BBの覚醒記録 

無知から覚醒に至る一つの記録です。「是々非々」がモットーで必要なら、
支持する政治家や弥栄を願う皇室への批判も厭わず。

「平成流」は皇室の堕落です

2018-10-21 | 売国奴

 

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平成皇室の「発言する存在」皇后美智子さまは、何を語ってこられたのか


10/20(土) 12:00配信
 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181020-00009374-bunshun-soci&p=1


「皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした。与えられた義務を果たしつつ、その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく――そうした日々を重ねて、60年という歳月が流れたように思います」

 今日、84歳のお誕生日を迎えられた美智子さま。今年のお誕生日に際した文書回答ではこのようなお言葉で、現在のご心境を述べられた。

  2018年の皇室の大きな話題であった眞子さまのご結婚延期に関連して、宮内庁が5月に発表した「眞子内親王殿下に関する最近の週刊誌報道について」の中では、「皇后さまは、これまでもご家族のどなたかが苦しい状況におありの時は必ず、それは家族全体の苦しみだからと言われ、心配しつつ見守ってこられました」とあり、

BB:皇太子殿下もそうですが、「家族」とおっしゃる。家族でしょうか? 昭和の御代まで本来皇族は家族という観念は薄く、もっと別の存在であったと思います。
家族という言葉に先んじて「国家」や「国民」が先行する存在でした。

 

そのお言葉は、雅子さまが長期療養に入られた頃の文書回答とも重なる。美智子さまは、皇太子妃時代から「発言する存在」として、どのような足跡を残してこられたのか。会見記録や文書回答を読み解きながら、象徴天皇制を研究する河西秀哉氏があらためて振り返る。

BB:皇太子妃が「発言する存在」になったのも、美智子さまからです。
何の資格で、何を目的のご発言でしょうか?

◆ ◆ ◆
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「人々への配慮」と「家族への視点」
 
 10月20日、皇后は84歳の誕生日を迎えた。皇后は誕生日に際して、近年、長い文書回答を寄せており、特にその言葉で注目されるのが、「人々への配慮」と「家族への視点」だと思われる。

  例えば、「長い年月、ひたすら象徴のあるべき姿を求めてここまで歩まれた陛下が、御高齢となられた今、しばらくの安息の日々をお持ちになれるということに計りしれぬ大きな安らぎを覚え」という2017年の誕生日の言葉に代表されるように、夫である天皇の健康を常に気にかけ、それを助けてくれる人々への感謝の言葉がある。

BB:象徴のあるべき姿など、模索するほどのことではありません。祭祀をなさりあとは国事行為のみ。その余のことは私的行動でしかありません。象徴とは何ら関係のないことです。政治外交がまつわるご発言は、象徴の域からの逸脱です。

 

それぞれの人々への配慮は、国民一人ひとりを意識する「平成流」の思想がそのまま言葉として表れているのだろう。

BB:平成流は無用です。代々受け継がれた「皇室流」をお守りくださればよいだけのこと。

その年に活躍した人々や亡くなった人々について言及し、その人たちの功績を称える言葉も近年、多くなっている。2016年の誕生日の言葉では「長年皇室を支えてくれた藤森昭一元宮内庁長官や金澤一郎元皇室医務主管」に言及しているが、それはやはり夫である天皇を助けてくれた人々への感謝や配慮があるのだろう。

BB:身近に尽くしてくれた「人々」への思いはおありでも、国民への感謝や配慮は口にされません。心配も。しかし皇室を本当の意味でお支えしているのが、その金銭面も含めて国民です。国民なくして皇室はありません。

  それだけではなく、「身内では9月に、初孫としてその成長を大切に見守ってきた秋篠宮家の長女眞子と小室圭さんとの婚約が内定し、その発表後程なく、妹の佳子が留学先のリーズ大学に発っていきました」(2017年)など、孫世代の皇族の成長に関する文言も近年になってずいぶんと増えてきた。

  2004年には雅子皇太子妃の長期の静養に関して、次のような言葉を述べている。

 「家族の中に苦しんでいる人があることは、家族全員の悲しみであり、私だけではなく、家族の皆が、東宮妃の回復を願い、助けになりたいと望んでいます。宮内庁の人々にも心労をかけました。庁内の人々、とりわけ東宮職の人々が、これからもどうか東宮妃の回復にむけ、力となってくれることを望んでいます」

BB:迷惑を被っているのは、まず国民ですよ? 雅子妃は家族という概念の前に、皇太子妃というお役目に位置づけされるお方です。
家族全員の悲しみとおっしゃる以前に、国民の心配や不安、そして迷惑、怒りに思いは至らないのでしょうか。皇太子妃が神域を拒否なさることなどが、本来皇后としてはまず思いを致すところであるはず。国民に不安を抱かせていることへの、御心はないのでしょうか。あの皇太子妃をずっと受け入れている国民への感謝のお言葉は?
あんな女性を入内させてしまったことへの、反省は言葉に出さずとももしおありなら、お言葉に滲むでしょう。

  ここでは、長期療養中の雅子妃に対する「家族への視点」とともに、それを支える宮内庁の「人々への配慮」を見ることができる。美智子皇后の言葉にはそうした視点があふれている。

BB:宮内庁の人々への配慮はあっても、国民への配慮はおありにならない・・・・。

 


当時の新聞や雑誌などに掲載されていないご発言も
 
 ところで、美智子皇后はいつからこのような発言をするようになったのだろうか。現在は品切れになって古本でしか手に入らないが、現在の天皇制を考える上でとても興味深い本がある。薗部英一編『新天皇家の自画像』(文春文庫、1989年)という本である。昭和の時代の明仁皇太子(現天皇)、美智子皇太子妃(現皇后)、徳仁親王(現皇太子)、文仁親王(現秋篠宮)の記者会見・発言を集大成した本で、その時々の彼らの肉声が収録されている。当時の新聞や雑誌などに掲載されていない発言もこの本のなかにはあり、貴重な歴史資料でもある。皇室のあり方、家庭生活、公害などの社会問題など、様々な事柄についての語りは、いわゆる「平成流」の原点とも言えるような内容を含んでいる。

BB:その「平成流」こそが現在の皇室の抱えている問題の原点ではないでしょうか。
祭祀の軽視、家族という小規模単位優先で、国家国民はそこにはない。

  さて、このなかには、美智子妃の記者会見などでの発言も収録されている。皇太子夫妻は1960年の初めての外遊以降、基本的にはそのたびごとに会見を行っていたため、外遊を繰り返す二人がメディアの前に立って肉声を伝える機会は多かった。その時の話題は外遊先のことのみならず、家庭生活や子どものことなど多岐にわたっており、皇太子一家の様子を伝える場となった。『新天皇家の自画像』にも、その記者会見の様子が収録されている。

BB:饒舌な発信者でいらした皇后陛下が、ローマ法王のもとをわざわざお訪ねになられた時のことを記者会会見で訊かれ、それに対してはヒステリックな拒絶反応を示され、質問の外人記者を辱められ、記者たちに「美智子さんは、やっぱりこわい」という感想を述べさせました。
宮内庁から前もって聞かされていた質問内容とは異なるということを理由での拒絶でしたが、単に肉声で簡略に答えられればよかったこと、一番痛い点をつかれての取り乱しようではなかったでしょうか。
誕生日談話も、文書で出されるようになり肉声を用心深く避けるようになられ、皇后陛下流の模範解答で談話を出されるようになり、そこに質問の自由はありません。

  1960年9月19日、アメリカ訪問前に行われた記者会見では、「留守中の浩宮様が心配ですね」と記者に尋ねられた美智子妃は、「生まれてからずっと世話してくれた人がいるし、心配はありません」と述べて「人々への配慮」を示しつつ、自身の声を吹き込んだテープを残して聞かせてもらうようにしたとも答えている。皇太子妃としての公務をこなさなければならないなか、一方で育児をできるだけ自分たちで行うとする姿勢(「家族への視点」)を示したものと言える。

BB:その家族の視点とやらで、東宮では内親王に「パパ」「ママ」と呼ばせ、皇太子殿下は口を開けば「雅子が」「愛子が」しかおっしゃいません。国家も国民も不在の勘違い。ご自分たちのポジションを、一体何とお心得なのでしょうか。

  同じ会見では、「妃殿下は最近やせておられますが」と記者に尋ねられている。民間から皇室に入って苦労しているのではないか、記者の問いの意図はそこにあった。これに対して美智子妃は、「一児の母ともなると、あまりふとってはいられません」と答えた。記者の質問意図を充分に意識しながら、それに基づいて答えては軋轢が生じるため、子育てという観点にあえてずらしてユニークに回答したのである。

BB:自らの手での育児を強調されるのに、その子育ては皇太子に関しては見事な失敗。皇室になぜ乳母(めのと)制度があったのか、それは世間一般の親子の範疇ではない、別格の独立した特殊な存在をお育てするための制度でした。それを壊されたのが皇后陛下です。その結果が、今のていたらく・・・もとい、状態です。

  また、美智子皇太子妃は1963年に流産し、その後の静養が終了した翌年2月、浩宮の4歳の誕生日を前に単独で記者会見を行った。これは宮内記者会の希望で開かれたもので、美智子妃の回復した姿を人々に伝えることに繋がった。このように皇太子妃が単独で会見を開くのは異例であった。話題は浩宮について限定されていたものの、最後に美智子妃が「私の健康のことでご心配をかけました国民の皆さんによろしく」と伝え、この言葉が皇太子一家の遊ぶ写真とともに報道された。美智子妃は「人々への配慮」に言及しつつ、子どもの成長と家庭的な一家像(「家族への視点」)を表出させたのである。

BB:皇室に「子供の成長」や「家庭的な一家像」は必要ありません。
それをお求めになりたければ、皇籍を離れねば。一般国民と同じ「家庭」や「家族」を望まれるなら。皇太子妃の時代にその選択はありました。でもそれは、選ばれませんでした。

 

メディアを通してご自身の意見を伝えられた美智子さま
 
 そして、1971年ごろからは毎年ではないものの、美智子妃の誕生日を前に単独での記者会見が実施されるようになる。それまでも、皇太子の誕生日会見は行われていたものの、皇后にはその機会がなかったため、皇太子妃の会見が行われるというのはこれまた異例のことであった。

BB:天皇ありて皇后、皇太子ありてこその皇太子妃です。単独で会見を持ったことから、また何かが壊れ始めました。

美智子妃はこの記者会見のなかで、1年間の自身の生活、読書や思考、家族への思いなど多岐にわたる話題に回答している。また、天皇制(皇室)のあり方について問われた時には「時代の流れとともに、形の上ではいろいろな変化があるでしょうが、私は本質的には変わらないと思います」と、自身の考えについても明確に表明している(1981年10月8日記者会見)。

BB;いいえ、本質的変化を見せています。それは平成になってから顕著です。
皇后が天皇より高い位置の大きなお手振り、皇太子妃は皇太子の前を歩く、などなど。天皇がお言葉を発している間の低頭を廃絶されたのは美智子さま。
大体、「皇后の考え」とは一体何でしょうか。
皇室は、神道の祭祀王で本来成り立っているものです。宮司をさしおいて、巫女が意見表明をするごとき筋違い。

  こうした記者会見では、現在に比べて記者の問いはかなり厳しく、突っ込みが激しかった。例えば「お子様達から悩みを打ち明けられることは」と尋ねられた時、それに対して美智子妃は「浩宮も年頃ですから、時に相談を受けますが、それをいったら叱られます(笑い)」(1976年10月18日記者会見)と当意即妙に、また先にも示したようにユーモアを持って回答しており、皇太子妃時代より、メディアを通して自身の意見を伝える新しい皇族女性としての像を確立していた。

BB:メディアを通して・・・。はい、随分お上手に使いこなしておいでですが、騙されない国民も少しずつですが増えています。メディアを使う皇后とは何でしょうか。何のために?
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復活しなかった美智子さまの記者会見
 
 皇太子妃時代の誕生日前の記者会見は昭和天皇の闘病時に中止され、その後皇后となってもそれは復活しなかった。1991年からは宮内記者会の質問に文書で回答するようになったものの、これまでの皇后は単独で誕生日の記者会見をしていないとの理由から会見は開催されなくなった。

BB:そもそも皇后はご自分の意見を発表する地位にはありません。

メディア側はその後も単独の会見を求めているが、美智子皇后は自身の言葉で話すことの難しさを強調してそれには応じていない。つまり皇后の生の声が人々に伝えられるのは、外遊時、天皇の即位・10年・20年の節目、そして結婚50年目に限定され、しかも天皇・皇后そろっての場合のみであった。

  また美智子皇后は明仁天皇と一緒に会見する時、必ず天皇を立てながら回答している。たとえば、記者からの質問に対して天皇が答えた後、皇后は「陛下が仰せになりましたように」という文言を最初に述べてから自身の回答を述べることが多い(1999年11月10日)。つまり、自分の意見は天皇とともにあることを強調しているとも言える。夫である明仁天皇という存在を立てる配慮(「家族への視点」)と言えるだろうか。美智子皇后の言葉からは天皇の妻として自分がいる、そうした意図が感じられる。

BB:「夫」「妻」というメディアの認識もおかしいけれど、そう仕向けて来たのは皇后陛下ではなかったでしょうか。単に言葉の上で「夫である天皇」を立てていても、現在実権を握って皇室ヒェラルキーの頂点におわすのは皇后陛下です。
「あちら(皇后陛下)は、どう言っているの?」となぜ天皇が皇后の気持ちを忖度せねばならないのでしょう。


文書回答では、思いを率直に述べられるように

BB:言葉を前もって選んでの生前とした文書を「率直」とは言いません。
また皇后に一個人の率直さは本来、不要です。

 
 そうした配慮は平成を通じて貫かれている一方、皇后の言葉には次第に変化した部分もある。誕生日の文書回答は、平成の初期は非常に短いもので、箇条的に答えるものも多かった。ところが、1993年に起きた自身へのバッシング報道に対しては、「事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます」と明確に反論したのである。これ以降、徐々にその回答が長い文章となり、文字数も増えてくる。

BB:皇后が下々の読む女性週刊誌など、目も皿に読むべきではありません。
そして、それはエスカレート、自己美化のために利用されるに至っています。

  また、次第に自身の思いを率直に吐露し始めるようになる。明治の自由民権運動期に生まれた憲法私案「五日市憲法草案」について、「近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした」(2013年)と言及した点は、改憲論議が続く現在の状況への批判的な眼があったように思われる。一方で、「人々への配慮」や「家族への視点」も増えてきたのは先に述べた通りである。

BB:憲法改正の反対の論拠としての、人権を全面に打ち出した五日市憲法など持ち出して、現内閣や与党への間接的異議は、厳に慎むべきではないでしょうか。皇后は言論人ではありません。人権という言葉は、現代日本ではその言葉の本来の意味を喪失、左翼用語に変質してしまっています。

付記 そう言えば、皇后陛下は昨年の誕生日文書で、ノーベル平和賞に「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」が選ばれたことを取り上げていらっしゃいました。無論、称賛の意味に於いてです。ことの是非はともかくとして、一貫して皇后の言語には(左翼的意味においての)「反戦」「平和」があり、それは取りも直さず(左翼的立ち位置からの)安倍政権への批判であり、皇后が口出ししてはならない領域ではないでしょうか。

  皇太子妃時代よりよく「発言する存在」として常にあった美智子皇后は、皇后になっても文章という形に変わったが、そのあり方は基本的には変化していない。近現代史上、最もメディアにその一挙手一投足が注目されてきた皇太子妃・皇后。彼女のその後はどう展開していくのだろうか。

BB:「発言する存在」を皇室が必要としているでしょうか。
それは天皇陛下も同じく。一にも二にも祭祀。そして最小限の国事行為を。
その余のこと、被災地訪問や慰霊の旅など、本来の皇族には全く求められてはいません。天皇皇后両陛下が慈善家である必要も運動家である必要もありません。
まして被災地訪問をあたかも一つのショーとしてDVD化、皇居内にある菊葉文化協会が販売するなど。その利益はどこへ?
GHQの由来の自虐史観ベースの海外への慰霊が果たして、慰霊になるでしょうか?
朝鮮人慰霊碑にゲリラ参拝、常に反省と謝罪の言葉がつきまとい「A級戦犯」などと英霊を犯罪者扱いしての、慰霊とは何でしょうか?
政治や外交へのコメンテーターでもありません。平成になってから、皇室は矮小化しました。

訪れた土地をピンで刺し貫き、眺めて談笑される。
何の意味があるのでしょう? それをわざわざ撮らせて国民にアピール?
何の感慨も湧きません。まるで挑戦・征服ゲームみたいなツアーより、
祭祀をどうぞ。

春季皇霊祭・春季神殿祭は雅子妃と共にご欠席。秋季も。
それでいて前日のコンサートにはお出かけ。

ピンで指したエリアの幾つかは菊葉文化協会なる皇居内にある組織でDVDとして商品化され、その少なくはなかろう売り上げの行方が被災地支援であった・・・・という話は聞きません。

皇后陛下の政治発言は、なりませぬ。憲法違反です。

2017-10-30 06:40:53 

皇后陛下は左翼でいらっしゃる、という現実をまだ直視できないあなたに

2017-10-28 09:36:56 

祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え 

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