論語を現代語訳してみました。
子罕 第九
《原文》
子曰、歳寒、然後知松柏之後彫也。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、歳〔とし〕 寒〔さむ〕くして、然〔しか〕る後〔のち〕に松柏〔しょうはく〕の後〔おく〕れて彫〔しぼ〕むを知る。
《現代語訳》
孔先生はまた、次のように仰られました。
寒さがきびしい年になったとき、そこではじめて常緑樹である松や柏(=桧の一種)は、遅れてしぼむことを知るのだよ、と。
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
この語句の意味するところは、立派な人物というのは、その身にとって都合のよくないことが起こったとき、それを回避するための知恵を弁えているということです(真価が問われる)。そして、その知恵を弁えるためには、日ごろから貧しい人たちや、苦悩の絶えない人たちに寄り添うことによって、人の傷みや憐れみの心をも養えることにも繋がるんだと思われます。
また、なにも言わないこうした木々たちですが、古来からずっと、こうした苦難をのりこえるための知恵をもちつつ(遺伝子を引き継ぎ)、繁栄してきたのだよということ、なんだろうと思います。
さて、これまで論語を自分なりに現代語訳してきたわけですが、のこりが約半分ともなりました。
これまで、誤訳し続けることができましたのも、いつもご覧になられる方々のお陰です。心より、御礼申し上げます。
そして、いまは慣れないスマホからの記述となっているのですが、普段使っているモニターの画面が写らなくなってしまい、パソコンからの入力ができなくなってしまいました。
ですので、一旦今回で、誤訳のアップを中断し、8月1日より再開しようかなと、思っています。
それまで、約一カ月間ですが、少しばかり気持ちもリフレッシュし、新しい気持ちで、誤訳に臨んでいこうと思います。
それでは、皆さん!
今後とも、よろしく御願い致します!
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考