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1964年が終わり、1965年のユーロビジョンソングコンテスト、フランス語で歌われた「フレンチポップス」。
1964年は何度も書いた通り、イタリア代表ジリオラ・チンクェッテイの
「Non ho l'età」(邦題:夢見る想い)が席巻した年。
続く1965年は、ルクセンブルグ代表で出場したフランス・ギャルの「Poupée de cire, poupée de son」(邦題:夢見るシャンソン人形)が優勝し大ヒットの年になった。
(余談だが、この年代の少女は何を夢見ていたのだろうか・・・)
この曲はセルジュ・ゲーンズブールが作詞作曲しているが、1965年3月に開催(イタリア ナポリ)されたコンテストのリハーサルでゲーンズブールとオーケストラが対立してルクセンブルグが撤退するか・・・という騒動になってしまったが、結果的にはゲーンズブールが折れてコンテストに参加したのは有名な話である。フランス・ギャルもかなり動揺したようで、コンテスト本番の映像を見れば、出だしは全く外しているのが素人の私でもわかるほど。
また、後の「Les sucettes」 程ではないにしても、あまりアイドル歌手に歌わせるような歌詞ではない・・・ということで、日本の訳詞も色々難しかったようである。
いずれにしても、中学生からシャンソンが好きになっていたが、この曲を聴いてレコードを買って・・・とにかくフレンチポップスにというかフランス・ギャルに夢中になったのであった。
私もまた「夢みる男の子」だったようだ、今思えば・・・
France Gall "Poupée de cire, poupée de son" Eurovision 1965 | Archive INA