深刻化する“朝日新聞離れ”「吉田調書」問題で社内は萎縮、気骨ある記者は一掃された
発行部数(年間平均)は2011年度770万部だったが、今年9月度は400万部を割り込んだ(時事通信フォト)
かつて、日本を代表する「クオリティ・ペーパー」として隆盛を誇った朝日新聞の凋落が止まらない。発行部数は全盛期の半分に落ち込んだ。なぜ“天下の朝日”はここまで落ちぶれたのか。【前後編の前編】 【写真】大阪本社が入る中之島フェスティバルタワー。不動産事業が稼ぎ頭に
炎上と抗議が怖い
読者の“朝日新聞離れ”が深刻化している。今年9月度の日本ABC協会のレポートによれば、朝日新聞の発行部数は400万部を割り込み、399万部となった。前年同月比マイナス63万部の大幅減である。 同社の有価証券報告書によると、発行部数(年間平均)は2011年度の770万部から“右肩下がり”を続け、昨年度は455万部だった。 先述のABCレポートでは読売が前年比37万部減の667万部、日経が同15万部減の170万部。各社、軒並み部数を減らしているが、近年の朝日の減少ペースは他紙と比べ抜きん出ている。 朝日離れを加速させた原因のひとつとされるのが、2014年の「慰安婦誤報」問題だ。朝日は2014年8月、戦時中の朝鮮(済州島)で女性を強制連行したとする吉田清治氏の証言を「虚偽」として記事を取り消すなど、1990年代から多く報じてきた「慰安婦問題」に関する誤報を認めた。韓国などでは、一連の朝日報道を証拠のひとつとして日本政府に謝罪や賠償を求めてきた経緯もあり、誤報は多方面に大きな影響を与えた。 朝日の「慰安婦記事撤回」に世間が騒然とするなか、同紙の対応を論じる池上彰氏の連載コラムが掲載拒否されていたことも発覚。同紙の姿勢はさらなる批判を呼び、火に油を注ぐ結果となった。
それだけではない。2014年5月に朝日がスクープした、福島第一原発事故を巡る「吉田調書」報道も同時期に問題化した。 朝日は同原発の吉田昌郎元所長(故人)が政府事故調の聴取に応じた記録を独自に入手。「所員の9割が所長の待機命令に違反して福島第二原発に撤退した」などと事故対応の問題点を報じた。 当時、極限状態のなか命懸けで事故対応にあたった吉田所長以下、所員の評価を覆しかねない記事だっただけに、世論は沸騰。朝日への批判が高まるなか、同年9月、当時の木村伊量社長が緊急記者会見を開き、「吉田調書」問題の責任を取るとして辞意を表明した。
一見すると、社として速やかに誤りを正したかのように見えるが、“現場の考え”は異なる。元朝日新聞記者で「吉田調書」報道のデスクを担当した鮫島浩氏が言う。 「『撤退』や『命令違反』は配慮を欠く表現だったという指摘は理解できます。しかし記事内容はあくまでも事実で、記事全体を取り消して記者を処分したのは過剰でした。当時の木村社長が過去の慰安婦記事や池上コラム掲載拒否で自らに向けられたバッシングに耐え切れず、『吉田調書』に全責任を転嫁して逃げ切ろうとした。社内には萎縮ムードが広がり、気骨ある記者は一掃された」 朝日OBでフリー記者の烏賀陽弘道氏も言う。 「現役社員らに聞くと、今の編集幹部はSNSなどネットの炎上や抗議を過度に恐れ、少しでも物議を醸しそうな記事は『社内検閲担当』の役職者が事前に潰すか、無難な内容に修正しているそうです。2003年の退社後に書いた拙著『「朝日」ともあろうものが。』では朝日の腐敗や怠業ぶりを指摘しました。しかし、彼らは耳を傾けなかった。現在の朝日の衰退ぶりには無力感しかありません」 (後編に続く) ※週刊ポスト2022年11月11日号