てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

八田与一・・・必ず行かねばならない所

2015年08月03日 21時35分00秒 | 【ヒゲ親父】地元のこと
オイラまだ訪れていない重要な場所がある。

金沢市今町にある八田与一の生家だ。

石川県民であるにもかかわらず、
ほとんど八田技師の事は知らなかった。
こんなにも近くに生家があることさえも・・・。
今でこそ知る人も多くなってきましたが、
子供の頃にも習わなかったし、数年前まで名前さえも知らなかったんです。
地元が生んだ偉大な偉人なのに・・・


台湾の人にとって八田技師がいかに尊敬されているかということがよくわかった。
台湾に行った際にもよくこの話題が出たし、現地添乗員の方も我々が石川県民と言ったらなぜか感動してたよ。
(時間があったら読んでね)
台湾旅行記1
台湾旅行記2
台湾旅行記3
台湾旅行記4
台湾旅行記5

ところで八田与一ってどんな人?
(ウィキより抜粋)
日本よりも、八田が実際に業績をあげた台湾での知名度のほうが高い。特に高齢者を中心に八田の業績を評価する人物が多く、烏山頭ダムでは八田の命日である5月8日には慰霊祭が行われている。また、現在烏山頭ダムにある八田の銅像はダムの完成後の1931年(昭和6年)に作られたものである。住民々意と周囲意見で出来上がったユニークな像は、固辞していた八田本人の意向を汲み一般的な威圧姿勢の立像を諦め、工事中に見かけられた八田が困難に一人熟考し苦悩する様子を模し、碑文や台座は無く地面に直接設置された。その後国家総動員法に基づく金属類回収令の施行時や、中華民国の蒋介石時代に日本の残した建築物や顕彰碑の破壊がなされた際も、地元の有志によって守り隠され続け、1981年(昭和56年)1月1日に再びダムを見下ろす元の場所に設置された。今は台座上に修まる銅像の経過や、八田が顕彰される背景、業績もさることながら、土木作業員の労働環境を適切なものにするため尽力したこと、危険な現場にも進んで足を踏み入れたこと、事故の慰霊事業では日本人も台湾人も分け隔てなく行ったことなど、八田の人柄によるところも大きく、エピソードも多く残されている。



必ず行くよ。
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