オイラは、
日本の歴史的な遺跡・遺物の発見で
最大の奇跡的発見は
志賀島の金印発見だと思っている。
ご存知な方もおられるが、
あの金印は非常に小さい。
一辺がわずか2.3cmなのである。
2.3センチとは指の第1間接まで満たない
くらい本当に小さいものである。
いずれ決着が着く邪馬台国の場所
なんてのは少なくとも何キロもある大きな
場所であり、重要な建物遺跡であっても
何メートル以上のものであるから、
いまだ発見できないほうがおかしいくらいかも
しれない。
金印は2.3センチ。しかも1700年も経ってから
偶然に農民が見つけた。偶然にである。
それなりの寺社や遺跡で発見したのではない。
1784年にじんべえという農民が
田の横にある溝の水の流れを良くする
作業中に偶然、発見したとされる。
奇跡中の奇跡。
日本史上最大の奇跡的な出来事。
おそらく奇跡レベルでいうならば
世界一ではないか?
死海文書やロゼッタ・ストーン発見よりも上だと思っている。
偽証説もあったが、
中国で「てん王之印」や「廣陵王璽」
が発見れたことで、大きさや作りがほぼ同じことから
偽証説は完全に否定された。
この漢の委(わ)の奴(な)の国の王の印
これは本物だ。
当然、国宝である。
あの中国の後漢書倭伝に
「建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫倭國之極南界也光武賜以印綬」
とあり、そこで賜った印綬が発見された金印のことである。
西暦五七年の出来事。
なぜ、志賀島のそんなところに
埋められたのだろう。
いや、置かれていたのか?
いろいろ説はあるが、
どれもイマイチなのである。
なんせ遺構が残ってないし、
実は発見場所も確定されていない。
今ある金印発光の碑の位置は
ここだろうと特定されただけなのだから。
なんせ、こんなところに
あることが意味不明なのだから、
いくらなんでも普通、
川の流れるそばに置くかな?
保存保管あるいは隠し場所としては
あまりにも良くない場所を選んでいる。
オイラ的に推測すると、
まず、安置されたとは思えない。
奴国にとって、こんな大事なものを
志賀島なんてとこに置かない。
それにこの付近にはそれなりの
遺物があったと(祠や神社)
古い文献にも言われていない。
となれば、やはり隠したのだ。
時間が無かったから、
それなりの安易な物を作って隠したのだ。
奴国は滅亡した。
奴国にとって金印は最も大事なものである。
再興を願って、この中国から賜った大事な印を
隠さねばならない。
この地に逃れた王家か遺臣は、
途中この場所に隠したのだ。
それが一番すっきりする。
とにかく、この金印は
謎だらけなのである。
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最大の奇跡的発見は
志賀島の金印発見だと思っている。
ご存知な方もおられるが、
あの金印は非常に小さい。
一辺がわずか2.3cmなのである。
2.3センチとは指の第1間接まで満たない
くらい本当に小さいものである。
いずれ決着が着く邪馬台国の場所
なんてのは少なくとも何キロもある大きな
場所であり、重要な建物遺跡であっても
何メートル以上のものであるから、
いまだ発見できないほうがおかしいくらいかも
しれない。
金印は2.3センチ。しかも1700年も経ってから
偶然に農民が見つけた。偶然にである。
それなりの寺社や遺跡で発見したのではない。
1784年にじんべえという農民が
田の横にある溝の水の流れを良くする
作業中に偶然、発見したとされる。
奇跡中の奇跡。
日本史上最大の奇跡的な出来事。
おそらく奇跡レベルでいうならば
世界一ではないか?
死海文書やロゼッタ・ストーン発見よりも上だと思っている。
偽証説もあったが、
中国で「てん王之印」や「廣陵王璽」
が発見れたことで、大きさや作りがほぼ同じことから
偽証説は完全に否定された。
この漢の委(わ)の奴(な)の国の王の印
これは本物だ。
当然、国宝である。
あの中国の後漢書倭伝に
「建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫倭國之極南界也光武賜以印綬」
とあり、そこで賜った印綬が発見された金印のことである。
西暦五七年の出来事。
なぜ、志賀島のそんなところに
埋められたのだろう。
いや、置かれていたのか?
いろいろ説はあるが、
どれもイマイチなのである。
なんせ遺構が残ってないし、
実は発見場所も確定されていない。
今ある金印発光の碑の位置は
ここだろうと特定されただけなのだから。
なんせ、こんなところに
あることが意味不明なのだから、
いくらなんでも普通、
川の流れるそばに置くかな?
保存保管あるいは隠し場所としては
あまりにも良くない場所を選んでいる。
オイラ的に推測すると、
まず、安置されたとは思えない。
奴国にとって、こんな大事なものを
志賀島なんてとこに置かない。
それにこの付近にはそれなりの
遺物があったと(祠や神社)
古い文献にも言われていない。
となれば、やはり隠したのだ。
時間が無かったから、
それなりの安易な物を作って隠したのだ。
奴国は滅亡した。
奴国にとって金印は最も大事なものである。
再興を願って、この中国から賜った大事な印を
隠さねばならない。
この地に逃れた王家か遺臣は、
途中この場所に隠したのだ。
それが一番すっきりする。
とにかく、この金印は
謎だらけなのである。
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