私たち日本人は"戦争"に対しての恐怖心はあっても、"暴力革命"に対する恐怖心は稀薄なように感じます。
大東亜戦争では、米国による本土空襲、さらには広島・長崎への原爆投下などにより戦争の悲惨さは痛感しています。
しかし、暴力革命に対する悲惨さをわれわれ日本人は知りません。それはわが国の歴史上、革命らしい革命がなかったからであります。
戦争は軍隊と軍隊とが争いますが、革命は国民(市民)と国民(市民)が争います。
軍隊にはきびしい軍律や軍法などがありますが、国民(市民)にはそんなものはありません。
女子供、老人であろうが容赦しない・・・虐殺・強奪は当然のように行われます。
そうした歴史を幾度となくたどってきた西欧人や支那人です。われわれ日本人よりもはるかに、"革命"というものを慎重に捉えているのではないでしょうか。
こうした"革命"を題材にした絵画の数々は、西欧人の心にふかく刻まれていることの顕れではないでしょうか。少なくともわたしはそう感じていますが、なにかしら多くの日本人は、こうした絵画を美化している風にも思えます。
わたしが言いたいこと、それは
無意味な戦争(侵略など)は絶対に起こしてはなりません。
しかし、それと並行して、暴力革命も絶対に起こしてはならない・・・
戦争も革命も体験したことのない、われわれ戦後日本人に、強く訴えていかなければならない思うのであります。
そして、われわれ日本人が目指すべきことは、ビジョンも何もない"改革"や"革命"なんかではなく、真の平和と真の繁栄を前提とした"改善"や"改正"なのです。
[GREE日記 皇紀:2673年6月9日より]
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