論語を現代語訳してみました。
子罕 第九
《原文》
子絶四。毋意、毋必、毋固、毋我。
《翻訳》
子 四〔し〕を絶〔た〕つ。意〔い〕なる毋〔なか〕れ、必〔ひつ〕なく毋れ、固〔こ〕なる毋れ、我〔が〕なく毋れ、と。
《現代語訳》
〈またあるお弟子さんが、次のように仰れました。〉
〈六十を過ぎたころの〉先師(=孔子)が、〈ご自身に対して、〉次の四つのことを絶つと宣言されていました。
ひとつ、意地を張らないように心掛け、ふたつ、〈若いころに〉決めたことにはこだわらない、みっつ、細かいことに執着しない、よっつ、〈なにごとも〉欲張らない、と。
〈おわり〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
これぞまさに、老子のごとく、『大道を得た』ともいうべき孔子晩年の姿ではないでしょうか。しかしながら、これはあくまで六十を過ぎた孔子自身の宣言のことばであって、若い弟子たちに対することばではなかったとも思われます。
また、この語句を語訳することによって、『還暦を迎える』という意味の深さなんかが伝わってきますし、『無』の境地に達することの意味なんかも、薄々ですが理解できた思いです。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考