其の進むに與(くみ)するなり
「互郷(ごきょう)與(とも)に言い難し。童子(どうじ)見(まみ)ゆ。門人惑う。子曰(のたま)わく、其の進むに與(ゆる)し、其の退くを與さざるに、唯(ただ)何ぞ甚だしきや。人己を潔くして以て進む。其の潔きを與(ゆる)すは、其の往を保たざればなり。」
■その意味は?
互という郷あたり〔の人〕は、〔評判が悪くて〕ともに話せる相手ではなかった。〔ところが、あるとき、同地の〕学問の心得がまだ浅い初学者が孔子(先生)を訪れ面会した。門人たちは、面会許可をいぶかしく思った。すると孔子(先生)はこう仰った。
『学問を進んで求めることを許し、怠って退くことを許さないのが筋であるのに、お前たちは、〔それを忘れ、互郷の人に対して偏見を持つことの〕なんとまあ、ものすごいものよ。人間が率直な気持ちとなって学問に進むならば、その率直な気持ちを私が〔受け入れ〕許すのは、〔あの若者が〕過去のありかたにしがみつかない〔良いところがある〕からだ。』と。
(加地伸行全訳注「論語」より)
■感想
得てして人は、徒党を組むと、仲間意識が強くなる。そして、自分たちに都合の悪いものに対してあらぬ疑念を抱き、排除しようとする。
ところが、近年は、真面目に生きようとする者が排除されるような風潮が強まったようにも思える。真面目に生きようとする者たちこそが、堂々と胸を張って街を歩ける社会になってほしいものである。