ 綺麗な方で私の不安も受け止めて お互いに「これから よろしくお願いします」ということになりました。
勉強させていただきにあがります
7月29日
昨年の4月の雨上がり 突然転んで 大腿骨骨折した母の妹 叔母です
長い入院から病院でのリハビリ生活でびっくりするぐらい認知が現れ 進み、独り暮らしは無理になり施設で過ごすことに
その間も体調を崩して何度も病院へ
ついに7月20日帰らぬ人になりました。
そして 叔母の葬儀を滞りなく行い ホッとしたのもつかの間、突然 後を追うように母も逝ってしまったのです。
本当に本当にびっくりしました。悲しくて後悔することばかりでした。
叔母を見送った4日後 母までもが
叔母はある程度心積もりが出来ていたので、葬儀屋さんを選んで前もって相談をして決めていて、想定通りに
その葬儀が家族だけで とてもジンとくるものになったので、迷わず同じティアでお願いしました。
慣れることなんて嫌なのに リハーサルをして本番を迎えるかのように手順は楽でした
ただ 宗派が違う事でお参りの仕方や祭壇も少し違いがありましたが
88歳 要介護5
車椅子で過ごし 食事も全介助 嚥下も困難で ミキサー食やトロミ食
週2日ディサービス 週2回訪問看護 週1回訪問リハビリ そんなプランで充実した介護生活 余生を送っていました
もっともっと 介護がしたかったのに突然の幕切れ 後悔でいっぱいです
母の名前から、ティアの担当者の人が句を詠んで 棺に納めてくれました
「天からも野からも照らすわが子らよ」
どうか 先に行って 私が困らないように明るく照らしてね
6月30日
4月に大腿骨骨折で入院していた叔母
順調であれば、退院して次の住処への入居を決めていたのに 骨頭壊死を発症して結局再手術となりました
前回の術後.順調にリハビリも進んで要介護度も下がるほどの回復ぶりでしたが だんだんと痛みが出始め「 もうそろそろ落ち着くでしょう」と言う主治医の予想も見事に裏切られる結果になってしまいました
そして また一からやり直し
また あの悪夢のような日々が繰り返されるのかと思うだけで憂鬱
そんな事を思いながら、急性期病院に戻って 昨日 人工股関節を入れる手術が無事に終わりました
術後 患者への対応が書かれたマニュアルをいただきました
高齢者 認知症の人は特にせん妄が出やすく 見えないものが見えたり、おかしくなったり…
(確かに)
そんな時は否定しないで「泥棒がきた」と言ったなら「もう捕まえたらしいから安心だよ」とか穏やかに対応して安心させるといいそう
ついつい大人気なく、おかしな話ばかりする叔母に不安を募るような事ばかり言ってた私 深く反省
おかしい事を認めたくない私なりの対応が間違ってました
術後 目を覚ました病室に足を運んだ私
一からやり直しだけど、お互い経験はしているせいか 以前よりも安定
想像の話に相槌を打って対応
おかしい事は否定せず 安心出来る言葉だけ選んで話す 当分の私の修行です
4月21日
先週の火曜日
連日の小雨の中ゴミ出しで転倒した叔母
右手首と右大腿骨を骨折
その日に手術が出来て、ちょうど1週間
術後は意識が朦朧と訳のわからない事を言ってたけどよるせん妄なのだと思っていました
土曜日あたりまでは会話もしっかり出来てたので意識も徐々に戻ったかと安心してましたが、日曜日 あまりの疲れなのか5時間も昼寝をしてしまい、面会をサボったのがいけなかったのか、月曜 火曜と ちょっと表情 状況がとんちんかんで 認知症を発症してしまったのか不安になってきました
この先 リハビリ病院への転院先も決めて少しでも元の生活に戻れるようにならなければならないのに
どうなる事やら
8月22日
ショートステイから帰宅して、その疲れが出たのかと思って様子を2~3日見てたんですが ついに14日、歩けなくなりまして
これは絶対におかしいと元かかりつけ医 以前に誤診でかかりつけを代ったばかりだったのに、お盆でその病院しかあいてない
診断は炎症がみられるので、点滴に通ってと咳も出ないのに咳止めと風邪薬を処方されました
大きな病院へ紹介状でも書いてもらえたらとちょっと期待もしてたのですが、それもなく
動けなくなってしまった母を点滴に通うのは至難の技
夕方、陶生病院のERに駆け込み、重症尿路感染ということになり、速攻入院が決まりました
そして、約1週間の治療で本日 退院です
正式な病名は急性腎盂腎炎
オムツなのでそこから菌が膀胱、更に腎臓に広がったのでしょう
今後は膀胱にバブルを入れて管で尿を袋に溜めて処理することになりました
嚥下も大分 弱くなっているので、トロミを付けることが必至となりミキサー食がベスト
まぁそんなこんなで 無事に退院をし 療養です
少しづつ、体力が戻って来たらイイな
5月18日(土)
早く退院出来ました
病院も血液検査などの結果が良好なら、なるべく早く退院させたいのでしょうね
公立なので、少しでも良くなれば、まだまだ回復していないと思っても容赦無くです
あれほど「早く家に帰りたい」と病院で何度も言っていたのに、今日は迎えに行っても元気なく 何とか家にたどり着着ました
病室から車椅子へ移動、病室での着替えやオムツ替えも 病院内の看護士さんやヘルパーさんも知らん顔で、私がしたのですけど
以前は看護士さんが親切にお手伝いしてくれた記憶があるのだけれど なにやら休日は少ない人手のようで、甘えられなくなりましたね
しばらくは歩行も介助が必要で、嚥下が上手く出来ないようなので、食事は柔らかな刻み食かとろみをつけた流動食です
完全看護の病院なのに、
日曜日の深夜、付き添いで泊まってくださいと携帯に連絡が入ってきました
点滴を勝手に外したり、わがままを言ったりして人手不足な夜は出来たら、、、お泊まりをお願いしますとのこと
今日で3日目ですが、ここのところは落ち着いて夜も問題なく寝ているのですが、今日はいいですか?って聞くと やはり「お泊まりお願いします」なんです
明日は「今日はちょっと泊まれませんのでお願いします」と言ってみよ
5月10日(金)
母がまた肺炎で入院となりました
火曜日のディサービス帰宅後から歩行がおかしくなり、咳が出ていたので水曜日に近くのお医者さんで診察していただいたところ、風邪の診断でお薬を貰って帰宅
付き添いが父だったので、どのような説明をしたのか、以前にもかかった時は若い先生で直ぐにレントゲンを撮られて、その時はただの風邪でたいしたこともありませんでした
最近は初診で直ぐにレントゲンを撮るとは 「かなわんなぁ」とも思ったくらい
今回は、同じ医院の大先生でレントゲンは無し
結局、翌日も熱が無いのに食欲が全く無くなっていたので、土日を前に大きな病院へかかり即 肺炎で入院となりました
転ばぬ先の杖ではないけれど、
過剰だと思えるような検査も必要なこともあるんだなぁ