心の音

日々感じたこと、思ったことなど、心の中で音を奏でたことや、心に残っている言葉等を書いてみたいと思います。

快晴の霧島連山は最高でしたー野生の鹿にも会えますよ

2004-11-29 18:59:21 | Weblog
 昨日は快晴の日曜日ということで、家族で霧島に行きました。鹿児島の自宅から国道223号線を北上、この道はもみじロードとして有名なこともあって、紅葉がとてもきれいでしたよ。坂本龍馬が妻のお龍と共に、日本で初めての新婚旅行に訪れたとして知られる塩浸温泉(先日の「旅サラダ」で紹介されていました)を横目に見ながら、約1時間半で、天孫降臨の山として知られる高千穂峰(1574m)の登山口、高千穂河原に到着。昨日はここから中岳(1345m)に登ることとする。
 今まで家族4人で山歩きをしたことはあるものの、山登りは初めてでした。小2の息子は、街中に行くのよりずっと楽しいと言い、途中で立ち止まっては「ヤッホー」と大きな声で叫んでこだまが帰ってくるのを楽しんだりしながら、軽い足取りで登っていきます。自分は隊長だからと、出会う人に大きな声で挨拶をしたりして、初めての山登りを心から楽しんでいる様子。小5の娘は先日の校内持久走大会で7位だったから体力には自信があるぞという風情で、これまたすいすいと登って行きます。私たち夫婦はすばらしい霧島連山の景色を堪能しながら、ゆっくりと登って行きました。特に高千穂峰の秀麗さが心に残っています。高千穂峰は霧島連山の主峰の風格を十分に備えた美しさです。
 整備された登山道が険しくなり、岩肌の見える急な坂をしばらく登ると、中岳の頂上でした。ここからは、新燃岳(1421m)や獅子戸岳(1428m)の姿も美しく見えました。桜島の頂上も雲の上に見えました。妻は今まで5回ぐらい霧島登山にきたうちで、最高の天気・眺望だ、夢に出てきそうだと感激していました。このような景色をおかずにしながら、昼食を取り、新燃岳の方に少し歩いてから、下山しました。子どもたちは、何回も転んだりしながら、なんとか無事山を降りました。
 霧島連山で一番高い山は韓国岳(からくにだけ・1700m)ですが、遠く韓国まで見渡せるのでこの名前がついたとか。えびの高原から約1時間30分で頂上です。
 昭和9年、日本で最初の国立公園の一つに指定された霧島は、春のミヤマキリシマ、初夏の新緑、秋の紅葉、冬の樹氷など四季を通じてそのすばらしい景観が楽しめます。多くの鳥もいます。野生の鹿もいます。以前「旅行人山荘」という旅館に行ったことがあります。ここは多くの文人、歌人に親しまれた湯宿として知られ、周囲にはクヌギや赤松林など美しい自然がそのまま残っています。温泉と一緒に森林浴まで楽しめる貸切露天風呂に家族で入っているときに、野生の鹿が現われたことがあります。野生の鹿を見ながら(見られながら)入る露天風呂はなかなかありませんね。えびの高原付近でも野生の鹿がよく見られます。
 登山をした後は、温泉で疲れた体をほぐすに限りますね。昨日は、グリーンヒルウエルネスに行きました。ここの露天風呂からの景色もとても美しかったです。心と体をリフレッシュした一日でした。
 都会で疲れた心と体を癒すのに、霧島は最高だと思いますよ。美しい景色、温泉、おいしい食事、焼酎などを十分に堪能できると思います。鹿児島空港から車で約1時間です。これを読んで興味を持たれた方、時には翼を休めにきませんか。

「小説は心の糧だ」-「今、会いにゆきます」より

2004-11-27 23:26:52 | Weblog
 今話題の映画、「今、会いにゆきます」の原作(市川拓司作・小学館)を読みました。ここでは気にいったセリフ等を書いてみます。
 主人公秋穂巧と6歳の息子・祐司が買い物の帰りに立ち寄る公園で知り合いになったノンブル先生。いつか祐司に読んでもらために、自分と澪の小説を書きたいという巧に、ノンブル先生はこう言います。「小説は心の糧だ。闇を照らすともしび、愛にも優る悦びだよ」
 いい言葉です。多くのいい小説を読み、いい映画をいっぱい見て、色々な人生を追体験し、他人のことを思いやれる、豊かな心を持ちたいものですね。また「書きたいことは、いくらでもあるのにいざ書こうとすると難しい」という巧に、ノンブル先生は「胸一杯になった言葉がいずれ溢れ出てくるときまで、待てばいい」と助言しています。本当に言いたいこと、書きたいことは自然とあふれ出てくるということですが、そのための準備はつねにしておきたいものです。
 また、記憶について次のように言います。「忘れるってことは悲しいことだ。記憶とは、もう一度その瞬間を生きることだ」「記憶を失うということは、その日々を生きることが二度とできなくなるということだ。人生そのものが指の間から零れていくみたいにね。だから書き残すということはいいことだと思う」
 以前、職場の上司から「1日の中で、色々と思ったこと、感じたことなどを書きとめておいたほうがいい」とアドバイスされたことがあります。その上司はそれを自分も実践していたのでしょう。退職後、小説を書き、何らかの賞もとったようでした。今、このように駄文ながら、色々と思ったことを書いていますが、やはり書きとめておくことが大事だと改めて感じることでした。
 青年期の男女に関することではこの表現が面白いでした。「この年頃のぼくらは、自分が性的に成熟して、子孫を残すためのパートナーを探しているんだというメッセージを、化学物質に乗せてどんどんと自分のまわりに振りまいていた。受け取った人間は、本人が自覚するしないにかかわらず、それに応答してまた化学物質を放出する。それは無意識下で交わされる恋の伝言だった」男と女の微妙な関係をうまく表現していると思いました。
 電話についても面白いエピソードがありました。「電話は不躾で横柄で押し付けがましかった。だいたい世界で最初に電話で発せられた言葉だって、ずいぶんと横柄だった。ワトソン君、すぐ来てくれたまえ!(もちろん、グラハム・ベルの言葉だ)のちの電話のありようを暗示している」今は、携帯電話の普及により、本当に不躾で横柄な電話やメールが多いですよね。やはり人間と人間、直接顔を合わせて、言葉を交わすことが大切ですね。電話の使い方には十分気をつけたいものです。
 さて全体を読んだ感想は、いっぱい愛がつまっている優しいラブストーリーという印象です。特に自分が死ぬとわかっていながらの澪の行動には心打たれます。映画もいいかもしれませんが、この作家の独特の感性や表現に触れるためにも、またやはり自分なりのイメージを膨らませるためにも、原作をぜひ読んでみることをお薦めします。

これぞ究極の純愛ー山田洋次監督の「隠し剣鬼の爪」はお薦めの映画です

2004-11-25 23:14:33 | Weblog
 今日は久しぶりにいい日本映画を見ました。ハリウッド映画のような派手さやエンターテイメント性はないかもしれませんが、観る者の心にいつまでも消えない感動を刻む佳作です。物語は・・・。
 時は幕末。庄内「海坂藩」の下級武士、片桐宗蔵(永瀬正敏)は、奉公に来ていた娘きえ(松たか子)と3年ぶりに町で偶然再会する。嫁いで幸せに暮らしているとばかり思っていたきえの、やせて寂しげな姿に宗蔵は心を痛め、強引にきえを連れ帰る。回復したきえの笑顔で明るい毎日に戻ったとき、藩を揺るがす謀反が起きる。首謀者の一人である狭間弥市郎と宗蔵は、かつて藩の剣術指南役だった戸田寛斎の門下生だった。戸田は、一番腕の立つ弥市郎ではなく、宗蔵に秘伝「鬼の爪」を伝授していた。まもなく弥市郎は脱走、宗蔵は家老(緒形拳)から弥市郎を斬るように命じられる。
 宗蔵の武士としての信念と正義感、そしてきえとの身分を越えたせつない純愛がテーマです。己の信念を貫きぬくことは現実社会ではなかなか難しいですよね。特に不条理な上司の命令や、納得のいかない仕事など、不満をもちながらもやらざるをえません。そんな下級武士や平社員の気持ちなどわかってくれない、エライ方々、特に、この映画の家老のようないやなタイプは、いつの世も、どこの会社や組織にも必ずいるはずです。宗蔵は不服ながらも藩命を受け、かつての同じ門下生、弥市郎を討つ決意をします。弥市郎の妻(高島礼子)の、夫を必死に助けようとする行動と、その悲劇には思わず涙です。
 隠し剣「鬼の爪」を使い、弥市郎の妻のかたきを取った宗蔵の心には、しかしむなしさのようなものが残っています。武士を捨て、蝦夷に住むことを決意した宗蔵は、一つの愛を貫き通そうとします。ラストシーンの二人の最後の言葉のやり取りが、とてもいいです。まさに純愛です。
 山田洋次監督は、藤沢周平という大鉱脈を発見したというような記事を何かで読みましたが、「たそがれ清兵衛」に続いて、本当にいい映画に仕上がっていると思います。「寅さん映画」や「学校」シリーズ、「虹をつかむ男」なども、人情味などにあふれたとても良い作品でしたが、もう一度ビデオ等で見てみたいと改めて思いました。
 

日本プロ野球の外国人選手の年俸は高過ぎないか

2004-11-24 17:53:23 | Weblog
 巨人が獲得したレッドソックスのキャプラー選手はアメリカでは、年俸7000から8000万円だそうです。今季136試合に出場し、2割7分2厘、6本塁打、33打点ということですが、年俸2億1000万円で契約しました。球団の経営困難の一つに選手の高い年俸が挙げられるかと思いますが、日本でプレーする外国人の年俸は高すぎるのではないかという気もします。ペタジーニなどがその代表例ですが、その実力からすると、彼がメジャーで契約するとすれば、とても考えられないような金額ではないかと思います。 横浜のウッズ、広島のシーツ、ヤクルトのラミレスなど、かなり今年は取り合いになり、年俸も高騰しているようです。日本で実績を残したということで、ある程度計算ができるというのが、球団がほしがる理由でしょうが、代理人がどんどん金額をつりあげ、かなりの高年俸になっていくようです。しかたのない面もあるかもしれませんが、みなさんはどのようにお考えでしょうか。

演歌の起源は-五木寛之氏の説

2004-11-22 23:13:45 | Weblog
 五木寛之氏といえば、古くは「青春の門」「青年は荒野を目指す」などの小説が好きで、学生時代とかよく読んだものです。最近は、「生きるヒント」「大河の一滴」などエッセイストとして人気がありますね。朝日新聞に「みみずくの夜メール」というエッセイが1週間に1回あります。本日(11月22日)は、「演歌の起源」についての内容が載っていました。以下、その引用です。
 演歌は、明治のころ自由民権運動に奔走した壮士たちが、演説で主張するメッセージを歌に託して大衆に伝えようとした街宣活動に始まる。最初は路上ライブのように、街角で大声を張り上げてガナっていたのが、やがてプロ化していき、バイオリンを弾いて歌を歌い、歌詞カードを売る専門家も出てくる。最初のうちは、政治や世相を批判・風刺する歌だったが、次第に情緒的に変わっていき、それを職業とする人々が、演歌師と呼ばれるようになってきた。そして演歌師によって歌われ、広められる歌が、もっぱら演歌と呼ばれるようになっていく。やがて、伝統音楽である端唄、小唄、都都逸、民謡などと習合し、さらに西洋音楽と混血して、一種独特の近代歌謡が成立する。そのあたりまでくると、本来のアジテーション、政論演説家の骨格は次第に失われていき、男女の恋愛や人情の機微を、哀愁を帯びた短調の曲想で歌い上げる世界が中心となった。
 演歌とは、もともと「演説の歌」だったということですね。そうすると今の演歌は、とうてい演歌とは言えないものだということになります。だから五木氏は、「演歌という言葉の生命はすでに終わってしまっている」と述べています。
 言葉は生き物で時代とともにどんどん変わっていきますが、もともとどういう意味だったのが、時代とともにどのように変わってきたのかということを知っているということは、大切なことだと思います。
 最近の若者の中には、本気で、「渡る世間に鬼はなし」ではなくて「渡る世間は鬼ばかり」と思っている人がいますが、言葉について鈍感であるということは、他人に対しても、鈍感であることに通じてくると思います。言葉に対して、常に鋭敏であり、疑問に思った言葉、気になった言葉など、すぐ辞書を引いたり、調べたりする習慣を身につけたいものです。

心の叫びが三十一文字に

2004-11-21 22:30:34 | Weblog
 一日中 言葉なき身の淋しさよ 君知り給え 我も人の子(東京都、103歳)
 財団法人みやざき長寿社会推進機構が2002年から実施している「心豊かに歌う全国ふれあい短歌大会」の昨年の最優秀作品だそうです。高齢者の日々の淋しさがひしひしと伝わってくる作品です。選者の宮崎県立看護大学教授の伊藤一彦氏は「一日中という、この言葉の重さ。君知り給えの君とは、私たちを指している。心の叫びが三十一文字に凝縮されている」といっています。
 この歌を最優秀賞に選んだのは、「淋しさを率直に受け止めているから」と伊藤氏はいいます。また「人間とは弱いもの。その弱さ、淋しさを見せる人こそ豊かな人間。淋しさを伝えて初めて、人と人とは理解し合える」と。
 暖かになったら 逢おうねという友の 賀状1枚 抱きしめて寝る(群馬県、八十八歳)
これも賀状1枚を抱きしめて寝る作者の孤独感が伝わってきますが、三十一文字の中にその思いを書くことで、ふだん言えない本当の心を表現しているということが言えそうです。
 伊藤氏が言うには、中には「年老いて ボケ半分で詠む歌は 我も分からず 人も分からず」というようなものもあるようですが、自分の思いや心の叫びを、三十一文字で言える手段を持っているということは、とてもすばらしいことですし、孤独を和らげるものだと思います。
 大岡信氏は次のように言っています。「私は短歌や俳句を読みながら、何に最もうたれるかといえば、そこにからめとられている言葉の光のごときものが、他の場所では必ずや死んでしまうにちがいないほどに、その場所で、危機的に、生きている見事さにうたれるのである。」(毎日新聞1970年10月12日)
 日本に伝統的に息づいている三十一文字の表現手段、書き言葉による自己表現手法を私たちは大事にしたいものです。

後がないという気持ちがいい結果に-ダイエーホークス三瀬投手の場合

2004-11-21 11:53:07 | Weblog
 先日ドラフト会議があって、今年も多くの新人選手がそれぞれ大きな夢や希望をもってプロ野球の世界に入ってきます。厳しいプロの世界で一流選手となることは決して簡単なことではありませんが、それぞれ怪我や病気には十分気をつけて、ベストを尽くして頑張ってほしいと思います。
 さて今年パ・リーグで史上3人目の新人王・最優秀救援ダブル受賞をしたダイエーホークス三瀬投手は、昨年のドラフト7巡目の指名選手です。新聞によると、高校時代はエースでもなく背番号10。「就職に有利だから」と選んだ理系の大学野球部は、本人曰く「超弱小チーム」。入社した企業の社界人チームも1年目でクラブ化されたといいます。2年前の都市対抗野球に補強選手として出場した際には、先発で1アウトも取れず、自分のチームは昨年限りで休部になり、野球をやめる覚悟をしていたそうです。
 そんな状況でのダイエーの指名。年齢27歳で、妻子持ち。当然のごとく10歳上の奥さんの猛反対にあったそうです。夢を追い続けたい男と、生活の安定を求める妻。これは「男と女の永遠に解決しないテーマ」の一つですね。しかし彼は猛反対の妻を何とか説得、妻子3人を広島に残し単身赴任。数年後に芽を出せばいいとか言っておられる状況ではなく、妥協や甘えは許されなかったといいます。
 そこから背に腹は替えられぬ彼の努力が始まります。筋力トレーニングで体を鍛え上げ、開幕前に20%あった体脂肪率を12%に減らし、球速は140キロ前半から、150キロ近くにまで伸びたそうです。本当にすごいことです。
 そして王監督ら首脳陣に認められて、5月にはストッパーという新人には大変重い役割を任せられます。勝って当たり前、つねに一発逆転の危険性がある役割ですが、何とパ・リーグ新人記録の32セーブポイントをあげ、オールスターにも新人でただ一人出場、先日の日米野球にも出場しました。まるでアメリカ映画の「オールド・ルーキー」の日本版のようです。
 まさに「背水の陣」を敷き、努力した結果、その能力が開花したケースだと思います。プレーオフ終了後、妻子を呼び寄せ、一緒に生活することになったそうです。プロ入りに反対した広島育ちで「カープファン」だった奥さんも、今は大の「ホークスファン」となりました。いろいろと心配や苦労をしながらも夫を送り出してくれた奥さんの決断や我慢・協力にも心から拍手ですね。
 三瀬投手には2年目のジンクス(今年は和田投手がそんな感じでした)など吹き飛ばして、来年以降も新生ホークスの守護神としての大活躍を期待したいと思います。
 

恐るべき15歳の発言、頑張れ辻本賢人

2004-11-18 22:49:59 | Weblog
 今年のドラフト会議が終了しました。投手だけ指名した広島、高校生中心のダイエー、即戦力重視の楽天、12人指名した中日など、それぞれの球団の目指す方向性などが感じられたドラフト会議だったように思います。
 日本ハムに決まった東北高校のダルビッシュ投手、東京大学からの指名選手など色々な話題もありましたが、何といっても史上最年少の15歳で、阪神タイガースから指名された辻本賢人投手に驚きました。指名されたことはもちろんですが、その会見の内容にもびっくりしました。
 駆けつけた大勢の報道陣に緊張した面持ちでしたが、「阪神に行きますか」と聞かれると、「はい」ときっぱり。最年少の指名については、「びっくりしている。僕でいいのかなと思った」と戸惑いは見せたものの、「第一の目標は練習についていくこと。すぐ試合に出るのは無理だと思うが、頑張っていきたい」としっかりとした声で抱負を語っていましたね。
 また史上最年少でプロに指名されながらも、有頂天になることなく「これがゴールではなく、スタートであると思う」とか、「監督になるくらいまで阪神でお世話になりたい」といったようなことも言っていました。
 これらの発言は、もちろん少しは準備していたものもあったでしょうが、両親や関係者などの大人から「言え」と言われたようなものではなく、自分の本音や実感が込められた発言だと感じました。謙虚さと大胆さを兼ね備えた、精神的に自立した「大人」であり、「大人物だ」という印象を持ちました。自分の言葉で自分の考えや意見をしっかりと語っていたからです。
 周囲の期待やマスコミに踊らされることなく、大きく育ってもらいたいと思います。

樽柿を16個も食べた男、正岡子規

2004-11-15 19:27:51 | Weblog
 正岡子規といえば、俳句・短歌近代化の祖と言われ、客観的な「写生」に基づく文学を実践・推進したことで有名です。「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」などの俳句がありますが、親友の夏目漱石の小説「三四郎」には、「子規は果物が大変好きだった。かついくらでも食える男であった。あるとき大きな樽柿を十六食ったことがある。それで何ともなかった。自分などはとても真似はできない。」と実名で登場しています。
 また子規は何でも記録して手元に残したそうです。
 朝 ヌク飯三椀、佃煮、梅干、牛乳五勺ココア入り、菓子パン数個
これは、病床の子規の、ある朝の朝食の献立だそうです。私は社会人になり立てのころ、ある上司から「記録に勝る記憶なし」とよく言われていましたが、子規のこの細かさには驚かされます。子規はこの細かさを文学の世界にも発揮し、知りうる限りの江戸時代の発句をノートに記録してデータベース化、それを使って俳句革新の論を起こしたのです。やはりメモ魔であったことが、彼の研究において非常に役立ったということが言えそうです。メモすることの大切さはよく言われることですが、凡人にはなかなかできないことですね。
 子規には入門者にわかりやすく俳句とは何かを説いた「俳諧大要」、「古今集」を和歌の聖典として崇める伝統的価値観を転倒させ、歌人たちに衝撃を与えた「歌よみに与ふる書」(ちなみにこの中で、貫之は下手な歌詠みで古今集はくだらないと批判しています)、病床生活を記録した「病床六尺」などがよく知られています。またbaseballを「野球」と翻訳したのも子規だと聞いたことがあります。子規は大学予備門で名キャッチャーだったそうです。「いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす」などの句に代表されるように、病床生活を送った印象が強いだけに、これは少し意外ですね。
 さてこのように高名な子規に「鶴の巣や場所もあろうにえたの家」というのがあるのだそうです。「巣をつくる場所もいろいろあるはずだが、こともあろうにえたの家のところに作っている」というような内容ですから、明らかに差別意識が見られます。
 松尾芭蕉には、「えた村は浮世の外の春富みて」という句があり、これは「春富みて」という語句に、えたに対する暖かい視線が感じられ、先ほどの子規の句と対照的です。
 「鶴の巣や分け隔てなくえたの家」というような句だったらよかったのにと思われることでした。

80日で世界一周

2004-11-14 19:08:30 | Weblog
 このタイトルを見ると、映画好きな人ならすぐピンとくるでしょう。もうだいぶ古い映画ですが、「80日間世界一周」というのがありましたね。1956年のアカデミー賞作品賞受賞作です。私もかなり以前に、ビデオで見ましたが、とても楽しかった記憶があります。きれいな音楽も心に残っています。
 さて、その作品がりメークされたということで、本日見に行きました。原作者は、SF作家のジュール・ヴェルヌです。私は少年時代、この人の作品を胸をドキドキさせながら、読んだものです。 
 19世紀の、ロンドン。まだ飛行機も電話もなかった時代に、たった80日間で世界一周をしようとした3人組がいました。発明家フォッグ氏は、王立科学アカデミー会長ケルビン卿に、「80日で世界一周できる」と宣言し、1万ポンドという大金を賭けてしまいます。彼の忠実(?)な従者、パスパルトゥー、美しいフランス人女性モニクとの壮大な3人旅が始まりました。
 地球を駆け巡る3人に襲い掛かるのは、予期せぬ危機とケルビン卿の妨害工作、そして思わぬアクシデント。それらを乗り越える彼らには、深い友情や愛情が芽生えていきます。
 パスパルトゥー役のジャッキー・チェンのアクション、モニク役のフランスの若手女優セシル・ドゥ・フランスの美しさ、さらにカリフォルニア州知事就任前の最後の映画出演となったアーノルド・シュワルツェネッガーの間抜けさ、アカデミー女優のキャシー・ベイツもいい味を出しています。
 ロケ撮影はタイ、ドイツ、パリ、オーストリア、香港、カリフォルニアの砂漠地帯、万里の長城など世界10カ国以上で行われたようで、それらを見るのも楽しみの一つです。
 日常生活から少し離れて、世界旅行を疑似体験できますよ。そしてハラハラ、ドキドキのあっという間の2時間で、ご家族連れにもお薦めです。こういう映画は、家庭でビデオ等で見るよりも、やはり映画館で大画面で見たいものですね。作品名は「80デイズ」です。

強いパットは女らしい

2004-11-13 11:03:24 | Weblog
 このタイトルは、週刊新潮11月4日号に、元医者で作家の渡辺淳一氏が使っているものです。渡辺氏はさすがに元医者だけあって、人間の体について詳しく、色々なエッセイを書いています。そういえば以前「男というもの」(中央公論社)という本も出されていました。この本には「男の本音とか、男の心と体の実態」について、興味深く書かれていたと思うので、「男の本音を知りたい」とか、「あの人が何を考えているのかよくわからない」とお悩みの女性の方にも、お薦めです。
 さてこのタイトルは、もちろんゴルフに関することです(ちなみに私はゴルフをしないので詳しいことはわかりません)が、「強いパットを打って行きすぎた」時、「男らしい」という表現をするそうです。逆に短すぎると「女らしい」ということになります。
 医者でもある渡辺氏が言うには、「男と女、明らかに強いのは女性である」のに、この表現は逆だというわけです。「男は強くも、たくましくもない」のにと。
 なるほど確かに一般的に男は強いというイメージはありますが、これはあくまでも瞬間的な動作に限ってのことだけだそうです。切れやすくて瞬間的な暴力をふるうのも我慢がきかないからで、これは持続する生命力が弱いからと言います。すなわち「男は体とともに精神ももろく、忍耐力に欠けている」と。
 男と女の両方を育てたことのあるお母さんに聞くと、「男の子のほうがひ弱で、手がかかる」という例が多いのだそうです。「産むのなら初めは女の子のほうがいい」というのも、女の子のほうが強くて育てやすいからだというのは、よく耳にすることですし、男の平均寿命が女に比べて7歳も短いというのもよく知られている事実ですね。
 渡辺氏が言うには、「男の見かけの強さは、心の弱さをかくすためのよろいで、女の見かけの弱さは、心の強さをかくすためのベールである」と。「創造主である神様は、外見と内面を別々に造り給うた」と。
 我々は表面的なもので、何事も、判断・評価しがちですが、やはり本質を見極めることが大切ですし、本質を見極められるような目や、判断力を身につけたいものです。それと私たちがもっている固定観念というものが、物事の本質を見えにくくしていることもよくありますね。
 渡辺氏の文を読み、そんなことを考えたりしました。それにしても、古典の世界にもある通り、男女の理解が難しいことは、永遠のテーマであり、解決することはないでしょうけれども。


一生涯で1億円の損害の始まり

2004-11-12 22:21:14 | Weblog
 タバコの害については、よく言われていることではありますが、昨日は具体的に数字をあげながらの話を聞くことができました。
 例えば、全国の自動車事故による死亡数は年間約1万人、一方肺ガンによる死亡数は、年間約5万人だそうです。また、タバコは色々な病気の原因となりますが、タバコに起因する死亡数は、年間約10万人、世界ではなんと、400万人から500万人にのぼるということでした。
 毎日かかるタバコ代、タバコに起因する病気の治療代などを計算すると、「最初の一本に手を出す瞬間は、一生涯で約1億円の損害の始まりである」ということでした。軽い気持ちで手を出すその瞬間は、取り返しのつかない重大な一瞬となるわけです。親からもらったせっかくの命を削る一瞬と言っていいかもしれません。「多額の出費を要し、見返りは健康障害」では、やはり「タバコは百害あって一利なし」と改めて思わされます。
 話の中で、「ラーメンやコーヒーよりも、タバコが安い国はめったにない」というのが出てきましたが、だれでも買える自動販売機の存在とともに、わが国は、未成年者がその本当の怖さをしらずに、喫煙をしやすい環境にあることに、怒りさえ覚えました。
 また「タバコは薬物乱用の第一歩」という発言がありましたが、薬物乱用者のほぼ全員が最初にタバコを経験しているという事実があるそうです。逆に言えば、「薬物乱用の防止の決め手は、喫煙防止」であるということでした。
 それからよく言われることですが、「副流煙」の問題もあります。火のついた先から出る「副流煙」は「主流煙」よりも、毒性が強いそうです。吸っている本人が病気になるのは、ある意味、自業自得といえるのかもしれませんが、吸わされているほうはたまりませんね。特に親の喫煙により犠牲になるのは子どもで、「ぜんそく」や「風邪をひきやすい」子どもになったり、特に母親に喫煙の習慣があると、胎内でもその影響を受け、赤ちゃんが「突然死」を起こしやすいということでした。
 さらに私がかねてから思っているのは、歩きタバコの怖さです。人の多いところで、手にタバコを持ちながら歩いている人を見かけますが、大人の手の位置が、ちょうど子どもの顔のあたりになるのです。目のあたりに当たったりしたらどうなるのか、いつもひやひやしています。
 大人が自分の考えや判断でタバコを吸うのはかまわないと思います。しかし、特に早くから吸い始めるほど危険が大きいので、未成年者が、安易な気持ちでタバコを簡単に買えるような現況を、早く見直してほしいと痛切に感じました。
 
 

アメリカを動かすエリートの三つのYESとは

2004-11-07 11:11:27 | Weblog
  1953年、アメリカ東部の名門、エール大学の卒業生に、
 「あなたは目標を設定していますか」
 「その目標を書きとめていますか」
 「目標達成の計画はありますか」
と質問したところ、すべての質問にイエスと答えた卒業生は、わずか3%だった。ところが、それから20年後、卒業生を追跡調査したところ、この年に卒業した学生の20年後の総資産のうち、なんと97%は、この3%の卒業生たちが握っていたという。「頭がいい人の習慣術」(小泉十三著・河出書房新社)より。
 世の中には、
「夢や希望もなく、刹那的な生き方をしている人」
「なんとなく夢や希望はあるけど、努力をしない人」
「強い夢や希望があって、それに向かって計画を立て努力をする人」
などがいますが、一番多いのが、2番目のタイプの人ではないかと思います。
 しかし、このエール大学の話を読むと、夢や目標をきちんと書き留めたり人に宣言したり、そして大まかではなく、きちんと計画を立てることが大切であると改めて思い知らされます。
 今話題になっている本「グッドラック」(ポプラ社)は非常に示唆的な物語ではありますが、「幸運の下ごしらえは、自分にしかできない。幸運の下ごしらえは、今すぐに始めることができる。幸運のストーリーは、絶対に偶然には訪れない」ということをを私たちに訴えています。
 オリンピックで金メダルを取った選手も、上の3つのようなことを実施してきたというようなことを言っていました。なるべく若いうちにこのようなことをするにこしたことはありませんが、始めるのに遅いということはありません。人間として、自分なりに納得のいく生き方をしたいのであれば、心しておきたいことですね。 

独裁者の悲劇。

2004-11-06 23:38:17 | Weblog
 今日は、今年日本一になった西武ライオンズの売却報道がなされました。今年のプロ野球界のゴタゴタを象徴するようなニュースです。売却額も高く、果たして買うところがあるのか、野球ファンとしてはとても心配です。
 ところで西武の堤義明、ダイエーの中内功、読売新聞社の渡辺恒雄そしてあの強姦集団スーパーフリーの代表の和田にも共通することは、ピラミッド型の頂点にあるものの傲慢さですね。「たかが選手が」という言葉に表れる傲岸不遜な態度、イエスマンだけを集めた恐怖政治ごときものが、数々の事件や言動の根底に見られます。改めて書きたくもありませんが、ホークスタウンの高塚猛も、北朝鮮の金正日もヒットラーも同様の独裁者です。権力のある者に擦り寄るのが人の世の常ではありますが、だれもそれを止められなくなった時、そこにあるのは悲劇のみです。
 中国の歴史書などを読むと、君主にきちんと直言できる臣下がいることが、仁君の条件であるというような話がよく出てきます。人の意見を積極的に、素直に聞き入れる耳を無くした時、人間の堕落が始まるような気がします。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の言葉のような謙虚さと、鶏鳴狗盗の故事で知られる孟嘗君のような度量の広さを持ち合わせた人間でありたいものです。

ラテン音楽を満喫

2004-11-04 21:58:35 | Weblog
 今日は白石啓太とラテンカーナバルというグループの音楽を聴く機会を得ました。リーダーの白石啓太氏は、11歳からドラムをなんとあの猪俣猛氏に師事していたということです。中南米の民族楽器を数多く使った8名編成で、タンバリンではなく、タンボリンという楽器など、珍しい楽器の紹介などもあり、とても楽しく聞けました。
 曲目は、「コパカバーナ」、「闘牛士のマンボ」、サイモン&ガーファンクルで有名な「コンドルは飛んでいく」、「オルフェのサンバ」などです。「グラナダ」という曲や「クマーナ」という曲などが特に心に残りました。「クマーナ」はかなり演奏が難しく、生で聞く機会はなかなかないとのことでした。これらの曲について、よくご存知の方は、いろいろ教えて下さるとありがたいです。ジャズで有名な「テイクファイブ」をラテン風にアレンジしたのも面白かったです。ラストは「エルクンバンチェロ」という激しい演奏でした。
 何と言ってもさすがプロというテクニックと、自然と体が動き出すノリノリの演奏に、文字通り音を十分に楽しむことができました。日ごろのストレスを解消するのに、音楽はやはり一番です。
 さて話は変わって、帰りの車の中で、今年のオレオレ詐欺がものすごい件数になっているということを聞きました。新潟にボランティアで駆けつけたり、義捐金を送ったりする人がいる反面、地震の義捐金詐欺もあるということで、こういう心の貧しい人間がいることに悲しい思いにもなりました。いずれも許しがたい卑劣な行為だと思いますし、そのようなことを考えてしかも実行する人に、人間の良心というものをぜひ取り戻してほしいと願います。