近年、米軍爆撃機による空爆の報道なんかを何度か目にすることがあります。
イラクやシリアなどへの初期攻撃として、まずは爆撃機による空爆を敢行、その後は陸戦へと挑むわけです。
この一連の攻撃のためにはその国の制空権を奪わなければならないため、米国は様々な国に近付き、基地を設けようとします。このことは近代戦争の常勝手段の要とも言えるのではないでしょうか?
さて、同盟国である日本政府は、米国のこうした爆撃攻撃に対し、支持を表明し莫大な資金を米国へ提供しますが、こうした空爆には相手の国に対しての軍需工場やミサイル発射基地や軍部本体をターゲットとする戦術的・戦略的爆撃と、住宅地や商業地をターゲットとする都市型爆撃に分類することが出来るということを私たち日本国民は知らないといけません。
わが国は過去、米軍の大空襲にて、多くの犠牲を被ったわけでありますから、その悲惨さも熟知しているならば、都市への空爆だけは絶対反対の立場を堅持していただきたいと思います。
なぜならば、無差別殺戮というのは絶対あってはならないことですし、「戦争」というものを根底から否定することにもつながります。
そしてなにより、軍律や軍法に従い争うのであれば、都市型爆撃という手段に及ぶはずがありません。
もし仮に、そんな手段を選び戦いに勝ち得たとしても、それは真の"正義"とは言えないのです。
さて終戦間近の昭和19年、米国本土への空爆を考えたと言われる日本人がいます。
中島飛行機創立者で中島知久平という人物であります。
中島飛行機と言えば、戦闘機の開発において、機動性の優れた戦闘機を数多く生み出し、日本軍の勝利に大きく貢献されてきました。
イラクやシリアなどへの初期攻撃として、まずは爆撃機による空爆を敢行、その後は陸戦へと挑むわけです。
この一連の攻撃のためにはその国の制空権を奪わなければならないため、米国は様々な国に近付き、基地を設けようとします。このことは近代戦争の常勝手段の要とも言えるのではないでしょうか?
さて、同盟国である日本政府は、米国のこうした爆撃攻撃に対し、支持を表明し莫大な資金を米国へ提供しますが、こうした空爆には相手の国に対しての軍需工場やミサイル発射基地や軍部本体をターゲットとする戦術的・戦略的爆撃と、住宅地や商業地をターゲットとする都市型爆撃に分類することが出来るということを私たち日本国民は知らないといけません。
わが国は過去、米軍の大空襲にて、多くの犠牲を被ったわけでありますから、その悲惨さも熟知しているならば、都市への空爆だけは絶対反対の立場を堅持していただきたいと思います。
なぜならば、無差別殺戮というのは絶対あってはならないことですし、「戦争」というものを根底から否定することにもつながります。
そしてなにより、軍律や軍法に従い争うのであれば、都市型爆撃という手段に及ぶはずがありません。
もし仮に、そんな手段を選び戦いに勝ち得たとしても、それは真の"正義"とは言えないのです。
さて終戦間近の昭和19年、米国本土への空爆を考えたと言われる日本人がいます。
中島飛行機創立者で中島知久平という人物であります。
中島飛行機と言えば、戦闘機の開発において、機動性の優れた戦闘機を数多く生み出し、日本軍の勝利に大きく貢献されてきました。
しかし、氏は米軍との開戦には消極的な立場ではありましたが、日本軍による真珠湾攻撃と共に、それは前進するより他なくなったのです。
その後、米軍に対する必勝手段として氏は、米国本土への空爆しかないと考え、大型爆撃機の実用化を計るようになります。
当時、米軍では大型爆撃機「B29」の実戦配備に向け、着々とその準備に取りかかっていました。
氏は、B29の性能よりも遥かに上回った超ド級爆撃機の実用化を目指し、技術者たちを集め、その完成を急ぎます。
そして設計図が完成し、東條英機首相の承認を得ると、組立工場の建設(東京都三鷹市=現国際基督教大学)に着手することに成功するも、米国の圧倒的な戦局に伴い、東條英機首相が辞任、氏の夢は断たれることになります。
ここで注目すべきは、氏の考えというものが、あくまでも米国軍需基地のみを空爆するための戦略爆撃機の実用化を目指したということであります。
その中身は、千島列島に爆撃機基地を設け、そこからジェット気流を活用して米国本土を目指し、B29の生産拠点となる工場などを空襲し、その後は当時同盟国であるドイツで給油後、ロシアの軍需基地などを空襲し、そのまま日本本土へ帰還するという計画でありました。
当時、世界の常識外れとも言えるような飛行距離を達成すれば、日本の技術力の高さに世界の人々は度肝を抜かれ、二度と日本に戦いを挑まなかっただろうと思います。
しかしながら、その壮大過ぎるとも言える開発は儚く散ってしまいました。
その後、米軍に対する必勝手段として氏は、米国本土への空爆しかないと考え、大型爆撃機の実用化を計るようになります。
当時、米軍では大型爆撃機「B29」の実戦配備に向け、着々とその準備に取りかかっていました。
氏は、B29の性能よりも遥かに上回った超ド級爆撃機の実用化を目指し、技術者たちを集め、その完成を急ぎます。
そして設計図が完成し、東條英機首相の承認を得ると、組立工場の建設(東京都三鷹市=現国際基督教大学)に着手することに成功するも、米国の圧倒的な戦局に伴い、東條英機首相が辞任、氏の夢は断たれることになります。
ここで注目すべきは、氏の考えというものが、あくまでも米国軍需基地のみを空爆するための戦略爆撃機の実用化を目指したということであります。
その中身は、千島列島に爆撃機基地を設け、そこからジェット気流を活用して米国本土を目指し、B29の生産拠点となる工場などを空襲し、その後は当時同盟国であるドイツで給油後、ロシアの軍需基地などを空襲し、そのまま日本本土へ帰還するという計画でありました。
当時、世界の常識外れとも言えるような飛行距離を達成すれば、日本の技術力の高さに世界の人々は度肝を抜かれ、二度と日本に戦いを挑まなかっただろうと思います。
しかしながら、その壮大過ぎるとも言える開発は儚く散ってしまいました。
昭和54年、日本テレビ系で放映された「さらば空中戦艦富嶽 幻のアメリカ本土空襲」という作品の中で、氏の苦悩と夢が描かれています。
その映像の中で、超ド級爆撃機「富嶽」がニューヨーク市・マンハッタンを空爆するという場面があり、エンパイヤーステイトビル(?)や女神の像を次々に破壊していくのです。
私ははじめ、気持ちがスカッとする想いとともに、『富嶽がもっと早くに実用化されていればなぁ…』という感情を抱きました。
しかしまた、自分自身の心にふとした疑問を抱くことにもなります。
仮想とはいえ、この作品上で富嶽が行ったニューヨーク市に対する空爆攻撃が、B29が実際に行った東京大空襲となんら変わらず、ただの無差別爆撃ではないのか?と。
冒頭にも述べましたように、空爆には戦術的・戦略的爆撃と、都市型爆撃とがあります。そして氏は、戦術的・戦略的爆撃のための超ド級爆撃機の実用化を目指していたわけであります。
ここで、この日本テレビが制作したものと、氏の考え方の違いを、ハッキリ知ることが出来たのです。
日本テレビは何故、「ニューヨーク市を空爆する日本軍」という映像を撮影したのか?軍需基地を空爆する映像だけで良かったのではないか?
まさにメディアの本質を見たように思います。
この作品を見て、スカッとした気持ちのままでいたとするならば、それはメディアの思うツボだと思います。
米軍がわが国に大規模空爆を強行し、多くの民間人犠牲者を出したことは、紛れもない事実でありますが、映像の超ド級爆撃機「富嶽」がニューヨーク市に空爆攻撃するということが、事実でなかったということに安堵感を抱きましたと共に、こうした無差別爆撃行為だけは絶対に許してはならないという思いが強くなりました。
そしてまた現在、反戦活動をする者たちの多くは、単に自分目線でしか戦争を見ておらず、平和をねじ曲げ、自由をねじ曲げ、正義さえもねじ曲げているだけに他ないことを知りました。
そのような活動家がいる限り、殺戮攻撃を正義と称した「悲惨な戦争」はこの世から無くなることはないでしょう。
そうしたことからも、米軍による空爆攻撃の報道を見ても何も感じない日本人がいるとするならば、これもまた「悲惨な戦争」がこの世から無くなることはない、そう感じて仕方ありません。