和貴の『 以 和 為 貴 』

敬語で話そう!


今回は、『敬語』ということについて自分の考えを纏めてみようと思います。

筆者が『敬語』というものを意識しだしたのは、おそらくは高校生くらいになってからでありまして、それまでは、親兄弟や友人、先生、先輩、近所のおじさんやおばさんなどに対する敬意などという概念もなく育ってまいりました。

高校生になって始めたアルバイト先でも、諸先輩方に対し普通にタメ口でありました。

そんな筆者ではありますが、高校生最後の夏休み、運転免許証を取得するために始めたバイトが、建設関係でした。

親方が昔ながらの母親の知人ということもあり、筆者も幼いころよりすごく可愛がってもらっていましたから、「気楽なバイトやろな~」なんて思っていたのでしたが、初日いきなりからキツーイ言葉を投げかけられたのです。

「おっちゃんって呼ぶな!親方って呼べ!」と・・・。

そこには、幼少から知るおっちゃんの姿はなかったのです。

すかさず「は・・はいっ!!」

「よっしゃ。ほんなら、コーヒー入れてこい。」

「はい!!」

事務所のキッチンに向かい、水切りにおいてあったカップとスプーンを手に取り、コーヒー豆とミルクと砂糖を入れ、ポットからお湯をいれ、親方の方へ持って行きました。

「で、出来ました・・・。」

普段、敬語で話すことに慣れない筆者にとって、とくに幼少から慣れ親しんだ人に対して敬語を使うということについて、とてつもない違和感がありました。

そんな違和感に戸惑っている筆者でしたが、カップを手にした親方が、

「ブラックとちゃうがな!」

「・・・はい。」

「ブラックでええんやど。もういっぱい入れてこい。」

そうです。筆者は親方にいれたコーヒーを、普段、自分が飲むものと同じコーヒーにしてしまったのでした。

すぐさまキッチンに戻り、入れ直しです。

このとき、(ブラックより、ミルクと砂糖いれた方が旨いのに・・・。)過去の筆者自身でありますから、こんなことを心に思いながら二杯目のコーヒーを入れていたことでありましょう。(´-ω-`)

と、それから以降これまで、敬語を深く考えもなしに使い過ごしてまいりました。

そして、『敬語』とは、字のごとく「敬って語れ」ということであります。

そこには、年齢や上下関係、育った環境など関係ありません。

すべての人を敬う意味が込められているのではないだろうかと筆者は思うのです。

それは、これまで『日本のこころ』や『以和為貴』などを深く知ることで得た、自分なりの知識であります。

深く考えもせず、ただただ我が儘放蕩の個人主義に陥っていた過去の自分自身を振り返りますと、決して同じ日本人だとは思えないのであります。


そうした過去の誤った自分自身を振り返ることで、現在が見えてきます。

本来ならば国民のお手本とならなければならないであろう政治や行政に携わる人たちの乱れた言動の数々がそれを物語っているのではありますが、政治家に限っていえば、他党への誹謗中傷を平気で語る議員が目立ちます。

これまで日本共産党はじめ、民進党や社民党の議員さんなどからの与党である自民党に対する中傷誹謗やレッテル張りが凄まじく、これに右に習えのごとく与党や他党の議員さんなどもまた、少数政党への誹謗中傷やレッテル張りが目立つようになってきたように感じて仕方ありません。

安倍総理自身もまた、国会の場での森友・加計に関する野党からの嫌がらせ質疑にまんまと踊らされ、その言動により支持率を低下させてしまいましたが、総理自らが記者会見の場で多くの国民へ謝罪されましたことは、何よりのことだと思いますし、その後の真摯な姿でわが国の安全保障と憲法改正に臨む姿勢に支持率が回復されましたね。

思想信条が違えども、選挙で選ばれた人々はみな民意でありますから、政治家同士が政党批判し合うというのであれば、それはその政党を支持された国民をも侮辱しているとしかいえないのであります。

小選挙区による選挙制度改革云々は元より、政治家が政治家として体を為さねけば、いくら崇高な政策を掲げたところで、次世代に繋がっていくことはないでしょう。

単なる敬語でもって語るのではなく、相手を敬い語り合ってほしいものですし、筆者自身もこれから自らが考え得た『敬語』で以て、多くの方々と話し語りあっていきたいものです。


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