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最近、ようやく自分の俳句の表現が落ち着いてきたように思う、自己満足なのだが。本当に素直に自分の感興、や感動、悲しみとか苦しみとかに向き合っているかと問われれば、決して十分ではないし、若かりし頃のように何のバイアスもなしに物事を見つめられていないのだろう。
しかし、ようやくにではあるが、句作をし推敲しているときに、様々な「てらい」のようなものや無駄な肩肘や見得が少し無くなってきたからだろうか。
私の所属する句会は、伝統的な方向・・・主宰ははっきりと述べたりはしないが、添削や句評、あるいは俳人の好悪を見れば・・・にあるが、少しく不満がある。かといって、抽象度の高い言葉を駆使したりそうした言葉の二物衝撃を受け止められるような感性の方向も無さそうだ。
これまで惹かれた俳人は、加藤楸邨、山口誓子などだが、最近は、抜井諒一さんや小川軽舟さんの句がとても気に入っていてこんな句を作れたらと思う。その一方では堀田季何さんの感性が欲しいとも思う・・・
以上無い物ねだりではある。
2月号のカドカワ「俳句」の選に入った句があった。もう「未発表の句」ではないが、ご批判を頂ければ本当にありがたい。まだまだ推敲したい。
夏井いつき選 題詠「方」
湯豆腐や正方形の父ありき
小林貴子選
夢に来る人も減つたる夜長かな
野中亮介選
鎌鼬癌のはらわた削らるる