日馬富士の貴ノ岩への暴行事件が世間を騒がせている。メディアはこの問題を
大げさに報じているが、いずれもその根底にあるのは、「けしからん!」とい
う憤り混じりの非難の感情である。
だが私は、それほど素直にこの非難に同調することはできない。日馬富士が貴
ノ岩にビール瓶で殴りかかったとき、どうしようもなく激しい怒りが彼を捕ら
えたに違いないが、私もこれまでの人生をふり返れば、同様の感情に何度か捕
らわれたことがある。
これは、猛者であるとか、ないとか、インテリであるとか、ないとか、そんな
ことには関係なく、人を捕らえる極々自然な生理反応だろう。個人的なことを
書くとちょっとアレなので、一般的な事例をあげれば、年下であるにもかかわ
らず、人を見下すようなふてぶてしい態度で応対する職場の後輩、夕食のテー
ブルを囲んでも、スマホに掛りきりで視線を上げず、会話の素振りすら見せよ
うとしない息子や娘、あるいは妻・・・、そんな事例は至るところに転がってい
る。
そんなケースに直面したとき、あなたが激しい怒りをいだかないとしたら、あ
なたの感情はすり切れて、ひどく不自然なものになってしまっていると言わな
ければならない。
私ならもちろん、激しい怒りに捕らわれる。相手を思う存分ぶん殴りたいと思
う。ただ、その感情をそのまま行動にあらわし、相手を殴りつけるかという
と、そうではない。これまでに私がそういう行動をとったことは、一度もない。
これは断言できる。
どれほど怒りに我を忘れても、理性は私にこう呟く。「相手が怪我でもした
ら、警察沙汰になって、懲役刑を食らうことになるぞ。そうなったら、おまえ
は社会的な地位を失うことになるんだぞ!」、「相手はきっと反撃してくる。
そしたらひ弱なおまえなんて、形無しだ。もっと痛い目を見ることになるぞ!」
等々。
これはなにも私に限ったことではない。社会人なら、大方はそう考える。だか
ら暴力沙汰はあまり起こらず、社会の治安は保たれる。角界の暴行事件がこれ
ほど騒がれるのは、このケースが社会の治安を揺るがす「蟻の一穴」になりか
ねないからである。
今回の暴行事件について、メディアは角界という社会的な組織の、そのあり方
をクローズアップし、組織による対処の不備をいろいろ論(あげつら)ってい
る。これも「蟻の一穴」をふさごうとする、社会の(過剰と言えなくもない)
防御反応の一例であると言えるだろう。
大げさに報じているが、いずれもその根底にあるのは、「けしからん!」とい
う憤り混じりの非難の感情である。
だが私は、それほど素直にこの非難に同調することはできない。日馬富士が貴
ノ岩にビール瓶で殴りかかったとき、どうしようもなく激しい怒りが彼を捕ら
えたに違いないが、私もこれまでの人生をふり返れば、同様の感情に何度か捕
らわれたことがある。
これは、猛者であるとか、ないとか、インテリであるとか、ないとか、そんな
ことには関係なく、人を捕らえる極々自然な生理反応だろう。個人的なことを
書くとちょっとアレなので、一般的な事例をあげれば、年下であるにもかかわ
らず、人を見下すようなふてぶてしい態度で応対する職場の後輩、夕食のテー
ブルを囲んでも、スマホに掛りきりで視線を上げず、会話の素振りすら見せよ
うとしない息子や娘、あるいは妻・・・、そんな事例は至るところに転がってい
る。
そんなケースに直面したとき、あなたが激しい怒りをいだかないとしたら、あ
なたの感情はすり切れて、ひどく不自然なものになってしまっていると言わな
ければならない。
私ならもちろん、激しい怒りに捕らわれる。相手を思う存分ぶん殴りたいと思
う。ただ、その感情をそのまま行動にあらわし、相手を殴りつけるかという
と、そうではない。これまでに私がそういう行動をとったことは、一度もない。
これは断言できる。
どれほど怒りに我を忘れても、理性は私にこう呟く。「相手が怪我でもした
ら、警察沙汰になって、懲役刑を食らうことになるぞ。そうなったら、おまえ
は社会的な地位を失うことになるんだぞ!」、「相手はきっと反撃してくる。
そしたらひ弱なおまえなんて、形無しだ。もっと痛い目を見ることになるぞ!」
等々。
これはなにも私に限ったことではない。社会人なら、大方はそう考える。だか
ら暴力沙汰はあまり起こらず、社会の治安は保たれる。角界の暴行事件がこれ
ほど騒がれるのは、このケースが社会の治安を揺るがす「蟻の一穴」になりか
ねないからである。
今回の暴行事件について、メディアは角界という社会的な組織の、そのあり方
をクローズアップし、組織による対処の不備をいろいろ論(あげつら)ってい
る。これも「蟻の一穴」をふさごうとする、社会の(過剰と言えなくもない)
防御反応の一例であると言えるだろう。