このカテゴリのブログは、かなり間が開いてしまいました。1963年のユーロビジョンソングコンテストのフランス語で歌われたポップスの続きです。既に書きましたがこの年のフレンチポップス歌手は実力者ぞろいだったし、曲も後々のヒットとなる名曲が多かったと思います。恐縮ですが前々回の記事を再掲します。
『フランス代表にアラン・バリエール(5位)、モナコ代表にフランソワーズ・アルディ(5位)、ルクセンブルグ代表にナナ・ムスクーリ(8位)、スイス代表にエスター・オリファム(2位)。当時ポップス界で売り出し中の歌手を起用し、フランス語で歌わせたのです。このうち、ナナ・ムスクーリの国籍はギリシア、エスター・オリファムの国籍はイスラエルでした。』ポピュラー音楽の世界では、国境の壁はどんどん消えてゆき、歌手はマーケットとして有力である国や言葉で活躍するようになっていきました。
そのような意味から、当時フランスやフランス語は大きな市場であり多くの歌手(ジャック・ブレルやアダモ、ペトゥラ・クラークなど・・・)はフランス語で歌いフランスでレコードを出していました。
しかし、ビートルズの出現以来多くの国の「若者たち」は英語で歌われる8ビート、16ビートの曲に夢中となりレコードの売り上げは過去とは隔絶した枚数となってきました。
日本のシャンソンファンが毛嫌いしている「イエイエ」の時代は、こうしたイギリス発祥の新しいポップスとそれまで続いていたフランスの栄光との折り合いをつける最後の苦悩だったのかもしれません。それ以降のポピューラーミュージック界は、どのような言葉で歌われるにせよ、そのことが特別にカテゴライズされるような世界ではなくなったように思います。
その様な意味で、この年のフランス語系のポピュラーソングは「上質な歌、上質な音楽」となっていたのではないでしょうか?
で、先ほど紹介した通り、フランス代表は私が大好きなアラン・バリエール。そして曲もアラン・バリエールのファンになるきっかけとなった「Elle était si jolie」です。順位は第5位ですが、そんなことはどうでもよろしい。このブログで取り上げるのも3回目くらいですが、それまたどうでもよろしい。
では、「Elle était si jolie」を
Elle était si jolie