9月1日から富山で行われる「おわら風の盆」の八尾にも行こうかなとも思ったが、
遠すぎるので、やっぱり近場でブラオイラ。
そういえばオイラ、
藩祖前田利家公のお墓に行ったことないやん
ということで、今日は野田山墓地を行ってみました。
まずは、大乗寺丘陵公園へ
山環通る度に気にはなってたんだよね。
丘陵の上には散歩に適した公園があります。
季節によっていろいろ花が咲くようで・・・
おぉ、ここからの眺めはいいです
この横に長坂用水が流れておりました。
辰巳用水の見学からなにかと用水が気になるオイラ
長坂用水:加賀藩が金沢市野田山山麓の丘陵農地の灌漑を目的に、犀川の支流である内川の中流部左岸(金沢市小原町)を取水口として、 1671年(寛文11年)に完成させた水路(疏水)である。
重要文化財の大乗寺にも行きたかったんだけど、
入口に駐車場が見当たらなかったので、また今度
そうこうしてるとすぐに野田山墓地に着いた。
お盆が終わると誰もいませんな・・・・。
ん!?
何と呼ぶの? 暗葬って何?
気になってネット調べてみたら驚いた。
(ウィキより)
尹奉吉(ユン・ポンギル)は、1932年4月29日天長節(天皇誕生日)の日、上海の日本人街の虹口公園で行われた祝賀式典会場に、要人群の席に向かって手榴弾を投擲。爆発で多数を死傷させる事件を引き起こした。
1945年9月東京湾のミズーリ艦上で行われた降伏式典で降伏文書に署名した外相(当時)重光葵が杖をついているのはこの事件で片足を失われたからである。
尹奉吉は現場で「大韓独立万歳」を叫んだ後に自殺を図ったが、日本の関係者に取り押さえられた。被害者が軍人であったことから上海派遣軍軍法会議で裁かれ死刑判決を受けた。陸軍第9師団の駐屯地である石川県金沢市へ連行されて、練兵場のある市内、三小牛山で銃殺刑に処された。遺体は隣山である野田山の金沢市共同墓地に埋葬された。
ということである。
暗葬という言葉はよくわからないが、「暗闇でひっそりと葬る」みたいな感じなんだろう。
いや~、こんな人もこんな事件も知らなかったわ。
そしてさらに進むと出ました。
加賀八家の墓所に
前田家の周りに配置されてますね。
その中の奥村家墓所を拝見いたしました。
苔が生えた亀の台座に石碑があり、その周りに多くの墓石が並んでいました。
さていよいよ、加賀藩主前田家墓所です。
やはりその一帯は荘厳な雰囲気がありました。
二代目の利長公。
お松の方。
そして藩祖、利家公。
お墓と言っても、墓石があるわけではないんです。
土を盛った高さ2~3メートルくらいの小山があり、その前に柱が立っているという形です。
でも、相当年月が経っているので、周りの囲いなど相当破損しており痛々しい状況でした。
金沢市か前田家かわかりませんが、もう少し整備したほうがいいと思ったよ。
とにかく、加賀の殿様が眠っている地だから、一度は来なきゃと思ってたんだ
これて良かったです。
そんな満足感を抱いて野田山墓地を後にしました。
【ヒゲ親父】
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