朝(あした)に道を聞けば
「子曰わく、朝に道を聞けば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり。」
■その意味は?
① 朝に人としての真実の道を聞いて知ることができれば、夕方に死んでも悔いはない。
※ 「世の人がすべて道を聞いて行うようになれば、自分はいつ死んでもよい」とする説もある。
(「論語」一日一言より)
② この章は現代語訳をするよりも、原文そのままに訓(よ)むほうが胸に響く。「道」の意味は、読者によってさまざまであろう。人の世の真実、人間として大切なもの、生きてあることの意味、あるいは死への覚悟・・・・・・読者の心に響くものが「道」である。「聞く」は学ぶ、「可」はそれで十分の意味。
(加地伸行全訳注「論語」より)
■感想
孔子(先生)の人柄とも思えるこの一句は、人に厳しくも、さらに己にも厳しくあり、それこそが真の "仁" の道だということを感じさせて頂いた。
まさに命を懸け、人の生きる道とは…。
それで満足ということはないのだ。
「論語」というものを遺してくださったお弟子さんたち、そして、それを脈々と受け継いでくださった先人日本人の方々に対し、深い深い感謝の心を捧げたい。