【正論】和を以て貴しとなす憲法作ろう
《聖徳太子の「十七条憲法」》
「和を以って貴しとなす」。この聖徳太子の言葉を私は日本憲法の前文に掲げたい。和とは平和の和である。平和を尊ぶ日本の国家基本法の冒頭には、わが国古 来の言葉で理想を謳いたい。大和の国の伝統に根ざす和を尊ぶことで国内をまとめたい。和を尊ぶべきことを広く世界に訴え、かつ私たちの行動の指針とした い。和は和諧の和であり、英語のharmonyであり、諸国民の和合である。現在の日本にはむろん不平も不和もあるだろう。しかし東洋の 他国と比べれば、和諧社会の理想にまだしも近いことは明らかだ。西洋諸国と比べても、貧富の格差が少ない平安な長寿社会といえるのではないか。大和島根に 住む人々が心中で和を以って貴しとしている以上、この理想こそ日本国民が胸をはって主張できる世界に誇り得る理念ではあるまいか。米国の大新聞は、日本事 情がよく分かりもせぬくせに偉そうな説教を垂れたがるが、このような憲法改正には文句のつけようがないだろう。
憲法はそ のように日本の歴史と文化に根ざす前文であり本文でありたい。『日本書紀』にある「以和為貴」は、聖徳太子が制定した日本最初の成文法の最初の言葉であ る。14世紀前の推古天皇12年、西暦604年に十七条憲法は制定された。外から仏教が伝来したとき内なる神道との対立が破壊的な抗争に及ぶことを危惧し た聖徳太子は、十七条の第一条で「和を以って貴しとなす」と宣言した。
信仰や政治の原理を説くよりも先に、複数価値の容認と平和共存を優 先した。大陸文化を導入しようとした蘇我氏とそれに敵対した物部氏の抗争を目撃した太子は、仏教を尊びつつも宗教的熱狂の危険を察知したのだろう。支配原 理でなく「寛容」の精神をまず説いたのである。こうした国家基本法の第一条は世界史的に珍しい。
地 中海地域ではキリスト教、ユダヤ教、イスラム教という一神教同士が今も猛烈な争いを続ける。イスラム教も、スンニ派とシーア派に分かれて殺し合いを演じて いる。西洋で和の思想が生まれたのは、キリスト教同士が旧教のカトリックと新教のプロテスタントに分かれ、宗教戦争で殺し合った結果である。あまりに悲惨 な流血への反省から、17世紀に平和共存の思想が宗教の外側から生まれた。寛容の思想の歴史は新しい。
一神教の世界では、ダンテ 『神曲』が描くように、神の敵は容赦なく地獄に落とす。その点、日本人の考え方は例外的だ。八百万(やおよろず)の神の神道は死者は区別せず等しく祀(ま つ)る。善人も悪人も神になる。「善(よ)き神にこひねぎ、悪しき神をもなごめ祭る」(本居宣長『直毘霊(なおびのみたま)』)。政治の次元では敵味方を 区別する日本人だが、慰霊の次元では死者は区別しない。政治が慰霊をも支配する中国や朝鮮では今もなお政敵の墓を爆破したり(例、汪兆銘)あばかせたり (李完用)する。日本人はそれはしない。宗教心に和の気持ちがしみこんでおり、祟(たた)りをおそれる。死者の差別や分祀(ぶんし)はあり得ない。
《和唱える平和主義へ転換も》
現行憲法は、平和主義の美名の下、米国が敗戦国日本に武装解除を宣言させたものである。もっと も、敗戦後の日本人は軍部支配の軍国主義よりも1946年憲法の平和主義を良しとした。私もその平和主義で育った一人だ。だが新しい憲法の制定に際して は、そんな敗北主義的平和主義と訣別(けつべつ)し、和を唱える平和主義に改めたい。
そのように平和主義を日本の伝統に即したものとする ことで、新しい憲法を真に私たち自身の憲法に改めたい。そうすれば、初めて国民各層の深い支持を得る憲法となるのではあるまいか。日本が国家間の紛争、文 明間の宗教的対立、階級間の貧富の抗争よりも和を尊ぶ国であり、和諧社会こそがわが国の古代からの理想であることを、この際、はっきりと世界に宣言したい ものである。◇ ◇ ◇
以上、産経ニュースの正論より抜粋の記事であります。
平川教授の想いというものが犇々と伝わってまいります。
「信仰や政治の原理を説くよりも先に、複数価値の容認と平和共存を優先した。」
と仰っておられますように、まずはわが国の基本となるべく価値観の共有を求めていきたいのだと思います。
押し付けられた平和主義や世界秩序を以て議論し合うよりも、まずはわが国の伝統的平和主義の下に議論していかなければならないとも思います。
83歳と御高齢ではありますが、平川教授の今後のご活躍を楽しみにしてまいりたいです。