和貴の『 以 和 為 貴 』

生きるための知識と知恵


「錢儲けする知識や知恵はあっても、生きるための知識や知恵がない。」

ふと、このようなことが頭をよぎったので、どういうことかな?と自分なりに考え纏めてみようと思います。

筆者は田舎で育ち、そのなかで生き物を育て、また時には残酷にも生き物を殺めたりしながら幼少期を過ごしてまいりました。

義父からは、山や川に連れていかれ、山菜の取り方や小魚の取り方などを教えてもらい、祖母には畑の耕し方などを教えてもらいました。

正直楽しかったです。

クワガタ(筆者の田舎ではゲンジと呼びました)採りでは、木の隙間に潜り込んで出てこないクワガタを、どうして捕まえようか悩んでいた筆者に、義父が近寄ってきて、たばこを1本吸いはじめました。

そして義父は黙ったまま、吸い込んだ煙を木の隙間にふーぅとひと吐きしました。

するともぐりこんで出てこなかったクワガタが、煙とともにはい出てきたのです。

筆者はすぐさまクワガタを手にとり、『すごい!』と言い喜びましたが、義父はニコっと笑い、残りのたばこを吸うだけであります。

こうした幼少の頃の思い出は、成人となった今もずっと自分の心奥深くに存在します。

辛かった思い出、楽しかった思い出というものの中に、いまを生きるための知識や知恵があり、それをさらに発達させ、如何なる困難が起きようとも決して挫けることのない強い精神を養うことが出来るのだと思うのであります。

日本の国土の大半は、山や森林でありますが、多くの人々はわずかばかりの平地に居住し、錢金をうらやんでいます。

それはまさに、戦後の教育方針や社会のシステムの中で、多くの国民が誘導された結果ともいえますが、バブル崩壊や近年の学校崩壊、さらに家庭崩壊などを鑑みると、そうしたシステムがすべて虚構だったのではないだろうかと感じるのです。

物質的豊かさを保つためだけの、技術革新(イノベーション)などは、まさに虚構の中の虚構に過ぎないわけでありますが、しかし今なお、さらなる進化や発展を求める人で絶えないのですから、それに乗り遅れた人というのは、生きていくことさえも、困難な世に感じてしまうはずであります。

筆者自身は、幼少の頃からこの国の大自然に触れさせていただき、生きることの意味というものに気づかされたことに対し、本当に『有るが難し…』だったと思うのではありますが、錢金をうらやむことしか出来なかった若いころの自分自身というものを反省せずにはいられないのであります。

しかしながら、過去の過ちや失敗というものを恐れることなく、これからの暗雲立ち込めるであろう余生を、力強く生きていきたいものです。

生きるための知識や知恵というのは、書物や他人さまの話を聞き覚えるものではなく、ひとりひとりが考え学ぶのだということを、改めて感じさせていただきました。


※筆者お気に入り動画 カメ五郎の狩猟生活(予告)



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