南湖を西に歩くと、南湖神社と翠楽苑がある。
南湖神社は松平定信が祭られている。
その建設を支援したことで、渋沢栄一にも触れられている。
士民分け隔てなく公園を開設したからか。
田沼意次の商人政治を引き締める寛政の改革を行った松平定信と渋沢栄一の組み合わせは少し不思議だ。
しかしこんなところが重要なのかもしれない。
現在の南湖公園の交流センターである翠楽苑。
南湖公園が大宇宙であるとしたら、翠楽苑は小宇宙といったところである。
どことなく水戸の偕楽園と千波湖の関係を連想させる。
が、偕楽園のように借景になっているわけではない。
翠楽苑は水源から海への流れを表現している造園という感じだが、この形はよくあるものだろう。
庭園は緩やかに登っていくが
この庭の特徴はつつじだろうか、刈込が造園の重要なアクセントとなっているようだ。
松平定信の時代は天明の大飢饉の時代だった。
ここで昨日の小峰城がフラッシュバックする。
こうした時代、防御施設でもあり、役所でもあった城にはどんなドラマがあったのだろう。
南湖の西岸を歩き、一周した。
白河の町は関東と奥州を分ける境の町である。
歌人たちの夢の土地でもあった。
いささか壮大すぎて、とらえどころがなくなっている。
それが、この町の個性を説明することを難しくしているようだ。
宇都宮と郡山の間にある通過駅とされているのも残念なところだ。
城下町と南湖を結ぶ線の間に何かあるといいのかもしれない。
いろんな白河ラーメンを1か所で試食できれば旅人もありがたいかも。
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