団地小説短編集を歩く

団地小説短編集の舞台を歩きながら団地や地域の魅力をお伝えします。

小説キャナルタウン 26 新兵庫運河物語 10 和田岬砲台(後編)マーテロー塔

2018-06-22 05:59:09 | 日記

      小説キャナルタウン 25 新兵庫運河物語 10 和田岬砲台(前編)摂海防備令 の続きとなります。

  和田岬・湊川・西宮・今津4砲台は軍事史的にはマーテロー塔と分類されています。(類似のもの程度かも知れませんが。)

       マーテロー塔

   

  写真 左 オンタリオ州キングストンにあるカナダ王立軍事大学のマーテロー塔 吹雪の後の様子。

  写真 右 マーテロー塔の内部構造                    いずれもウィキペディアから

       起源

  15世紀よりコルシカ周辺で戦略的に重要な拠点や沿岸の村を北アフリカの海賊から守るために建設されていた。1792

 年2月7日モルテラ岬の塔は2隻の英国最新の戦艦フォーティーチュード(74門の砲を搭載)とジュノー(32門の砲を搭

 載)の攻撃を受けた。2日間のはげしい砲戦で戦艦に大きなダメージを与えるも占領された。塔の中にいた人員は33人で負

 傷者は2人のみで有った。イギリスは塔の優秀さに感激しデザインをコピーした。その際「Mortella」を誤って「Martello」と

 書いたのがマーテロー塔の名の由来となった。

  イギリスとその植民地、フランス、アメリカ東海岸で多数のマーテロー塔が造られ特にイギリスではナポレオンの侵攻に備え

 105のマーテロー塔の鎖が造られたが、ライフルを施した最新の大砲に耐えられないことが分かり1850年代以降は造られ

 なくなった。防御力を高めるために周囲に掘や土塁を持つものもありました。

  内部構造は屋上に大型の砲1門または2門を置き1階が弾薬庫2階が居住区、地下が食料庫と貯水槽になっており、屋上に降

 った雨は貯水槽に貯められる。雨や雪の多い地方では仮設の屋根が造られた。カナダの塔は周囲に砲眼を備え石堡塔に似ていま

 すが木製の屋根は戦いでは取り外されます。また塔が居住スペースを兼ねているため窓があります。入口は2階にあり取り外し

 式の梯子で出入りします。


       和田岬砲台

  三菱重工神戸造船所の構内にあるため砲台の外景は撮影禁止です。西宮砲台の写真です。

   

  和田岬・湊川・西宮・今津の4砲台が語られるに当たって最大の謎とされるのが2階の砲眼です。西宮砲台で完成後空砲の

 試し打ちをしたところ煙が充満、この話がその後一人歩きをしてこれらの砲台を無用の長物の例のように言われる有様です。

  勝海舟先生は明治政府の高官を歴任し伯爵に叙せられます。もっとも政府高官は任命される度にすぐに辞任しもっぱら旧幕

 臣の助命と復権、生活再建に奔走します。勝海舟先生のお耳にも達してたと思いますが江戸っ子侍ですのでこんなことに言い

 訳はしません。ですから今も謎のままです。まず考えられるのは2階は砲眼ではなく銃眼ではないかと言うことです。断面図

 と平面図は三菱重工のパンフレットから借用しました。      

       断面図

  

  壁の厚さは下部で約1.5m、上部で1.2mあります。

       2階平面図

  

  2階には上ることは出来ませんが、2階の床の解体時の写真です。

  

  2階の床を復元した後の写真です。

  

  1階の天井、井戸の上に空いた穴と2階からの水を流すための銅製のと樋です。

    

  2階の床は蜘蛛の巣型の複雑な張り方です。中央部分が高くなっており砲身を冷やした水が外側に流れ樋で1階に流れ落ちま

 す。集めらた水は石堡塔の外に流れる仕組みになっていました。平成21年から平成26年の解体修理で確認されました。護衛

 艦の速射砲は2重構造になっており速射砲射撃中は砲身の前から水が溢れていますが、筵でもかぶせて水をかけて冷やすのでし

 ょうか。2階部分は4本の柱が当時は相当珍しい鉄柱となっています。これも広さを確保するための工夫でしょう。案内の方の

 説明では2~3門の大砲が備えられる予定でした。2階は見学できませんので砲眼からどの程度下が見えるか確認出来ませんで

 したが、上陸した敵兵を銃で射撃することを当然予想した設計だと思われます。
      
       星形土塁の設計図(神戸市立博物館蔵)

  

  湊川・西宮・今津の3砲台が円形の土塁なのに対して和田岬砲台のみが星形土塁であることについては、朝廷のもはや冗談と

 しか思えない「摂津防備12箇条⑥和田岬に八稜城を築き、内陸部各藩兵に守備させる」の要求に対する江戸っ子勝海舟先生の

 洒落返しと前回書きましたが案外当たっているのではないでしょうか。石堡塔の完成から土塁の完成まで二年以上離れていま

 す。もともと石堡塔だけの予定に八稜城の土塁が後から追加されたとも思われます。その場合、当然円形土塁も強化のための

 追加工事であったと思われます。

  石堡塔の上に三つ輪形があります。屋根は木造床の上に1.2mの三和土で覆い、更に三つの円を除いた部分に1.2m三和土

 を積みます。断面図をご覧下さい。三つの穴の部分が大砲を置く「塹壕」となります。(案内の方も3門配備といわれてまし

 た。)

  

  マーテロー塔では屋上に大型砲を備えますが、日本では大型砲がありませんでした。写真は小浜藩鋸﨑台場に有るレプリカで

 すが、図面で見れば土塁も2階も屋上もこの程度の砲しか置けない気がします。何とか数でカバーする言うことで大型の軍艦の

 ように艦内と甲板の2層の砲台になった。また軍艦との砲撃戦では周囲の大砲は大きな被害を受けます。しかし石堡塔の中の砲

 と銃は温存出来ます。上陸してきた兵も土塁を登ったところで狙い撃ちです。


  和田岬砲台は軍艦奉行並勝海舟の指示により部下の佐藤与之介が設計し、灘の廻船業者の嘉納次郎作が工事を請け負い造られ

 また。勝海舟はサンフランシスコまでしか行っていませんのでマーテロー塔は見ていないと思いますがサンフランシスコ湾に有

 る南北戦争で築かれたアルカトラズ島の要塞は見ているはずです。マーテロー塔についても蘭書や幕府の軍事顧問のフランスか

 ら情報を得ていたと思われます。もっぱら軍艦を追っ払う立地が多いマーテロー塔に対して町を守る要塞の役目もあり、砲の性

 能も劣る日本ではこのような設計になたと思われます。煙が充満いたのは反動で大砲が中にまで戻ってきたからでしょう。


  石堡塔は元治元年(1864)8月に完成します。勝海舟は7月には、神戸に出来た海軍操練所の生徒5名と農兵20人を常

 駐させる計画を立て、幕府から生徒には五人扶持、農兵には一人扶持を支給する約束を取り付けています。(実際には配備され

 ていません)薩摩藩は砲1門に兵20人を付けイギリスの来襲に備えて猛訓練をします。(薩英戦争)砲座の数からは少なすぎ

 ます。もともと砲台の近くには高松藩が砲を構えて警備をしています。有事の際は高松藩か応援の藩が配備に付く構想だったの

 かも知れません。将軍家茂は朝廷には砲台の建設と大砲の鋳造を急がせると報告しています。星形土塁は八辺形のまさに八稜城

 です。内陸部各藩兵に守らせるとしたら、大砲は藩持ちと言うことでしょうか。分からないところであります。


       お詫びと訂正

  和田岬・湊川・西宮・今津の4砲台に大砲が配備されなかったことは通説だと思ってましたので、気にとめずに書いたので

 すが間違っていたようです。以下「凛太朗亭日乗」氏のブログの一部引用になります。「西宮砲台10和田岬砲台との比較」

 から。

  新修神戸市史(歴史編Ⅲ 近世)から

  (元治元年8月和田岬砲台完成)‥‥そして月末にははや大砲4門が到着している。和田岬の方へは60斤(ポンド)砲と

  18斤砲の2門、川崎の方は12斤砲2門が、それぞれ付属品として陸揚げされた‥‥

  (60斤砲は口径127mm、18斤砲は口径84mm、12斤砲は口径121mmだと思います。慣習的な使い方で口径や

  砲弾の重さと比例していないようです。ちょっと調べただけなので間違っているかも知れません。)

  これによると和田岬・湊川(川崎)の石堡塔は同時に完成しています。屋上と2階には1門ずつの計算になります。広さから

 言って現実的な数だと思います。屋上の三輪型は土ですからすぐに対応出来ます。

  日本城郭体系(大阪・兵庫編)から 

  長い間、この砲台には大砲が備え付けられなかったとされたが、昭和53年、民政日記(岡方文書)が発見され、それによる

 と何回か試射が行なわれた模様である。

  元治元年8月13日から薩摩、因幡藩が60斤砲、18斤砲各1門を備え付けて試射を開始し、同10月13日「中川修理太

 夫様大砲試射」とありその後も砲台警備の藩が交代するごとに試射をしている。(多少日が合わない部分がありますが)

  将軍家茂は朝廷に砲台と大砲の鋳造を急ぐと約束しています。砲台の建設費は地元が負担していますので作りっぱなしはあり

 得ないでしょう、砲台があるのに砲台の隣に布陣これもないでしょう(入りきらない砲も有ると思いますので砲台を中心に布

 陣)これで話のつじつまが合います。

  普通の藩が当時持っていた大砲は64mmか84mm程度でしたので土塁の大砲は藩の持ち込みだったのでしょう。西宮砲台

 円形土塁の砲座は2ヵ所だったようです。備砲の数が予定より少なくなったのは実戦での運用を考えての事だと思います。そこ

 で強化のために土塁を追加したのかも知れません。和田岬砲台の星形8辺土塁はやっぱり八稜城?


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