論語を現代語訳してみました。
子罕 第九
《原文》
子畏於匡。曰、文王既没、文不在茲乎。天之將喪斯文也、後死者不得與於斯文也。天之未喪斯文也、匡人其如予何。
《翻訳》
子 匡〔きょう〕に畏〔おそ〕る。曰〔のたま〕わく、文王〔ぶんおう〕 既〔すで〕に没〔ぼっ〕したけれども、文〔ぶん〕 茲〔ここ〕に在〔あ〕らずや。天〔てん〕の将〔まさ〕に斯〔こ〕の文を喪〔ほろ〕ぼさんとするや、後死者〔こうししゃ〕は斯文〔しぶん〕に与〔あずか〕るを得〔え〕ず。天の未〔いま〕だ斯文を喪ぼさざるや、匡人〔きょうひと〕 其〔そ〕れ予〔よ〕を如何〔いかん〕せん、と。
《現代語訳》
〈あるお弟子さんが、次のように仰られました。〉
先師(=孔子)らが、陳国の匡の町についたとき、その地の護衛兵に囲まれ、罪なき罪を押し付けられそうになりました。そこで先師は、護衛兵に対して次のように仰られたのでした。
ところで、周の文王は既にこの世の人ではないけれども、文王の目指された "政道" は、この町にはないのか。
〈もし、罪なき罪によって私が刑死し、〉天の将に、この "政道" を滅ぼそうとするのであれば、後世の人はいずれも、この "政道" を知る術〔すべ〕をなくしてしまうのだ。
しかし、天のいまだ、この "政道" を守ろうとしているならば、匡の人よ、文王の意志を引きついでいるこの孔丘〔こうきゅう〕を、いかようにするというか、と。
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
当時、古代文字を読める人物というのは非常に稀な存在で、孔子はその稀なる人物のひとりでもありましたから、文王の政道に限らず、こうした古代のことを知りつくした孔子の存在というのは、ひじょうに大きかったのだと考えられます。
さすがの匡の町の護衛兵も、こうした高い学識と、天命を授かりし人物を、単なるヒト違えだけで刑に処したとなれば、その兵すらも処罰されかねないのですからね。
ちなみに、「罪なき罪」の内容としては、かつて魯の国で乱をおこし、他国へと出奔した陽虎(または陽貨)の容貌に、孔子が似ていたことから、護衛兵が勘違いし、孔子を捉え罰しようとしたということですが、孔子はそれを弁解するために、当時、知名度の高かった文王の名を利用し、その誤解をとこうと考えたのだと思われます。
※ 関連ブログ 文 茲に在らずや
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考