和貴の『 以 和 為 貴 』

奴隷の鎖自慢

リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)という米國思想家の言葉を紹介します。

「奴隷の鎖自慢」
 
奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。

そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。

そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。
 
過去の奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、奴隷になっても決してその精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、肥え太った主人を血祭りにあげた。

現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。

そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。
 
(1968年、NYハーレムにて)
 

◇ ◇ ◇

自由の国、米国。
1950~1960年当時、白人による黒人に対する迫害行為は目に余るものであり、各地で奴隷解放の運動が行われていたが、当の黒人たち自身には、何かしら鎖を取り払われる恐怖心というものがあったのかも知れない。

いざ解放されても、これからどうやって生きていけば良いのか?そんな一抹の不安もあったのではないでしょうか。


「奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。」


なんとも奥の深~い言葉ですね。

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