和貴の『 以 和 為 貴 』

論語:子罕第九 〔16〕 出でては公卿に事え、入りては父兄に事う


論語を現代語訳してみました。



子罕 第九

《原文》
子曰、出則事公卿、入則事父兄。喪事不敢不勉。不爲酒困。何有於我哉。

《翻訳》
子 曰〔のたま〕わく、出〔い〕でては則〔すなわ〕ち公卿〔こうけい〕に事〔つか〕え、入〔い〕りては則ち父兄〔ふけい〕に事う。喪事〔そうじ〕は敢〔あ〕えて勉〔つと〕めずんばあらず。酒困〔しゅこん〕を為〔な〕さず。何〔なん〕ぞ我〔われ〕に有らん。 




《現代語訳》


孔先生が、次のように仰られました。


外にあっては、主君や長上の人に仕えては誠実に任務を果たし、内にあっては、父母のお世話をしては真心を尽くす。

また、喪事〔そうごと〕においては、礼節さを保つことに努めなければならない。

その際、酒によるまちがいを犯してもいけない。

〈これまで私は、数十年にもわたって、この決まりを守ってきたのじゃ、これ以上私に、何を求めよというか、と。 





《雑感コーナー》 以上、ご覧いただき有難う御座います。

この語句を語訳するにあたっては、晩年の孔子のことばとして捉え訳してみたのですが、このことは前述の『子 四を絶つ』のなかで、孔子が宣言した内容に「ひとつ、意地を張らないように心掛け、ふたつ、〈若いころに〉決めたことにはこだわらない、みっつ、細かいことに執着しない、よっつ、〈なにごとも〉欲張らない」とありますように、六十を過ぎて大道を得た(=耳に従う)孔子の心情(よろこび)というものが伝わってくる語句ともいえます。

なお『何有於我哉』の語訳については、述而第七『何か我に有らんや』の中でも明記されていますが、このときは、孔子自身が天命を得たときの心情(よろこび)であり、この語句と合わせて、孔子自身のこれまでずっと学を修めつづけられたことへの、喜びのことばだったんだろうと思われます。

つまりは、述而第七では、「天命を知った私だ、他に何を求めよというか」に対して子罕第九では、「大道を得た私だ、これ以上何を求めよというか」ということです。



※ 孔先生とは、孔子のことで、名は孔丘〔こうきゅう〕といい、子は、先生という意味
※ 原文・翻訳の出典は、加地伸行大阪大学名誉教授の『論語 増補版 全訳註』より
※ 現代語訳は、同出典本と伊與田學先生の『論語 一日一言』を主として参考


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