8月6日は広島、8月9日は長崎へ・・・アメリカ合衆国が国際法にも人道にも違反して、市民を標的にした原子爆弾の投下を行った日である。
それぞれ平和記念式典が行われたが、広島はイスラエルの駐日大使を招待し、長崎は招待しなかった。共同通信の報道を引用させていただくと・・・『(駐日英国大使の)ロングボトム氏は広島市で開かれた平和記念式典に出席した。長崎市の対応について「ウクライナ侵攻を理由に招待していないロシア、ベラルーシとイスラエルが同じ扱いとみなされ、誤解を招く。ロシアは主権国家を侵略したが、イスラエルは自衛権を行使している」と批判した。』
また、アメリカのエマニュエル大使は増上寺で行われた追悼式に参列後『「平和は人間の手でつくらなければならない。日米はかつて敵同士だったが、いまは大親友になった。(中略)長崎市長にもレターで伝えたが、岸田文雄首相も参列していることからも、(長崎市側が主張する)安全上の理由ではなく、政治的な決断だと思う」と語った。』
どの国を招待しようと被爆した市の判断であり、原爆を投下した側から言われる筋合いはないのではないか。
特に・・・中東に問題を引き起こした第一の犯人であるイギリスや不法な人殺しを行ったアメリカに、広島・長崎の原爆に関する日本の対応についてこのような発言をする権利はない、と思う。
戦争とは、すべて「自衛のため」「自衛権の行使」と言う理屈の下に行われている。
自衛権の行使ならば一方的な人殺しが許されるのか?パレスチナは主権国家でないから攻撃し人殺しをしても良いのか?パレスチナの人々がイスラエルを攻撃したのも「自衛権の行使」であると主張することに何らの違いはない。
つまり、英国大使の言い分は、パレスチナの人殺しは許されないがイスラエルの人殺しは許される、ということに他ならない。
どんな理屈をこねたとしても、国家が国家の意思として一方の人々を殺害する行為は許されるものではないと思う。
ロシアにせよイスラエルにせよ私から見れば人殺しの国家であることに全く違いはない。
それは、いまだに日本に謝罪していないアメリカも同罪だし、翻って言えばアジアのいくつかの国に「直接」「元首の言葉で」明確な謝罪をしていない日本も同罪である。
特にアメリカ大使は、日本に対しての行動は、沖縄に出向いた際の行動でも明らかなとおり「占領者」としか思えない。いかに言葉で取り繕おうと日本を対等な相手とみていないと感じる。
日本は国家レベルで「一切の戦争、戦闘行為、威嚇行為に反対する」「一切の核は直ちに廃絶すべきである」という立場を確立し、「一切の国の別なく」主張すべきであると思う・・・のだが。