論語を現代語訳してみました。
子罕 第九
《原文》
子曰、麻冕禮也。今也純儉、吾從衆。拜下、禮也。今拜乎上、泰也。雖違衆、吾從下。
《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、麻冕〔まべん〕は礼〔れい〕なり。今や純〔いと〕は倹〔けん〕なれば、吾〔われ〕は衆〔しゅう〕に従〔したが〕わん。下〔しも〕に拝〔はい〕するは、礼なり。今 上〔かみ〕に拝するは、泰〔おごる〕なり。衆に違〔たが〕うと雖〔いえど〕も、吾は下に従わん。
《現代語訳》
孔先生はまた、次のように仰られました。
〈御者や弓術、それ以外の芸をもって政務に携わるとき、〉宮中内においてかぶる冕は、麻製のものだと決められておる。しかし、今や絹糸のほうが安価なので、〈世が乱れ民が貧しくしているのだから、〉私も皆に合わせ絹糸の冕をかぶることにしよう。
そうすることこそが、貧しくしている人に対する礼であり、現在の乱れた世にあって、高貴に振る舞うことは無礼である。
〈いかに〉皆にそれは違う(=決まりに反する)といわれようとも、私は、貧しくとも心豊かにしている人たちに、寄り添っていたいのだよ、と。
〈つづく〉
《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。
魯国を離れ、民に仁徳を広める旅も長きにわたったことで、孔子自身も高齢となり、少しばかりわがままになってきたのかな、とさえ感じられる内容の語訳になってしまいましたが、このころの孔子も六十を過ぎて、七十間近となり、すでに己の心のままにいても矩を越えないようにもなっていたのかもしれませんね。(為政第二『七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず』)
なお、『冕』とは大夫という官職を授かった際に、あたまにかぶる帽子のようなもののこと。
※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考