心の音

日々感じたこと、思ったことなど、心の中で音を奏でたことや、心に残っている言葉等を書いてみたいと思います。

阿蘇旅行 その2 そよ風パーク~阿蘇ファームランド

2005-08-11 22:45:34 | Weblog
 宿泊したのは九州のへそ、南阿蘇の山都町にある「そよ風パーク」というところです。コテージを希望していたのですが、満室で取れず、ホテルウィンディに泊まりました。ここの洋室は木のぬくもりが感じられるロフト付きで子供たちは大喜びです。
 窓からは阿蘇五岳の景色がすばらしく、空気も涼しくかつ、とてもおいしく感じられました。そよ風浴場で汗を流し、夕食はブルーベリー館2階の「キッチンマァム」。親戚の子供たちも交え、大変楽しい夕食になりました。
 翌日は親戚の家族と、まず高森湧水トンネルというところに行きました。ここは鉄道用のトンネルを掘ろうとしたところ、水が出てきて、トンネル建設を断念した箇所を、現在は公園にしているということです。トンネル内はとても涼しく、七夕祭りで作られた七夕飾りが展示してありました。
 次に阿蘇ファームランドに行きました。ここはパンフレットによると、「人、自然、元気」をテーマにお客様の元気づくりを第一に考えている、大自然健康テーマパークということです。標高550メートル、国立公園の阿蘇中腹に位置する、100万平方メートルにも及ぶ広大な敷地に、色々な施設があります。
 まず我々が入ったところは「元気の森」。ここは日頃、我々があまり使わない部分の筋肉や、バランス感覚、リズム感、想像力をフルに使いながら楽しむ施設です。我々は、前日の3333段の石段の影響で、家族全員、筋肉痛で太ももやふくらはぎが痛かったので、とても大変でした。特に巨大迷路には苦労しましたが、何とか痛みに耐えながら、全てクリアーしました。
 ワールドキッチンという和洋中何でも食べられるバイキング料理のお店で、昼食を食べた後、ふれあい動物王国に行きました。ここには約50種類400頭もの動物たちが、ほとんど放し飼いに近い状態で飼育されており、楽しくふれあうことができます。うちの子供たちは色々な犬をさわりまくっていました。特に寝ている大型犬が係員に名前を呼ばれると起きあがってくるのが面白かったです。
 最後に阿蘇火山温泉です。ここは2000坪もの大庭園露天風呂があります。洞窟風呂、漢方薬湯、ほたるアロマ湯、阿蘇溶岩鉄鉱浴など数多くの温泉につかり、疲れた体と筋肉をほぐしました。ただ筋肉痛のため、移動するのが大変でしたが・・・。ここの温泉は本当におすすめです。ふろをあがったら、地下1階の癒しの森でゆっくり休むのもいいですね。
 阿蘇ファームランドには、阿蘇ファームヴィレッジという330棟のドーム型ホテルもあります。ここは普通のホテルとは違い、是非いつか泊まりたいところです。
 帰りの道はとても混んでいたので、遠回りをして帰り着いたのは9時ごろでした。そしてしばらくは、家族全員、筋肉痛に悩まされる日々が続くことになりました。
 「足腰の 痛みに耐えつつ 阿蘇の夏」

阿蘇旅行 その1 日本一の3333の石段

2005-08-09 10:53:28 | Weblog
 親戚の家族と毎年一回、キャンプを計画しています。今年は阿蘇に行くことになり、鹿児島から阿蘇のそよ風パークというところを目指しました。
 阿蘇には普通、熊本インターチェンジで降りて、国道57号線を使って行くのですが、この道路は渋滞が予測されることと、そよ風パークは地図で見ると、松橋(まつばせ)インターチェンジで降りたほうが近いかなと思い、松橋で降りました。家を7時30分に出て、9時頃には松橋インターチェンジに着きました。せっかく松橋に来たということで、岡岳アドベンチャーパークというところに行きました。長さ80メートル、高低差20メートルのローラースライダーなどで、軽く遊んだ後、国道218号を走って、そよ風パークを目指します。アグリパーク豊野というところで、少し休んだりした後、また国道を東に進みます。
 すると「日本一の石段」という看板が見えてきました。小3の息子がちょっと興味を持ち、行ってみたいというので、軽い気持ちで向かいました。その時は、後であんなことになろうとは、思いもせずに・・・。
 国道からはずれると、平家落人伝説などが伝わる五家荘(ごかのしょう)の看板が見えるなど、いかにも山深いところに来ました。ところが突然、駐車場や土産物屋などが出現し、ちょっとした観光地の風情に。とりあえず適当な駐車場に止めてお金を払い、どれぐらい時間がかかるかと聞いてみると、2時間もかかるということでした。石段数は3333。
 「2100段まで行くと、眺めがよいですよ」という言葉を一つの目標に、「まあ行けるところまで登ってみよう」という軽い気持ちで、タオルもペットボトルも持たず、サンダル履きのままで、階段を登り始めました。小3の息子は、3333段まで行くんだとはりきって軽く飛ばして登っていきます。小6の娘はしかたなく、しかし時々小走りに階段を登っていきました。妻は最初から苦しそうで、ゆっくり登っていきます。私は日頃の運動不足を少しでも解消し、おいしい食事でもできればいいぐらいの気持ちで100段ごとにある標識を一つの目標に、登っていきました。
 しかし、1000段ぐらいだったでしょうか、小6の娘は頭が痛いと言いだしました。水ももってきていませんし、軽い脱水症状にでもなったのでしょうか。小3の息子は最後まで行くんだと大張り切りでしたので、妻と娘をそこに残し、さらに上を目指しました。
 さすがに私もかなり疲れて、疲労がピークに達したころ、水道とトイレがある休憩所に行き着き、水をがぶ飲みました。まさに砂漠の中のオアシスという感じで、ここで生き返りました。小3の息子が大きな声で、下にいる妻と娘に声をかけ、2人もその後やっとここまで登ってきました。妻も娘もここでゆっくり休憩し、復活しました。水遊びをしたりして大はしゃぎでした。娘も元気になり、再び上を目指すことにしました。
 2100段目からは、下で聞いたとおり、いい眺めを堪能することができたし、風もとても心地よく気分もよくなりました。ここから3333段はあと少しだという思いもあり、いよいよみんな上を目指すことになりました。最初からきつそうだった妻はあの休憩所で元気になり、小3の息子と競うように上に進みます。小6の娘が3番手、私が最下位です。でも3333段に到達したときは何とも言えない達成感がありました。本当に2時間くらいかかりました。最後はさすがにとてもきつかったです。
 さらに坂道をすこし登ったところに展望台があり、360度の大パノラマを楽しむことができました。少しここで休憩した後、下っていきましたが、山登りと一緒で、下りは下りで大変でした。俗に言う「ひざが笑う」状態になり、本当に大変でした。すれちがう人はいかにも登山にくるような格好で来ているのに、われわれは近所のスーパーにでも出かけるような軽い出で立ちでしたが、何とか下り終えたときは、さすがに気持ちが良かったです。下のホークスファンのオーナーのお店で食べた肉そばも、一段とおいしく感じられました。
 「日本一 石段から見る 夏木立」

津軽紀行 その4 酒とジャズに酔いしれて

2005-08-05 10:37:26 | Weblog
 弘前滞在の最後の夜に、ピアノが聞ける店という看板を見て、「シャローム」というピアノバーに入りました。扉をあけるとカウンターの奥にママが一人、カウンターで何か食べている人が一人でした。とりあえずビールを頼んで、隣の人に「ここの常連さんですか」と話しかけると、何とここのマスターでした。後で名刺をもらったのですが「今井實」さんという方で、この日は、この人の演奏に酔いしれてしまいました。
 食事がすむとやおら立ち上がり、最初に習って2年目だという津軽三味線を披露してくださいました。とても2年目とは思えない迫力ある演奏でした。ピアノはまず映画「カサブランカ」の名曲「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」をリクエストすると、楽譜も見ずに、しかも情感たっぷりに弾いてくれました。さらにメドレーで、映画「ひまわり」、「星に願いを」など、有名な曲をこれまた情感たっぷりに弾いてくれました。そのほか「ミスティー」「枯葉」などをリクエストしましたが、今井さんはこれまた、楽譜も見ずにとても上手に弾いてくださったので、最後の弘前の夜はとても楽しいものになりました。
 今井さんは以前は、ビッグバンドで演奏されていただけあって、お客さんのリクエストに何でも答えられるのだそうです。
 後から入ってきた何人かのお客さんが、今井さんのピアノに合わせて歌を歌ったので、私も弘前最後の夜ということで、井上陽水の「少年時代」と坂本九の「見上げてごらん夜の星を」という歌を、今井さんのピアノで歌わせてもらいました。そうしたら帰る時、MDを手渡されて、あの歌を取ったから記念に持ち帰ってくださいということでした。自分は鹿児島から仕事で来ていると言ったので、なかなかもう2度と来ることもない客なのですが、それにもかかわらずそのようなことをしてくださいました。そうした温かい気持ちにも心打たれ、弘前最後の夜は最高のものになりました。「一期一会」の出会いを本当に大切にしたいものだと改めて感じさせられました。
 いつかまた、この美しい岩木山に会いに、弘前公園の満開の桜を見に、あるいは熱気ある「ねぷた」を見に、そしてこの「シャローム」のピアノを聞きに、妻や子供たちと来たいものだと思いながら、ホテルまで歩いて帰ることでした。津軽弁に象徴されるような弘前の人情に触れた4日間でした。
 「津軽弁 心にしみいる 夏の夜」 

津軽紀行 その3 弘前ねぷた

2005-08-03 09:26:36 | Weblog
 青森の夏といえば何といっても「ねぶた」ですが、弘前では「ねぷた」というのだそうです。弘前公園の近くにある「ねぷた村」は、それを紹介したテーマパークのようなものです。
 国の重要無形民族文化財に指定されている弘前ねぷた祭りの由来は「坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に始めた」というおとぎ話や、「夏の睡魔を追い払うねむり流し(精霊流し)が始まり」という説や、「津軽藩祖為信が京都で豊臣秀吉に大灯籠を見せたのが始まり」などとさまざまな説があります。
 ねぷたの形は扇型が主流となっており、正面の絵は鏡絵といい三国志・水滸伝などの勇壮な絵が描かれ、後面は見送り絵といい、対照的な愁いを含んだ美人画が描かれていました。けんかねぷたといい、以前はかなり激しい争いをしたようなこともあったそうです。
 ここでは高さ10mの大型ねぷたと内部の骨組みを見学できる実物大の大型ねぷたがあり、係員が笛と太鼓のお囃子の実演をし、観光客にも太鼓をたたかせていました。
 弘前こけしや津軽焼きなどの伝統工芸の紹介などを見た後、「山絃堂」という津軽三味線の資料の展示を見ました。生演奏では、「山田三絃会」の若いお兄さんと、年配の女性の方が一緒にひくのを聞きました。
 弘前市立近代文学館には葛西善蔵、佐藤紅緑、太宰治など、明治時代以降に活躍した津軽出身の作家の紹介がありました。特に「若い人」「青い山脈」などを著した石坂洋次郎については2階に記念室が設けられ、ポスターや台本、映画関係の資料などが数多く展示されていました。また館内には一戸謙三などの方言詩を鑑賞できるコーナーなどもあり、津軽の方言で書かれた詩を実際に聞くことができました。
 旧弘前市立図書館、青森銀行記念館などはいずれも明治時代に造られた洋風建築の建物です。いずれも積極的に洋風建築を取り入れた弘前の棟梁、堀江左吉が設計、施工したものだそうです。このような歴史ある建築物を保存することはとても大事なことだと思います。
 

津軽紀行 その2 弘前城の美しさ

2005-08-01 09:59:07 | Weblog
 青森県出身の作家、太宰治の名作「走れメロス」の一節を各地の方言で読む「方言で読もう走れメロス」というのを見ました。これは全国の11県の高校生が、「走れメロス」のラストシーンを各地の方言で読み、その面白さを味わうというようなものでしたが、本当に楽しかったし、方言の良さとすばらしさを改めて感じました。司会者の弘前高校3年生の津軽弁は、温かくて最高に良かったと思いました。各地の言葉の違いは、とても楽しかったのですが、圧巻は何といっても沖縄でした。分かったのは、「メロス」と「セリヌンティウス」だけで、後はまるで韓国語か中国語を聞いているようでした。会場の皆さんもさっぱり分からないというような風情でした。
 その後、弘前公園に行きました。津軽藩の弘前城址でおよそ49haの広さがあり、多くの重要文化財がありました。また城内には桜の木が多く、ソメイヨシノを中心に約2600本の桜が一斉に咲き乱れる春は本当に美しいだろうなと思いました。
 弘前城は、津軽統一を成し遂げた津軽為信によって慶長8年(1603年)に計画され、慶長16年に完成したそうです。以後弘前城は、津軽氏の居城として廃藩に至るまでの260年間、津軽藩政の中心地でした。下乗橋から見える弘前城がとても美しかったです。その後、亀甲門(かめのこもん)の北側に広がるかつての武家屋敷町に行きました。そのうちの一つ、石場家は江戸時代、藩内のわら工芸と荒物を扱っていた商家で、国の重要文化財に指定されています。現在も酒などの販売をしていて、実際に人が住んでいましたが、100円出せば、中の見学ができるということで、中に入りました。中では、そこで生活している人がちょうど食事中で恐縮しました。すごく古い建物ですが、人間が住み、その建物を使うことにより、神社などとは違って、何ともいえない、いい味がでているような気がしました。