和貴の『 以 和 為 貴 』

解せないこと

北朝鮮による日本人拉致問題が多く取り沙汰されている昨今、戦後間もない日本の混乱期に、第三国人と呼ばれた人々が朝鮮進駐軍というものを結成し、当時、多くの日本人に対して傍若無人な活動をしていたことについては、あまり取り上げられることはない。

ネット上では、いろいろな証拠や当時の写真記事などが残されているわけであり、在日韓国側も、このことについての否定がない。むしろ認めているようである。

 〔主な事件〕
 ・大阿仁村事件(1945年10月22日)
 ・生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)
 ・直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)
 ・富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)
 ・長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日)
 ・富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日)
 ・坂町事件(1946年9月22日)
 ・新潟日報社襲撃事件(1946年9月26日~29日)
 ・首相官邸デモ事件(1946年12月20日)
 ・尾花沢派出所襲撃事件(1947年10月20日)
 ・阪神教育事件(1948年4月23日~25日)
 ・評定河原事件(1948年10月11日~12日)
 ・宇部事件(1948年12月9日)
 ・益田事件(1949年1月25日)
 ・枝川事件(1949年4月6~13日)
 ・高田ドブロク事件(1949年4月7日~11日)
 ・本郷村事件(1949年6月2日~11日)
 ・下関事件(1949年8月20日)
 ・台東会館事件(1950年3月20日)
 ・連島町事件(1950年8月15日)
 ・第二神戸事件(1950年11月20~27日)
 ・四日市事件(1951年1月23日)
 ・王子事件(1951年3月7日)
 ・神奈川事件(1951年6月13日)
 ・下里村役場事件(1951年10月22日)
 ・福岡事件(1951年11月21日)
 ・東成警察署催涙ガス投擲事件(1951年12月1日)
 ・半田・一宮事件(1951年12月3日~11日)
 ・軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日)
 ・日野事件(1951年12月18日)
 ・木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日~23日)
 ・姫路事件(1952年2月28日)
 ・八坂神社事件(1952年3月1日)
 ・宇治事件(1952年3月13日)
 ・多奈川町事件(1952年3月26日~30日)
 ・田川事件(1952年4月19日)
 ・岡山事件(1952年4月24日~5月30日)
 ・血のメーデー事件(1952年5月1日)
 ・上郡事件(1952年5月8日)
 ・大村収容所脱走企図事件(1952年5月12日~25日、11月9日~12日)
 ・広島地裁事件(1952年5月13日)
 ・高田派出所襲撃事件(1952年5月26日)
 ・奈良警察官宅襲撃事件(1952年5月31日)
 ・万来町事件(1952年5月31日~6月5日)
 ・島津三条工場事件(1952年6月10日)
 ・醒ヶ井村事件(1952年6月13日)
 ・葺合・長田事件(1952年6月24日)
 ・吹田・枚方事件(1952年6月24日~25日)
 ・新宿駅事件(1952年6月25日)
 ・大須事件(1952年7月7日)
 ・舞鶴事件(1952年7月8日)
 ・五所川原税務署襲撃事件(1952年11月19日~26日)

上記以外にも、殺人・強姦・強盗・窃盗などの被害を日本人は被ってきた。

  
ところで、これら凶悪犯罪を続けていた三国人に対して、当時の日本政府はどのような対処をとってきたのであろうか?

わたしが解せないことは、その犯罪被害者たちのご遺族の方々の声のようなものをほとんど確認することができないことである。

わたしがまだ、日本を憂う気持ちになりかけの頃、某SNSサイトで北九州市出身の女性とお話することができた。その女性は、在日に対して強い敵対心を抱き、派手な街宣右翼を彷彿とされるような言をわたしにぶつけてくるのである。

わたしは、「なぜ、そんなに在日を恨むのですか?」

と問うと、彼女は小さく告げてくれた。
  
「わたしは戦後すぐの生まれではないけれど、両親が古い土地を在日に奪われてしまいました。両親の無念を忘れたくないのです。」
  
そのときわたしは、 "三国人" なるものの存在を初めて知ることができた。

なるほど~と思った。というよりわたしの中にも強い憤りをおぼえた。

そして、彼女の「両親の無念を忘れたくないのです。」の言で、当時の日本政府がきちんとした対処をしてこなかったことを確信した。

わたしがこれまで、直接お話を聞けたのは、彼女が最初で最後であった。


その話しを聞いてから以降、民主党から自民党へと政権も代わり、安倍総理による『戦後レジュームからの脱却』が始まったかにみえた。

しかし、北朝鮮による拉致被害者も未だ帰って来ず、それどころか日本人に対する言論弾圧的ともいえるヘイトスピーチ法なるものが成立されてしまった。


もはや『戦後レジュームからの脱却』どころの話しではない。  


まず、公明党との連立与党では、到底有り得ないであろうことは予想はしていたが、野党4党が連合を組み、旧民主党がその勢力を取り戻しつつあることが、この間の参議院選で明らかになってきた。そして、今回の都知事選でもその勝敗を読むことが困難となってしまった。


ほんの100年も経ないあいだのわが国で、先人・先祖たちがどんな目にあってきたのか?その身になって考えていただきたい。

関東大震災、大都市への大空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下、三国人たちによる凶悪犯罪、伊勢湾台風、室戸台風、その他多くの大災害、北朝鮮による拉致被害、日航機墜落事故、薬害エイズ問題、水俣病などの公害、雲仙普賢岳の噴火、近年では阪神大震災、新潟県沖大地震、東日本大震災、熊本大地震など・・・


バングラデシュのダッカで、日本人7人がテロの被害に遭いお亡くなりになられた事件はまだまだ記憶に新しいところである。

しかし、ほとんどの日本人はそれを何かしらのネタに使える知識にし、酷いなぁ、可哀想だなぁというばかりのように感じる。テレビから聞こえてくる御意見番の声も、テロはダメ!戦争はダメ!の一点張り。


三国人たちが日本の混乱期に横暴のかぎりを尽くした末に勝ち得た "在日特権" 。

これを廃することができるか否かの最大のポイントともいえる "戦後レジュームからの脱却" 。それと並行して被害者の家族の方々が声を出すことも大切ではないだろうか?


拉致問題然り、北方領土問題然り、現代日本人がいま、後生のために解決しなければならない最重要問題であるようにわたしは思う。

  
さらに、真の被害者が声を出すことは当たり前のことであり、偽の被害者ばかりが救われるような社会国家などは、存在しないほうが世のためである。


是非、そうならないことをこころより願う・・・。


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