てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

金沢(石川県)が空襲を受けなかったのは、いまだに謎である

2015年08月09日 22時00分00秒 | 【ヒゲ親父】地元のこと
今年は戦後70年ということと安保法案のこともあって、
例年以上に戦争関連の報道が多いような気がします。

本土空襲、沖縄地上戦、広島原爆投下、長崎原爆投下と・・・、

あまりにも悲惨でしたから・・・

先の大戦と地元の関係でいうのなら
昔からの疑問がある、なぜ金沢は空襲を受けなかったのだろう?

考えれば考える程、不思議なことなのだ。

当時の金沢は日本海側屈指の軍都だった。


町の歴史的文化財を破壊せぬため?
いやそれは違う、京都や奈良でさえ少々の空襲を行っている。

金沢市はまったく空襲が無く、また石川県にも空襲がなかった。

不思議だ、金沢は軍都で陸軍第9師団司令部はじめ、軍の施設や官舎があったし、
松任には国鉄松任工場があった、
小松空港なんかは海軍航空基地だったんですよ。
七尾港も天然の良港で当時は重要港湾だった。
その金沢(石川)を攻撃しないなんて常識では考えられないんです。


ちなみに県庁所在地級で、まったく空襲を受けていない都市は、
金沢、松江、山形、山口などがありますが、他の都市と違って、
敵からすれば金沢は必ず叩いておかねばならない場所なのだ。


隣の富山や福井は空襲を受けている。

昔、婆ちゃんが言ってた。
富山の空襲の時はその方向の空が真っ赤に染まって、それは恐ろしかったって・・・。


まさか、金沢も原爆投下の候補地になってたとか・・・。
小倉や新潟はまさにそれが為。

それはないな・・・。

う~ん、金沢に空襲が無かったのは、
いまだに合理的な説明がつかず、まさに奇跡としかいいようがないのだが、
おかげで、歴史的・文化的な財産を失わずに済んだし、
今オイラがいるのも、空襲がなかったおかげかもしれません。
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ブラオイラ#36(湯涌リメイク編・後編)

2015年08月09日 15時34分22秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
湯涌には、驚くべき施設が2つあって、
一つはすでに撤去されて更地だが、
もう一つは一部が移築され今も残っている!?

温泉街から高尾山へ登る道をあがっていくとそれらの場所がある。


まず今はもう無い方から、


中腹のここが跡地だ。

なんか、前に紹介したヘルスセンター跡地みたいな・・・

まったく何も無い、だけど綺麗に整備され管理されている。


ここにあったのは・・・・・・・、







なんと東洋一のホテルなのだ!

その名を白雲楼ホテルという。


在りし日の白雲楼だ。


すごい


日本じゃないみたい


まるで城内の大広間

(ネット画像よりお借りした)

今はこう・・・・。


ウィキより
白雲楼ホテル(はくうんろうホテル)は、石川県金沢市湯涌温泉にかつて存在した温泉ホテル。1932年(昭和7年)桜井兵五郎により開業した豪華なホテルで、かつては東洋一といわれ、GHQが保養施設として接収したり、昭和天皇・皇后が食事をとったことがあるなど栄華を極めていたが1999年(平成11年)倒産した。


そんなスゲーホテルが、こんな所にあったのか・・・
驚くばかりです。



続いて、
驚くべき施設で、しかも今も存在するいう方だが・・・・・・、










それがこれだ。


こちらは、
なんと世界遺産級の建築物である。



これも前回の記事で書いた→山中に世界遺産!?

世界遺産の富岡製糸場に次ぐ全国第二の大きな規模であった金沢製糸場の建築物なのだ。

金沢の中心街にあったその製糸場は、役目を終えてから、
建造物の一部をなぜかこの地に移築し今は人知れず草薮の中に置かれてる。

すごい・・・



もっと近づきたかったけどここが限界。

金沢市で草刈りしてくれないかなぁ~


加州金沢製糸場之図




(2014.5.6北國新聞記事より)
遺構は木造平屋建てで、湯湧温泉にあった白雲楼ホテルが保養所として進駐軍に接収された終戦直後は、進駐軍が馬小屋に使ったと伝えられる。
現在は周囲に草が生い茂り、地元でも建物を訪れる人はほとんどいない。
なお、製糸器械場が金沢市長町から移されたことを記す史料は確認されておらず、移築の時期は不明。
村長は、建物が戦前、白雲楼ホテルを開いた時にここに移されていた可能性があるとみており、「保存に向けて、近代建築の専門家に価値や状態を見てもらう必要がある」と話した。
教授は、世界遺産登録の勧告を受けた富岡製糸場に注目が集まっていることを挙げ、「ほぼ同時代に造られた金沢製糸場にも今後、光が当たる」とみて、将来の保存、利活用を見据えた実測調査の必要性を強調した。

これほど重要な建築物が今は藪の中でひっそりと・・・・。

なんとなく感動する。
金沢の奥山中に、誰も知らない世界遺産級の建築物があるなんて・・・・。

それにしても、湯涌とは面白い所である。
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ブラオイラ#35(湯涌リメイク編・前編)

2015年08月09日 14時06分15秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
今日は娘の吹奏楽の北陸大会、
カミさんは当然応援に見に行ったが、
オイラは遠くから、ちゃんと応援してるよ。
<がんばれー!!!

・・・ということで、またオイラは一人でブラついた。


今回は以前に記事にしたことがある場所で、
オイラが出身地を伏せていたこともあって
地名等を明かさなかった金沢の奥座敷、湯涌の町をブラついた。

前回の記事→1時間だけの


湯涌へ向かう途中のいい感じの橋


川がきれいで上から魚が見えました。


さらに進むと、道路沿いに現れるのがこの人形達。


おっ金沢マラソンのTシャツ

でも前回に比べて人形の数激減してるけど、気持ち悪いから撤去されたのかな


いよいよ、湯涌温泉街に入る。


数年前に、ここはアニメの聖地にもなったらしいね。


金沢の奥座敷。


ここの温泉街は竹久夢二がこよなく愛した場所で記念館もあります。

竹久夢二・・・1884年(明治17年)岡山県生まれ、日本の画家・詩人。
数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれた。1934年(昭和9年)に50歳で死去。


いい雰囲気ですね~。

稲荷神社はとにかく絵になる。





んん!?

夢二の歩いた道

ここか・・・。

へぇ~


近くには江戸村もあります。


江戸時代の農民の家屋や農具などが展示



温泉街の一番奥は玉泉湖で。


池の奥に小屋が見えますあれは・・・


氷室小屋です。

江戸時代、加賀藩主が夏に徳川将軍へ雪を献上する為、冬にここへ雪を詰めて夏まで保存した。
初夏に食べる氷室饅頭も有名。

雪氷は6月1日に取り出されますのでありません。


しかし氷室小屋の周辺、アブが多くて大変でした。


それでもオイラ、
この湯涌は、町の魅力やちょうどいいそのサイズでお気に入りなんですわ。


後編に続く
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