心の音

日々感じたこと、思ったことなど、心の中で音を奏でたことや、心に残っている言葉等を書いてみたいと思います。

福岡ソフトバンクホークス川崎宗則物語4

2005-02-26 16:28:59 | Weblog
 西日本スポーツの連載記事(2月23日)を要約します。 
1「源流」
 重富少年野球の元監督・緒方さんは「私にとっても忘れられない子でしてね。野球を教えていて、こちらが楽しくなるというのか、いい思いをさせてくれました」と語る。19年に及んだ指導暦の中で、ひときわ強い輝きを放っていた俊足プレーヤー。それはまさしく、のちの盗塁王の源流でもあった。
 自らのもとを巣立った中から初めてプロ選手が誕生した1999年の秋、すでに監督を引退していた緒方さんは、改めて川崎の戦績をひもといてみた。するとそこに、身をもって感じていた才能が数字となって浮かび上がった。
 投手と打者で、チームをグイグイ引っ張っていた少年時代。「私もびっくりしたんですが、盗塁が144もあったのですよ。100個を超える選手なんてそうそういない」。3年からの4年間通算で、投手としては82試合60勝13敗2分け。当時は右打ちだった打撃でも315試合で、打率337と大活躍していたが、川崎の代名詞として、チームメイトが何より強烈に覚えていたものが「足」だった。
2「オール1位」
 相手チームの監督からは「申し訳ないが、一度は川崎クン抜きで試合をさせてくれないか」と本気で申し込まれた。塁に出れば走る。1本のヒットでホームに帰ってきてしまう。内野を守らせれば、外野へ抜けそうな当たりにも追いついて、アウトにしてしまう。「審判にも‘ちょっとレベルが違いすぎる‘と驚かれて。それくらい相手にも嫌がられていました」。これこそが緒方さんのワクワクの最大の理由。守備練習では、ほとんどの打球をさばいてしまうため、どこへノックを打てば、川崎が捕れないかも研究した。ほかの選手にはちょっとない魅力に、ノックする手にも自然と力がこもった。
 ずっと主役だった。運動会の短距離走では1位が指定席。6年間、ほかの誰にもゴールテープは切らせなかった。最後の運動会となった6年の時、「今年も1位だと、ずっと1位だろう」とプレッシャーをかけられたが「緊張したけど、楽しかった。走っている間がこんなに短く感じたのは初めて」。両親にはこんなセリフを持ちかえり、野球で磨きをかけた俊足の貫禄を見せつけた。
 野球を始めてスピードに乗ったのは足だけではない。チームの中心選手としてのリーダーシップ。重富小のグラウンドで今も活躍しているバックネット。これは10数年前、当時の教え子達が「手作り」で完成させたものだ。「業者に頼むより、自分たちでやったほうが、教育のためにもいいと思ったんです。その作業の中で、先頭でみんなを動かしていたのが宗でした」
3「雁の巣訪れ」
 当時からだれにも負けない練習量をこなしていた川崎は、自分で考えた練習メニューを積極的に仲間に提案。「次はこういう練習をしようよ、とか、自分なりによく考えてやっていた。そんな性格だから、子ども達も宗の周りに集まってきていました」
 小学校最後の夏、福岡の海の中道で行われた少年野球九州大会。見事に準優勝に輝いたこの時、川崎は会場のすぐ隣、ホークスの2軍の本拠地、雁の巣球場に行った。「監督、内之倉選手がいる。すごく大きいよって、本当にうれしそうな顔で戻ってきて。準優勝したことよりうれしかったんじゃないでしょうか」と緒方さん。初めて間近で目にしたプロ野球選手。貫禄。風格。そしてかっこよさ。その光景を、12歳の少年は強い意志をもってしっかりとまぶたに焼き付けた。
 卒業間近、小学校最後の文集に、自らの歩みを振り返った上で最後に「まあ、そういうのがきっかけで、プロ野球の選手になりたいと思いました。でも、そう簡単にはなれないので、これからもがんばっていきたいと思います」
 目標は定まった。6年時、完全試合の実績を残して投手としての歴史にはピリオドを打った。野球一本、野手一本。地に足をつけて、大いなる挑戦が始まった。(山本泰明氏の記事より)

映画「レイ」を観ました。

2005-02-26 15:39:16 | Weblog
ジェイミー・フォックス主演の話題の映画「レイ」を見ました。天才ミュージシャン、レイ・チャールズは昨年6月10日に他界しましたが、本人のインタビューをもとに描き上げられた本作品を見たら、何と言った事でしょう?
 幼い時の貧困、弟の水死、失明など多くの苦難を乗り越え、一流のミュージシャンとして成功していく話ですが、特に印象に残った点を書きたいと思います。
 一つはレイのお母さん。女手一つで二人の男の子を必死で育てます。しかし弟が事故で水死し、兄は失明し、盲学校に行かせることになります。母は、子ども達に学問の大切さを説き、そして失明したレイを一人立ちさせようと必死でした。まだレイが若い頃、亡くなったようです(このあたりはドラマにありませんでした)が、まだ若いレイのことが心配でしかたがなかったことでしょう。
 二つ目はレイの妻。夫がヘロインをしていることを発見し、浮気にも気づき、子どものことをかまってくれないなどの不満がいっぱいだったと思います。自分の夫が天才ゆえに、気苦労が耐えなかったようですが、別れなかったのは、やはり夫への愛が強かったからでしょうか?目の見えない俺の気持ちや不安がわかるかと言われていましたが、本当につらかったと思います。
 最後にレイは本当に天才だったのだと思います。目が見えなくなった分、耳がよく発達し、そのことがその才能を開花させる一つのきっかけになったのでしょう。黒人差別にも行動を起こしたり、自分の音楽をあくなく追求する姿はすばらしかったです。