◆ 新自由主義とポピュリズム〔大衆迎合主義〕との醜い争い
参院選が終わり、各種著名人などが選挙結果についての持論を、あれやこれやと述べている(全部は知らない)が、私自身が強く感じたことは、新興政党〔れいわ新撰組及びNHKから国民を守る党〕に対して、否定的な論調が多いのではないか、というものでした。
特に、れいわ新撰組の代表者である山本太郎氏のことを、かつて多くのドイツ国民から絶大な支持を得たことで、強力な独裁政治を行ったアドルフ・ヒットラーになぞらえ否定する著名人もおり、正直、「おい!否定してそれで終わりか!!」と突っ込みたくなりました。
ヒットラーがナチス総裁になったこと、そして多くのドイツ国民がそれを支持してしまったことなどの検証もないままに、闇雲に「山本太郎はヒットラーの真似事をしているからけしからん」という論調は如何なものかとも考えられるのです。
ここでは、ナチスドイツのことは触れませんが、しかし、こうした単純な論調で以て山本氏を否定することもまた、違った意味での"ポピュリズム"と言えるのではないでしょうか。
このことは、日本の場合を考えてみれば、これまで長く新自由主義〔リベラル〕的なポピュリズム思想が多くを占め、消費増税有りきやデフレ有りきやグローバル化推進が当然のことの様に謳われ、その結果、成長率はほぼ横ばいのままとなり、平均所得は減少、特に精神的経済が崩壊したことによって政治不信が増してしまったと言わざるを得ないのです。しかも、今回の参院選の投票率が過去二番目に低い数字だったといいますが、れいわ新選組やNHKから国民を守る党のような政治団体が出現していなければ、政治不信はさらに増長し、おそらくは過去最低の投票率となっていたのやも知れないのです。
そして、「新自由主義者は売国奴だ」と謂っては蔑み、「ポピュリズムはナチスドイツの到来だ」と言っては蔑む、もはやどっちもどっちの論調であり、しかもそこになんの国家観もありません。あるのはひたすらに個人主義に溺れた者たちの醜い争いだけなのです。
だからといって、れいわ新撰組に一票を投じた人を卑下するつもりはありません。あの公約を見て、どうしても一家を支えなくてならないとする人々の期待感もあったでしょうし、小泉・竹中路線による失政への不満などは、私も同じであります。
しかしながら、冷静に考えてみれば、こうした大衆心情を揺さぶる手法というのは、日本だけでなく、世界の国々の歴史を見てみても実際に行われてきたことであり、「誰が何のために…」と深く考えることで答えが見えてくるものと思います。
MMTの話題として今回は、それを否定する者と肯定する者との違いみたいなことを述べてみましたが、MMTの理論が如何に正論であったにしても、それは諸刃の剣のような存在であるということだけは、肝に銘じておく必要があると思います。
そして、『MMT(現代貨幣理論)を想う』シリーズは一旦、終いとさせていただきます。<(_ _)>