聖書通読箇所
申命記29:1-29
2022年2月21日
1 これらは、モアブの地で、主がモーセに命じて、イスラエルの子らと結ばせた契約のことばである。ホレブで彼らと結ばれた契約とは別である。
2 モーセはイスラエルをみな呼び寄せて言った。あなたがたは、エジプトの地で、ファラオとそのすべての家臣たちとその全土に対して、主があなたの目の前でなさったことをことごとく見た。
3 すなわち、あなたが自分の目で見たあの大きな試み、あの大きなしるしと不思議である。
4 しかし、主は今日に至るまで、あなたがたに悟る心と見る目と聞く耳を与えられなかった。
5 私は四十年の間、荒野であなたがたを導いたが、あなたがたが身に着けている上着はすり切れなかった。
6 あなたがたはパンも食べず、ぶどう酒も強い酒も飲まなかった。それは、「わたしがあなたがたの神、主である」と、あなたがたが知るためであった。
7 あなたがたがこの場所に来たとき、ヘシュボンの王シホンとバシャンの王オグが出て来て、私たちを迎え撃ったが、私たちは彼らを討ち破った。
8 私たちは彼らの地を取り、これを相続地としてルベン人とガド人と、マナセ人の半部族に分け与えた。
9 あなたがたはこの契約のことばを守り、それを行いなさい。あなたがたのすることがすべて栄えるためである。
10 今日あなたがたはみな、あなたがたの神、主の前に立っている。すなわち、あなたがたの部族のかしらたち、長老たち、つかさたち、イスラエルのすべての人々、
11 あなたがたの子どもと妻、宿営の内にいる寄留者、薪を割る者から水を汲む者に至るまでいる。
12 それは、あなたの神、主が今日あなたと結ばれる、あなたの神、主の契約とのろいの誓いとにあなたが入るためであり、
13 先に主があなたに約束されたように、またあなたの父祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたように、今日あなたを立ててご自分の民とし、またご自分があなたの神となられるためである。
14 しかし私は、ただあなたがたとだけ、この契約とのろいの誓いを結ぶのではない。
15 今日ここで私たちの神、主の前に私たちとともに立っている者たちとも、今日、私たちとともにここにはいない者たちとも結ぶのである。
16 事実、あなたがた自身、私たちがエジプトの地に住んでいたこと、また私たちが異邦の民の中を通って来たことをよく知っている。
17 また、あなたがたは、彼らのところにあった忌むべきもの、すなわち木や石や銀や金の偶像を見た。
18 万が一にも、今日その心が私たちの神、主を離れて、これらの異邦の民の神々のもとに行って仕えるような男、女、氏族、部族があなたがたのうちにあってはならない。あなたがたのうちに、毒草や苦よもぎを生じる根があってはならない。
19 こののろいの誓いのことばを聞いたとき、心の中で自分を祝福し、「私は自分の頑なな心のままに歩んでも大丈夫だ」と言うなら、潤った者も渇いた者も等しく滅びることになる。
20 主はその者を決して赦そうとはされない。むしろ、そのとき、主の怒りとねたみがその者に対して燃え上がり、この書に記されている、すべてののろいの誓いがその者の上にのしかかり、主はその者の名を天の下から消し去られる。
21 主は、このみおしえの書に記されている契約の、すべてののろいの誓いにしたがい、その者をイスラエルの全部族から選り分けて、わざわいを下される。
22 後の世代、あなたがたの後に起こるあなたがたの子孫や、遠くの地から来る異国人は、その地の災害と、主がそこで起こされた病気を見て言うであろう。
23 その全土は硫黄と塩によって焼け土となり、種も蒔かれず、芽も出ず、草一本も生えなくなっていて、主が怒りと憤りでくつがえされた、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムの破滅のようなので、
24 すべての国々は言うであろう。「何のために、主はこの地にこのようなことをされたのか。この激しい燃える怒りは何なのか。」
25 人々は言うであろう。「それは彼らが、彼らの父祖の神、主が彼らをエジプトの地から導き出したときに結ばれた契約を捨て、
26 彼らの知らない、また彼らに割り当てられたのでもない、ほかの神々のもとに行って仕え、それらを拝んだからだ。
27 それで主の怒りがこの地に燃え上がり、この書に記されたすべてののろいが、この地にもたらされたのだ。
28 主は怒りと憤りと激怒をもって彼らをこの地から根こそぎにし、ほかの地に彼らを投げ捨てられた。今日のとおりに。」
29 隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし現わされたことは永遠に私たちと私たちの子孫のものであり、それは私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。
6 あなたがたはパンも食べず、ぶどう酒も強い酒も飲まなかった。それは、「わたしがあなたがたの神、主である」と、あなたがたが知るためであった。
今日はここです。
「わたしがあなたがたの神、主である」と、あなたがたが知るためであったことです。