公募展に出品する絵を描いている家内が所属する絵画団体の研究会に出席するので、何度かドライバーとして都内に出かけましたが、やはり都内で車を運転するのは田舎者には疲れますね。
少し季節がずれてしまうかもしれませんが、ウオーキングや街歩きは別項にします。
今回取り上げるノエル・コルディエですが、以前は日本でもそこそこ名前を知られていた歌手ですね。1970年にフランク・プウルセル楽団が来日した時に楽団歌手として初来日しているとのことです。
話題はそれますが、レコードのライナーノートには結構いい加減な内容のものも多かったようですね。日本で、過去の有名なシャンソンをカヴァーしたアルバム『珠玉のシャンソンを歌う』というLPのライナーノートは蘆原英了さんが書いています。芦原さんの書いたものは絶対の信頼が置けるものでした。ですから、このブログでも蘆原英了さんの文章で確認できる内容のものは自信をもって記載することができます。
さて、今日の曲は、1970年ユーロビジョン・ソング・コンテストに向けたフランス国内選考で、最終の4曲に残った曲だそうです。『ファイナリスト』という感じでしょうか?
この年のフランスの参加曲 ギイ・ボネの「Marie-Blanche」でしたが、残念ながら日本ではヒットしなかったかな?なお、優勝曲はダナが歌った「若葉の季節」でしたね、これは日本でもかなりのヒットになったという記憶があります。
ノエルコルディエは、1944年のパリ生まれですから現在では70歳を超えています。
1967年のユーロビジョンにフランス代表で参加「Il doit faire beau là-bas」日本語に訳せば・・・(貴方がいる)そちらはきっと良い天気のはずね・・・という感じでしょうか? で3位でした。ちなみに、1位はサンディ・ショーの「Puppet on a String」(邦題:恋の操り人形)で、4位がヴィッキーの「L'amour est bleu」(邦題:恋は水色)でした。この「Il doit faire beau là-bas」はしっとりとした佳曲ですが、ポップなサンデイ・ショーとヴィッキーの曲に比べれば地味な印象があります。
ご紹介する「Comme on pourrait s'aimer」(邦題:消え去りし恋人)は、レコードではなく先ほど触れた蘆原英了さんの『午後のシャンソン』の時間に紹介されエアチェックしたカセットテープがあります。印象的なこの歌がノエル・コルディエの名前とともに記憶に残っています。
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