1964年はカンツオーネが日本の若い世代にも大々的に広がった年なのでしょう。ジリオラ・チンクェッティが男子中学生の間で人気でしたし、シルビィ・ヴァルタンもその金髪姿が大人気でした。
この曲も、英語以外の外国語には全く知識がなかった中学校の教室でも結構話題になっていましたね。
当時のヒットチャートの記録が分かるサイトがありましたが、我々のような当時のティンーンエイジャーは外国もののポップスが人気でした。とはいえ日本のアイドル(御三家、新御三家なんて言葉もありましたね・・・)も大変な人気でしたが、中尾ミエやザ・ピーナッツ、ジャニーズなどもアメリカのヒット曲やカンツォーネなどのカヴァー曲が大変に大カット時代でもありました。
その後の高度成長時期になって、日本のグループサウンズなど、ようやく感覚が変化してきた若者を対象にしたさまざまな『遊ぶもの』が沢山出てきました。大きな変化の時代だったようですね。
全く知らなかったのですが、このグループは「ロス・マルチェロス・フェリアル」というのだそうですね。いかにもスペイン語圏グループのような名前ですが、1962年にレコード会社がミラノのクラブで演奏していたミュージシャンをスカウトしてグループを作らせたのだそうですね・・・ごく最近知ったことです。
写真は日本で1965年2月に出た「アンジェリータ」のジャケットですが、私がが持っているのは
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/03/cdf217ff4ed63eec6d85d1a30942ff55.jpg)
冒頭の2月発売版のジャケットは夏のディスクフェスティバルで優勝した「褐色の女」のものの流用だそうです。これまた知りませんでした。