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今日はヘブル書

2022-08-01 23:54:34 | 日記
今日は聖書通読よりもヘブル通読中の私です。
投稿滞っていますが…
ヘブル1章から4章ただいま絶賛打ちながら復習・エッセイ作成中ですので載せます。
ヘブル人への手紙全聖句
1:1 神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、
1:2 この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。神は御子を万物の相続者と定め、御子によって世界を造られました。
1:3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。御子は罪のきよめを成し遂げ、いと高き所で、大いなる方の右の座に着かれました。
1:4 御子が受け継いだ御名は、御使いたちの名よりもすばらしく、それだけ御使いよりもすぐれた方となられました。
1:5 神はいったい、どの御使いに向かって言われたでしょうか。「あなたはわたしの子。わたしが今日、あなたを生んだ。」とまたさらに、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」と。
1:6 そのうえ、この長子をこの世界に送られたとき、神はこう言われました。「神のすべての御使いよ、彼にひれ伏せ。」
1:7 また、御使いについては、「神は御使いたちを風とし、使える者たちを燃える炎とされる。」と言われましたが、
1:8 御子については、こう言われました。「神よ。あなたの王座は世々限りなく、あなたの王国の杖は公正の杖。
1:9 あなたは義を愛し、不法を憎む。それゆえ、神よ、あなたの神は、喜びの油で、あなたに油を注がれた。あなたに並ぶだれよりも多く。」
1:10 またこう言われました。「主よ。あなたははじめに地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。
1:11 これらのものは滅びます。しかし、あなたはいつまでもながらえられます。すべてのものは、衣のようにすり切れます。
1:12 あなたがそれらを外套のように巻き上げると、それらは衣のようにすり切れます。
1:13 いったいどの御使いに向かって、神はこう言われたでしょうか。「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで」と。
1:14 御使いはみな、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになる人々に仕えるために遣わされているのではありませんか。
2:1 こういうわけで、私たちは聞いたことを、ますますしっかりと心に留め、押し流されないようにしなければなりません。(警告)
2:2 御使いたちを通して語られたみことばに効力があり、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたのなら、
2:3 こんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、私たちはどうして処罰を逃れることができるでしょ。この救いは、初めに主によって語られ、それを聞いた人たちが確かなものとして私たちに示したものです。
2:4 そのうえ神も、しるしと不思議と様々な力あるわざにより、また、みこころにしたがって聖霊が分け与えてくださる賜物によって、救いを証ししてくださいました。
2:5 というのも、神は、私たちが語っている来るべき世を、御使いたちに従わせたのではないからです。
2:6 ある箇所で、ある人がこう証ししています。「人とは何ものなのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人のことはいったい何ものなのでしょう。あなたがこれを顧みてくださるとは。
2:7 あなたは、人を御使いよりわずかの間低いものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせ、
2:8 万物を彼の足の下に置かれました。」神は、万物を人の下に置かれたとき、彼に従わないものを何も残されませんでした。それなのに、今なお私たちは、すべてのものが人の下に置かれているのを見てはいません。
2:9 ただ、御使いよりもわずかの間低くされた方、すなわちイエスのことは見ています。イエスは死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠を受けられました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。
2:10 多くの子たちを栄光に導くために、彼らの救いの創始者を多くの苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の存在の目的であり、また原因でもある神に、ふさわしいことであったのです。
2:11 聖とする方も、聖とされる者たちも、みな一人の方から出ています。それゆえ、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥とせずに、こう言われます。
2:12 「私は、あなたの御名を兄弟たちに語り告げ、会衆の中であなたを賛美しよう。」
2:13 また、「わたしはこの方に信頼を置く」と言い、さらに、「見よ。わたしと、神がわたしに下さった子たち」と言われます。
2:14 そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、
2:15 死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。
2:16 当然ながら、イエスは御使いたちを助け出すのではなく、アブラハムの子孫を助け出してくださるのです。
2:17 したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥めがなされたのです。
2:18 イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。
3:1 ですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちが告白する、使徒であり大祭司であるイエスのことを考えなさい。
3:2 モーセが神の家全体の中で忠実であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実でした。
3:3 家よりも、家を建てる人が大いなる栄誉を持つのと同じように、イエスはモーセよりも大いなる栄光を受けるにふさわしいとされました。
3:4 家はそれぞれだれかが建てるのですが、すべてのものを造られたのは神です。
3:5 モーセは、後に語られることを証しするために、神の家全体の中でしもべとして忠実でした。
3:6 しかしキリストは、御子としての神の家を治めることに忠実でした。そして、私たちが神の家です。もし確信と、希望による誇りを持ち続けさえすれば、そうなのです。
3:7 ですから、聖霊が言われるとおりです。「今日、もし御声を聞くなら、
3:8 あなたがたの心を頑なにしてはならない。荒野での試みの日に神に逆らったときのように。
3:9 あなたがたの先祖はそこでわたしを試み、わたしを試み、四十年の間、わたしのわざを見た。
3:10 だから、わたしはその世代に憤って言った。『彼らは常に心が迷っている。彼らはわたしの道を知らない。』
3:11 わたしは怒りをもって誓った。『彼らは決して、わたしの安息に入らない。』」
3:12 兄弟たち、あなたがたのうちに、不信仰な悪い心になって、生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。
3:13 「今日」と言われている間、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされて頑なにならないようにしなさい。
3:14 私たちはキリストにあずかる者となっているのです。もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、です。
3:15 「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。神に逆らったときのように」と言われているとおりです。
3:16 では、聞いていながら反抗したのは、だれでしたか。モーセに率いられてエジプトを出た、すべての者たちではありませんか。
3:17 神が四十年の間、憤っておられたのは、だれに対してですか。罪を犯して、荒野に屍をさらした者たちに対してではありませんか。
3:18 また、神ご自分の安息に入らせないと誓われたのは、誰に対してですか。ほかでもない、従わなかった者たちに対してではありませんか。
3:19 このように、彼らが安息に入れなかったのは、不信仰のためであったことがわかります。
4:1 こういうわけで、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。神の安息に入るための約束がまだ残っているのに、あなたがたのうちのだれかが、そこに入れなかったということのないようにしましょう。
4:2 というのも、私たちにも良い知らせが伝えられていて、あの人たちと同じなのです。けれども彼らには、聞いたみことばが益となりませんでした。みことばが、聞いた人たちに信仰によって結びつけられなかったからです。
4:3 信じた私たちは安息に入るのですが、「わたしは怒りをもって誓った。『彼らは決して、わたしの安息に入れない』」と神が言われたとおりなのです。もっとも、世界の基が据えられたときから、みわざはすでに成し遂げられています。
4:4 なぜなら、神は第七日について、あるところで「そして神は、第七日に、すべてのわざを終えて休まれた」と言われ、
4:5 そのうえで、この箇所で、「彼らは決して、わたしの安息に入れない」と言われたからです。
4:6 ですから、その安息に入る人々がまだ残っていて、また、以前に良い知らせを聞いた人々が不従順のゆえに入れなかったので、
4:7 神は再び、ある日を「今日」と定め、長い年月の後、前に言われたのと同じように、ダビデを通して、「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない」と語られたのです。
4:8 もしヨシュアが彼らに安息を与えたのであれば、神はその後に別の日のことを話されることはなかったでしょう。
4:9 したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残されています。
4:10 神の安息に入る人は、神がご自分のわざを休まれたように、自分のわざを休むのです。
4:11 ですから、だれも、あの不従順の悪い例に倣って落伍しないように、この安息に入るように努めようではありませんか。
4:12 神のことばは生きていて、力がり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに差し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。
4:13 神の御前にあらわでない被造物はありません。神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。
4:14 さて、私たちには、もろもろの天を通った、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
4:15 私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。
4:16 ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。