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「愛と殺意と」
性にまつわる犯罪「女性への暴行及び心の殺人」は、何を学んで、何を求めて起こされるのか?
心理カウンセラー坂口由美
性にまつわる犯罪は「学習」によって行われています。
このような「アノミー理論」に基づいて、さらに「ある人は犯罪を犯す」「ある人は犯罪を犯さない」という、この違いを説明したのが、アメリカの社会学者で、犯罪学において大きな影響を与えたEHサザランド(Edwin Hardin Sutherland 1883-1950)です。
たとえば、ある男の、もしくは、彼の属する集団や組織の、性にまつわる犯罪性や犯罪傾向は、生まれつき身についたものや、先天性のものではありません。自動車の運転について学んだ人でなければ、自動車は運転できません。同じように、性にまつわる犯罪は学習された後で、実行されるものなのです。
EHサザランドの学説は、次のようにまとめられます。
- 彼の性にまつわる犯罪性は、遺伝ではない。組織や集団のなかに交じり込んだ後で、「学習されたもの」である。
- 彼の属する「社会」は、親密で私的な共同体で組織されている。
- この共同体は、ルールや秩序を「認める組織」か、「認めない組織」のどちらかである。
- 彼は、どちらかの共同体から「犯罪の動機や技術を学習した態度」か、「順法的な言動や行動」のどちらかを表わす。
- 犯罪の学習は、犯罪を肯定的に認識する共同体の中の、「態度・行動・動機・技術)という文化に接触して学ばれる。
- ところが、同じ文化に接触しても、「性にまつわる犯罪を犯す男」と「犯さない男性」の二通りに大きく分かれる。
この違いは、なぜ生まれるのでしょうか?
その理由は、彼の性にまつわる犯罪行動を認めてくれる「共同体と個」とを同一化させる、「個を共同体」と一体化させるという「心の変化・心の変容」があって、性にまつわる犯罪が起こるのだと、 アメリカの犯罪研究者D.グレーザーは唱えています。
「分化的同一化理論」 D.グレーザー アメリカ 犯罪研究者
自分の犯罪行為を認めてくれる人や集団に自分自身を「同一化」させる。個人の内面の変化があって、初めて犯罪行動が発生する。
性にまつわる犯罪は、犯罪心理に基づく言動や行動によって、誰もが持っている欲望や欲求を実現するという目的によって表されます。
性にまつわる犯罪とは、三者の中で確定します。
- 性にまつわる犯罪を実行した人
- 性にまつわる犯罪行動の影響で、苦悩する人
- 性にまつわる犯罪を裁定する人
したがって、裁定する人が介在しないところでは、犯罪は成立しません。それゆえに、性にまつわる犯罪は、誰もが持っている欲望や欲求を実現するための方法として実行され続けています。このような特質をもちます。
性にまつわる犯罪心理学とは、以上のような定義から成り立ちます。すると、問題になるのは、
性にまつわる犯罪と、病理は、どこが違うのか?ということです。
法律の次元で、性にまつわる犯罪という概念を構成する主体者か?と問えば、性にまつわる犯罪者であることが、想定されます。
性にまつわる犯罪の成立の定義とは、
- 性にまつわる犯罪行為の加害者であること
- 性にまつわる犯罪行為の被害者であること
- 性にまつわる犯罪行為の状況と、互いの関係性
- 性にまつわる犯罪を裁定する第三者
この4つが揃って、ここではじめて、性にまつわる犯罪が成立します。
性にまつわる犯罪は、非合法な手段で、誰もが欲しがる欲求の対象を手に入れることである、と定義されています。
すると、「女性を刺したり、傷ついた女性の身体、もしくは死体」は、誰もが欲しがる欲求の対象ではないので、犯罪行為の目的には成り得ません。それは「性的な快感や興奮を得たい」という性の関係の欲求になります。
性の関係とは、物理的な性の行為だけがあるように見えて、実は、心の関係が形成されているのである、というのが、性の本質です。男性は、物理的な性の関係を橋渡しにして、女性から「社会的な知性の評価と支持」を享受して安心を得ているのです。
一方、女性は、物理的な性の関係を橋渡しにして、男性の「社会性の知性」を吸収し同化し一体化して、「社会性の世界からの孤立」を防いで安心出来るのです。この男性と女性の気持ちの安心の成立が、性によって創られた「心の世界」です。
しかし、性的な関係はあるが、心の関係はないということはあり得ます。それは、男性の社会性の知性が、女性にとって評価に値しない場合です。女性の知性が、男性の社会性の知性の水準より高過ぎても、低過ぎても、緊張の対象になります。
このことは、性とは、女の心の病か、男の心の病のいずれかによって、性の心の世界を病的に変えてしまう行為になりやすいということを意味しています。
法的に処罰されることはないとしても、彼が、実質的に、性にまつわる犯罪の加害者であると仮定すれば、中学生の頃に、凄まじい絶望感を感じています。漠然と、「僕は、誰からも相手にされないのではないか?」「僕は一体、なんで生きているのだろう?」と空しい、空虚な思いが浮かんでくるようになりました。おそらく、初めての「性にまつわる犯罪」を実行したのは、15歳の頃と推定されます。
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