「答えは常にそこにある」
今、このblogを読まれている方の中にも、座右の銘をお持ちの方も少なくないと思います。先に紹介した一文は私の銘です。
世の人のこころを知ることは私には及ばないことです。ある人はおぼつかなく、またある人は心強くあります。私はいろいろなことを心配してしまう性分で、心もとなくあるためか、こうだと道を示す人を相手にすると、どうしてもその人の言葉が軽く聞こえてしまいます。道しるべのないときには、その言葉は確かに心強いのです。
私の銘が意味するところは、「理想は常にそこにあり、決して遠いところにあるわけではありません。しかし、ここにあるわけでもないのですよ。」と言葉足らずではありますが、こういったところです。悩みをなくしてくれるわけでもない、困った戒めです。
タイトルにある十二国記は小野不由美さんの著書で悩み多き高校生が主人公のファンタジー小説です。私がこの物語を知ったのは、NHKで深夜に放送しているアニメでした。十二国記を観るために深夜放送を見ていたのではなくて、TECHSIDEでプラネテスが深夜に放送されることを知って、深夜放送を見ていたのです。
プラネテスがはじまるまで、うとうととTVの音を聞いていると、それは凛とした訓示で、「その証として、伏礼を廃す。――これをもって初勅とする。」という台詞にこころが動かされたのです。これはちょうど「風の万里 黎明の空 終章」のラストで、章の佳境でした。作品の内容や訓示については、実際に作品をご覧いただきたいと思います。ここで伝わるのならば、作品は不要です。
景王 陽子の訓示に対する私の感想です。
他者に対しては礼をもって接することは倫理です。それをするかしないかは本人の品性の問題であることも確かです。しかし、世の中はそうではない。王座を血で成すようにです。
礼節を重んじるということは、人の意見を疎かにすることがあってはならない。それにはまず、他者の言葉を一言一句聴くこと、また、他者に対して一言一句伝えることが大切であり、それが品性になるのだと思います。このことをみなが己のこころに対してできるようになるならば、この世の非道も少なくなるのでのしょう。
ファンタジーの世界に海客として渡り、王となった女子高生の中嶋陽子が、どのような国を創るのか、楽俊(らくしゅん)ならずとも気になるところです。
十二国記はファンタジー小説ですから特異な世界観を持っています。
景王 陽子は新参の王で、それを助けたのが隣国雁(えん)の延王 尚隆(しょうりゅう)と雁の麒麟、延麒 六太です。延王は蓬莱(作中 日本)の生まれで、名は小松尚隆。小松家の嫡子でしたが、お家は村上水軍により滅ぼされました。生き残った尚隆は麒麟である延麒 六太に助けられ雁の王となりました。雁の麒麟である延麒 六太も蓬莱の生まれで、応仁の乱による戦乱で衰弱していたところを女仙に助けられ、本来の麒麟の役目を担うこととなります。
元々、麒麟は慈悲深い生き物という設定ではありますが、延麒の国政に対する考えの一部は応仁の乱で民を苦しめた山名氏と細川氏によるようです。
応仁の乱は足利幕府の家督争いが原因で、山名氏と細川氏がそれぞれに義尚と義視を支持したことが争いの一端を担っています。この乱で京の町は幾度となく戦火に包まれました。また、家督争いにより将軍職が空いたことが原因で、盗賊などにより世の中が乱れることにもなりました。応仁の乱は史実ですから、このことがヒントとなって王がいなければ国が乱れるという十二国記の特異な世界観も創られているのではないでしょうか。
アニメの制作はぴえろです。よく知られる作品としては、「ヒカルの碁」「雲のように風のように」などがあり、どちらも十二国記のように中国の色合いがあります。「風のように~」は第1回日本ファンタジーノベル大賞の受賞作で「後宮小説」が原作となっています。
ぴえろという制作会社は中国風の作風に強いのでしょうか、十二国記の背景などの美術はしっかりとしたもので、それを観るだけでも楽しめます。また、音楽もギターのソロのような情緒あるものがあり聞き入ることができます。アニメの品質としても絶品です。
余談ですが、ぴえろが中国風の作風に強いように、その他の制作会社にも個性のような強みがあるようです。プラネテスを制作しているサンライズは「ガンダムシリーズ」で有名ですし、「星界の紋章」「カウボーイビバップ」などのSF宇宙関連の作品が強いようです。アニメ制作会社にも、電機メーカーなどと同じく、分野々々のノウハウが必要なのでしょう。
私のこころを動かすこととなった、凛とした訓示をなされた景王(陽子)のお声は久川綾さんで、ああっ女神さまっのスクルド役を演じておられます。スクルドの声からは想像だにできないお声です。あと、声で気になったのは、楽俊のねずみ声でしょうか
声優はだれ…
わさび
それはドラえもん
しかもネコ
ファンタジーは現実からの逃避です。それでいて現実へのコミットメントでもあります。現実から逃れることで、現実とは異なる理が生まれます。それが現実で成り立つか否かは別として、その理は現実での心理に基づいているのではないでしょうか。
今、このblogを読まれている方の中にも、座右の銘をお持ちの方も少なくないと思います。先に紹介した一文は私の銘です。
世の人のこころを知ることは私には及ばないことです。ある人はおぼつかなく、またある人は心強くあります。私はいろいろなことを心配してしまう性分で、心もとなくあるためか、こうだと道を示す人を相手にすると、どうしてもその人の言葉が軽く聞こえてしまいます。道しるべのないときには、その言葉は確かに心強いのです。
私の銘が意味するところは、「理想は常にそこにあり、決して遠いところにあるわけではありません。しかし、ここにあるわけでもないのですよ。」と言葉足らずではありますが、こういったところです。悩みをなくしてくれるわけでもない、困った戒めです。
タイトルにある十二国記は小野不由美さんの著書で悩み多き高校生が主人公のファンタジー小説です。私がこの物語を知ったのは、NHKで深夜に放送しているアニメでした。十二国記を観るために深夜放送を見ていたのではなくて、TECHSIDEでプラネテスが深夜に放送されることを知って、深夜放送を見ていたのです。
プラネテスがはじまるまで、うとうととTVの音を聞いていると、それは凛とした訓示で、「その証として、伏礼を廃す。――これをもって初勅とする。」という台詞にこころが動かされたのです。これはちょうど「風の万里 黎明の空 終章」のラストで、章の佳境でした。作品の内容や訓示については、実際に作品をご覧いただきたいと思います。ここで伝わるのならば、作品は不要です。
景王 陽子の訓示に対する私の感想です。
他者に対しては礼をもって接することは倫理です。それをするかしないかは本人の品性の問題であることも確かです。しかし、世の中はそうではない。王座を血で成すようにです。
礼節を重んじるということは、人の意見を疎かにすることがあってはならない。それにはまず、他者の言葉を一言一句聴くこと、また、他者に対して一言一句伝えることが大切であり、それが品性になるのだと思います。このことをみなが己のこころに対してできるようになるならば、この世の非道も少なくなるのでのしょう。
ファンタジーの世界に海客として渡り、王となった女子高生の中嶋陽子が、どのような国を創るのか、楽俊(らくしゅん)ならずとも気になるところです。
十二国記はファンタジー小説ですから特異な世界観を持っています。
景王 陽子は新参の王で、それを助けたのが隣国雁(えん)の延王 尚隆(しょうりゅう)と雁の麒麟、延麒 六太です。延王は蓬莱(作中 日本)の生まれで、名は小松尚隆。小松家の嫡子でしたが、お家は村上水軍により滅ぼされました。生き残った尚隆は麒麟である延麒 六太に助けられ雁の王となりました。雁の麒麟である延麒 六太も蓬莱の生まれで、応仁の乱による戦乱で衰弱していたところを女仙に助けられ、本来の麒麟の役目を担うこととなります。
元々、麒麟は慈悲深い生き物という設定ではありますが、延麒の国政に対する考えの一部は応仁の乱で民を苦しめた山名氏と細川氏によるようです。
応仁の乱は足利幕府の家督争いが原因で、山名氏と細川氏がそれぞれに義尚と義視を支持したことが争いの一端を担っています。この乱で京の町は幾度となく戦火に包まれました。また、家督争いにより将軍職が空いたことが原因で、盗賊などにより世の中が乱れることにもなりました。応仁の乱は史実ですから、このことがヒントとなって王がいなければ国が乱れるという十二国記の特異な世界観も創られているのではないでしょうか。
アニメの制作はぴえろです。よく知られる作品としては、「ヒカルの碁」「雲のように風のように」などがあり、どちらも十二国記のように中国の色合いがあります。「風のように~」は第1回日本ファンタジーノベル大賞の受賞作で「後宮小説」が原作となっています。
ぴえろという制作会社は中国風の作風に強いのでしょうか、十二国記の背景などの美術はしっかりとしたもので、それを観るだけでも楽しめます。また、音楽もギターのソロのような情緒あるものがあり聞き入ることができます。アニメの品質としても絶品です。
余談ですが、ぴえろが中国風の作風に強いように、その他の制作会社にも個性のような強みがあるようです。プラネテスを制作しているサンライズは「ガンダムシリーズ」で有名ですし、「星界の紋章」「カウボーイビバップ」などのSF宇宙関連の作品が強いようです。アニメ制作会社にも、電機メーカーなどと同じく、分野々々のノウハウが必要なのでしょう。
私のこころを動かすこととなった、凛とした訓示をなされた景王(陽子)のお声は久川綾さんで、ああっ女神さまっのスクルド役を演じておられます。スクルドの声からは想像だにできないお声です。あと、声で気になったのは、楽俊のねずみ声でしょうか
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声優はだれ…
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ファンタジーは現実からの逃避です。それでいて現実へのコミットメントでもあります。現実から逃れることで、現実とは異なる理が生まれます。それが現実で成り立つか否かは別として、その理は現実での心理に基づいているのではないでしょうか。