和貴の『 以 和 為 貴 』

聖徳太子が目指された世界・・・仏教編


以 和 為 貴


ゆぅすけです。

今回は自身としては、壮大過ぎるとも言えるほどの大妄想をしてみたいと思います。

聖徳太子が目指された世界とは・・・。

私たち日本人の心の奥底に存在します「和の心」というものを全面的に引き出すことで、そんな大妄想も可能というわけであります。

まずは、下の絵画をご覧下さい。
 

この絵画は、四天王寺第百十世出口順得管長作の「聖徳太子曼荼羅」と言われており、作中には聖徳太子を中心として、空海(真言宗)・最澄(天台宗)・法然(浄土宗)・親鸞(浄土真宗)・道元(曹洞宗)・栄西(臨済宗)・日蓮(日蓮宗)・一篇(時宗)という日本仏教の八祖が描かれています。そして、聖徳太子の頭上には「以和為貴」の文字が書かれています。

私がこの絵画をはじめて拝見させて頂いた時(ネット画像ではありますが)は、日本仏教の八大開祖をひと目で拝ませて頂くことに、非常に驚かされたとともに、仏教伝来以前のわが国の精神規範であります「和」の文字が書かれていることにも驚きを隠せませんでした。

八大開祖の共通点としましては、聖徳太子を厚く崇敬されていたことではありますが、何よりも、それぞれの教えの中で、『私が一番偉いのだ。』などとは誰も仰っていないことであります。
 
例えば最澄上人は『聖徳太子の跡を継ぎ天台宗を立宗します』という願文を奉納されました。四天王寺の西門で、夕日の彼方にある西方浄土を想う『日想感』の修行をされたのは空海上人。法然上人も日想感で専修念仏の境地を深めていきます。親鸞上人は太子を賛える多くの和賛を記し、太子を父母のように慕っておられました。その他のご開祖も、太子との仏縁を強調していらっしゃいます。

この絵画の意味するところは、日本仏教の心はひとつ。万が一にも争うようなことがあってはならない。ということです。


日本仏教には「和」の精神が根付くことで、他宗派との争いというものがなくなりました。そうした「和」の精神は、隣近所が違う宗派だとしても、それを批判せず、互いに尊重することで、地域の安定に繋がっていくことにもなります。

もしも、「和」の精神が根付いていなかった場合はどうなっていたでしょうか。おそらくは、多数が占める宗派がその地域を支配し、少数の宗派などとのいざこざが絶えることがなく、地域の安定には遠く及ばなかったことでありましょう。

こうして太子は、仏教を先祖代々の教えと位置づけすることで家族との絆を深め、「和」の精神を以て近隣同士が調和し、そしてより豊かな地域創りを目指されたわけであります。
 

と、ここまでは日本仏教における太子の目指された世界を大妄想してきたわけでありますが、次回は儒教における太子の目指された世界を大妄想してみたいと思います。


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