金沢は坂の町でもあり、
いろいろなブログでも紹介されております。
オイラも金沢の坂は好きです。
いろいろ金沢の坂を紹介している本はありますが、
決定版はこれだと思っております。
国本昭二さん著書 サカロジー~金沢の坂 時鐘舎新書
すごく良書です。
もちろん坂の名前の由来や著者の思い出、その坂の斜度なんかもあって、またイラストもいいんです。
そしてオイラ的に特に気になった個所があります。
野田往還の章に、
遠乗り馬場の謎という話があって、それによると
元禄の頃から大聖寺藩と金沢城の間を馬で走る間道があったという。おそらく幕府の目を忍ぶ緊急連絡ルートだろう。狩人か木こりの通るような目立たない道だったという。
大聖寺から山代の裏山に上がり、瀬領へ出て鳥越へ抜け、鶴来街道に沿って獅子吼高原、倉ヶ岳を経て平栗に出る。
とある。
つまりこんな感じの秘密のルートがあったのだ。
これは興味深い。
たしかに当時の北国街道沿いには徳川将軍家や越前松平家からの隠密(スパイ)が潜んでおり加賀藩の動向を調査なんかしていたと思うから、
緊急の知らせを伝えるはや馬や忍の者が通った目立たない間道があったんだと思います。
この秘密のルート、忍者の気持ちで通って見たいねぇ~。
【ヒゲ親父】
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いろいろ金沢の坂を紹介している本はありますが、
決定版はこれだと思っております。
国本昭二さん著書 サカロジー~金沢の坂 時鐘舎新書
すごく良書です。
もちろん坂の名前の由来や著者の思い出、その坂の斜度なんかもあって、またイラストもいいんです。
そしてオイラ的に特に気になった個所があります。
野田往還の章に、
遠乗り馬場の謎という話があって、それによると
元禄の頃から大聖寺藩と金沢城の間を馬で走る間道があったという。おそらく幕府の目を忍ぶ緊急連絡ルートだろう。狩人か木こりの通るような目立たない道だったという。
大聖寺から山代の裏山に上がり、瀬領へ出て鳥越へ抜け、鶴来街道に沿って獅子吼高原、倉ヶ岳を経て平栗に出る。
とある。
つまりこんな感じの秘密のルートがあったのだ。
これは興味深い。
たしかに当時の北国街道沿いには徳川将軍家や越前松平家からの隠密(スパイ)が潜んでおり加賀藩の動向を調査なんかしていたと思うから、
緊急の知らせを伝えるはや馬や忍の者が通った目立たない間道があったんだと思います。
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