有季か無季か・・・そんな議論もあるように、俳句の世界では「季語」を大切にします。「季語」は日本人の感性の中に深く根付いた季節感を見事に表現しますから、季語一つを提示すれば日本人はその奥にある深々とした世界を共有できます。その意味ではくだくだしい説明なしに感性を刺激できます。
今月の句会に提示された季語は「初筑波」「注連飾」「初夢」「福寿草」の4つ。これらのうち二つ程度は必ず使って6句持ってくるように・・・という形で進められています。
ですので、他に「冬」もしくは「新年」の季語を使って句を作っても良い訳です。
そこで、以前映像で見たのですが、「氷柱」に星が映っている印象的な光景で一句作りたいと思いました。
氷柱は、子供の頃毎朝見かけましたし、井戸端が氷柱に覆われていると、急いでお湯を沸かして井戸のポンプに掛けたりしたものです。最近はスキーに行った時ぐらいしか見かけなくなりました。
星はというと・・・つい先月(12月)、双子座流星群を一所懸命に見ておりました・・・一所懸命と書きましたが、空を大きく捉えられるように焦点を絞ると言うより何となく見ているのが良いですね。そうだ、緑内障の視野検査に似ている・・・。
ただ、ここで俳句を作る方は直ぐお分かりですね、「氷柱」は勿論冬の季語ですが「流れ星」「流星」「流星群」などは秋の季語です。
ということでこれは「季重なり」になりますよね?しかし、星は季節を問わずに存在するものです。しかし、星を愛でるのは秋(旧暦の8月~10月)、七夕以降でしょうか?流星群もペルセウス座流星群は旧暦の七夕過ぎですけれど・・・
冬の季語では「寒星」「枯木星」などがありますが、いずれにせよ氷柱に光る星や氷柱越しに見る星を俳句に詠むのは一工夫も二工夫も必要ですね。
「季重なり」は相当の実力を付けてから・・・と言われるのはよく分かります。これを俳句の面白さというのか不自由というのか、まだ発言できるだけの力はなさそうです。