建て直そう日本・女性塾

「女性塾」は良識的な女性を議員に送り出す学び舎です。このブログは「女性塾」情報を発信いたします。

女性塾研修会要約(一年間)

2006年11月05日 20時12分34秒 | 研修会報告
「建て直そう日本・女性塾」一年間の歩み

 皆様方には、日頃より女性塾の運動に格別のご理解とご支援を賜り、衷心よりお礼申し上げます。
 教育問題・学校現場の不祥事、危うい親子関係等の事件等が相次ぐ現状に「なんとかしなければ」と、立ち上げた女性塾も一年を過ごしました。
 その間都内では八回の研修会を開催し、伊藤玲子幹事長は自らの体調も顧みず請われるまま全国各地に遊説に出かけました。幹事長は、主に日本女性が家庭の中で継承してきた伝統文化・行事に、母として子供たちに教え導いてきた良識・規範が、歪められている現状を訴えてまいりました。
 緒についたばかりの一年間ではまだまだ実るに至りませんが、ここにご報告申し上げ、皆様からのさらなるご鞭撻をいただきたく存じます。
 
【ご報告事項】

女性塾設立記念 特別シンポジューム
  ◎日  時 :平成17年10月25日
  ◎挨  拶 :○山谷 えり子先生 (当時の女性塾塾長、参議院議員、現首相補佐官)
◎テ ー マ :良識ある女性・若手を政治の場に
  ◎パネリスト:○安倍 晋三先生 (当時の自民党幹事長代理、現総理大臣)
         ○稲田 朋美先生 (衆議院議員)
         ○伊藤 玲子先生 (女性塾 幹事長)
  ◎コーディネータ:○伊藤 哲夫先生 (日本政策研究センター所長)

研修会報告

◎第一回 日時:平成18年1月28日   
テーマ:「憲法について」
     講師:伊藤哲夫先生(日本政策研究センター所長)

敗戦国日本に施したアメリカの占領基本マニュアルは、物理的・精神的武装解除。
軍隊を解除し、日本人の精神的支柱である天皇を「象徴」という言葉に置き換え、日本人の誇り・自尊心を亡くす思想統制を行った。今後、改憲に着手するとき、「日本国憲法」はこのマニュアルに沿って制定されたものであることを認識する必要がある。
ところが自民党の改憲草案でさえ、「象徴天皇はこれを維持する」という前文から始まっている。これでは日本の精神性・国民性再建には程遠い。
日本のマスコミには、まだ占領下の思想統制のトラウマがあり、日本国憲法に阿っている。これを下敷きにしている間は創憲はおろか改憲もおぼつかない・・
女性塾の皆さんに、歴史的事実から曇りのない感性を育まれんことを望む。
◎第二回 日時:平成18年3月4日
     テーマ:「現場からの教育改革―教師と親の意識改革」
     講師:高橋史朗先生(明星大学教授)

 教育はトップダウン型では再生しそうもない。制度改革は限界。親を変え、家庭を変え、先生をどう変えるか、ここからしか教育改革は始まらない。
 子育て支援策でも親の子育てを「支援」するのではなく、親は子育ての「主体」であることを明確に伝えなければならない。誰かが肩代わりをするのではなく「あなたが責任者」であること、私はそのためのスキル、態度、価値観を学ぶ「親学」を提唱している。
 子供は母性・父性の中で育つ。それを否定するジェンダーフリーの中では子供の精神の健全育成も安定も望めない。
教師の意識改革も伝統を踏まえる必要がある。風土・国民性を勘案しない日教組のような組合組織ではなく、教員同士が切磋琢磨する職能団体を結成すべき。私は杉並、埼玉などに「師範館」「師範塾」として教師の学びの場を立ち上げた。・・・
「凡事徹底」足元からの教育改革、まず家庭再生、特に女性の意識改革を期待したい。

◎第三回 日時:平成18年4月8日
    テーマ:「日本の安全保障政策の課題」
    講師:濱口和久先生(日本政策研究センター研究員)
       米田建三先生(帝京平成大学教授)

○濱口先生:国家は、領土・国民・統治機構から成り立っている。大陸に弓なりに位置する領土に住む国民の安全を守るべく、統治機構は機能しなければならない。
同胞が拉致され、領土が占拠されてもあまり怒りを感じない国民では安全保障はおぼつかない。国の守りは、精強な軍隊や最新鋭の武器を持っていることではなく、国民1人1人の意識が重要・・国防を忘れることは亡国に繋がる、ことを肝に銘じて欲しい。
○米田先生:世界の動きを見定める必要がある。世界は国家間のせめぎあいの中にある事実を直視し、国際社会での安全は軍事力が保障していることを認識しなければならない。
日本は「専守防衛」が幅を利かせ、我が国はたとえ防衛上の必要があっても他国に脅威を与えないことになっている。近隣諸国に殴られても抵抗しない国と看做されている。
アメリカを盲信せず、主体的な国防を考えなければならない。・・・・

◎第四回 日時:平成18年5月13日
    テーマ:「歴史問題をめぐる日本の課題」
    講師:藤岡信勝先生(拓殖大学教授)
「新しい歴史教科書」(扶桑社)が描く5つの歴史問題について話したい。
1、「聖徳太子」の評価
大国隋に服属せず、独立国家として宣言したこと、仏教・漢字を取り入れる一方で、伝統文化を自覚的に継承していったこと、天皇を中心に国家の統合をはかったこと、など国の骨格と
 なる大方針を示した「聖徳太子」を実写。
2、「鎖国」江戸時代の実相
「鎖国」は列強支配から逃れるため、安全保障上有効な政策だった。江戸時代の庶民の文化的豊かさは「貧農史観」ではみえてこない。
3、「明治維新」
近代国家建設のため、自ら特権を捨て公に順ずることを選んだ武士階級は「廃藩置県」を行うにあたって、「一発の弾丸も発することなく、一滴の血を流すこともなく成し遂げた」(岩倉具視)自己犠牲と勤労の精神からの成功。
4、近代日本とアジア
近代日本の成功はアジアのモデル。中国革命も日本に学び、日本をモデルとした。
オランダのインドネシア支配、イギリスのインド支配とは異質な日本の朝鮮・台湾統治。
5、「冷戦」
日本の冷戦は1925年ソ連と国交を結んだときから始まり、今もって続いている。
共産主義国家はコミンテルンなどを組織し、破壊活動・国家転覆を目的としている。横田めぐみさんなど拉致事件が頻発し国家主権が侵害されている現在まで日本の「冷戦」は終わっていない。

◎第五回 日時:平成18年6月3日
    テーマ:「教育基本法改正、日教組の現状と今後の課題」
    講師:小林 正先生(民間教育臨調教育制度部会長 元参議院議員)

教育基本法改正は来年の統一地方選・参議院選の争点になりうる。改正の状況如何で
これらの選挙に、改正を求める署名360万がどう動くかが勝敗に関わるだろう。
民間教育臨調の促進委員会は、改正に「愛国心」「宗教的情操教育」「教育基本法十条(・・不当な支配・・)削除」を求めている。与党案は公明党と妥協に妥協を重ね、民主案は前文に「愛国心」はあるものの随所に左派・右派の妥協が見られ、いわば「羊頭狗肉」の感がある。促進委員会案に近づけることを求めていく。
日教組の組織率は、現在29、5%に落ち込んでいる。団塊の世代が定年を迎える数年後は10%台になる、立ち枯れ状況。しかし日本民主教育政治連盟(日政連)から衆議院2名、参議院8名を送り出している。選挙資金に組合費が使われていることは明らか(ex,山梨教職員組合問題)。文科省は彼らに迫られ後退している。

◎第六回 日時:平成18年7月1日
テーマ:「男女共同参画(ジェンダーイクオリティー=性別否定)の実態と背景について」
     講師:桜井裕子先生(ジャーナリスト)

平成11年に制定された「男女共同参画社会基本法」の言葉の違和感は、国連で使われている「ジェンダーイクオリティー」の訳から来ている。「男女共同参画」ではなく「性別否定」と訳したほうが正確。根底に男性=支配、女性=被支配の対立構造で捉えるマルクス主義思想がある。自治体の条例は思想的侵略の好餌となっている。またフエミニスト教師による過激な性教育に教育現場は混乱した。性別否定は培ってきた伝統文化・規範意識の否定に繋がる。
日本再生には、伝統文化を見直し、営々と築いた道徳体系を取り戻すことが不可欠。この「基本法」に隠されたマルクスフェミニズムの危険性を認識することを求めたい。

◎第七回 日時:平成18年9月9日
    テーマ:「我が国が当面する諸課題」
    講師:中山成彬先生(元文部科学大臣・衆議院議員)

文部科学大臣時代に訪ねた小・中学校400校に「早寝・早起き・朝ごはん」「読み書き計算」の徹底をお願いした。基本的なことをしっかり教えることは義務教育の使命であり、教育者の責務。悪しき平等主義が学校から活力を奪った。公教育が再生しなければ格差社会が生まれる。真の平等は教えるべきものをしっかり教えることだ。

◎第八回 日時:平成18年10月14日
    テーマ:「子供は親に何を求めているか」
    講師:田下昌明先生(医学博士、小児科医)

育児は男女が半分ずつ担うものではない。また育児には父・母それぞれの役割がある。
育児には、母親による強力な保護とそれを守り安心できる環境をつくる父親の役割が必要。
また、母性愛はDNAにプログラムされているが、父性愛は社会的産物である。
「1人の女性による継続的な養育」が子供の発達には必要である。母親が担えない場合は祖母でも育ての親でもよいが、「女性」でなければならない、とボウルビィ(英国の医師、母子関係の大家)が言っている。母と父との役割を認めない、育児の外注化を提唱するフェミニズムの子育て論では「人間」は育たない。    
以上(文責:河村)



女性塾第7回研修会報告

2006年10月19日 08時52分44秒 | 研修会報告
         建て直そう日本・女性塾
      第七回研修会 平成18年9月9日 開催
            於:虎ノ門パストラルホテル
        テーマ「我が国が当面する諸課題」
         中山 成彬氏(元文部科学大臣)
≪略歴≫
昭和18年、宮崎県生まれ。東京大学法学部卒、大蔵省入省。昭和57年大蔵省を退官、政治活動に入る。昭和61年衆議院初当選。文部政務次官、経済産業副大臣、自民党副幹事長などを経て平成16年文部科学大臣に就任。奥様は中山恭子・元内閣官房参与。

[自己紹介―生い立ちから]
 高千穂の峰が連なる草深い宮崎県小林市、旧薩摩藩だったところですが、ここに農家の5人兄弟の長男として育ちました。台風の常襲地帯でせっかく実った米が一晩でだめになることも多く、両親が嘆いたものでした。
 そんな環境でしたから家の手伝いは当たり前で、牛馬の世話、山羊や羊、猫に至るまで私の担当でした。わらを切ったり、田んぼの見回り、夕食の準備など、忙しい両親の手助けをいたしました。
 母親に「勉強しろ」といわれて殺したという痛ましい事件がありましたが、私は親に
「たまには勉強しろ、といってくれ」という注文をしたものでした。
 中学校に入り、野球部に入りたいと思いましたが、「牛馬の世話は誰がするんだ」といわれ諦めました。親もつらかったろうなと思います。私も特に不満とは感じませんでした。
 そうして中2の秋、野球部の顧問、竹下先生に突然、来年の夏まで入部しないかと誘われました。2つ下の弟ももう家の手伝いができるころになっており、両親も許してくれました。入部の日、部員の前でこの竹下先生は「中山君は4番でキャップテンだ」と紹介されたのです。少し自慢になりますが・・私は農家の手伝いで日頃から鍛えており、足も速く、走り高跳びの記録もあり、授業のソフトボールでも活躍していたのです。冬の間、野山を駆け回って鍛錬して夏の大会では打率6割2分5厘の成績をおさめました。そのころは野球で身を立てるつもりでいました。
宮崎県には森永貞一郎という東大から大蔵省を経て日銀総裁をされた方が居られ、私を見込んでくださり、進路について校長先生に何度もお会いされたそうです。私立高校へ進学することなど無理な環境でしたが、私が世話をしていた子牛が1等になり、30万円―今だと300万以上の値打ちでしょう-で売れたことなど運にも援けられ両親がくれた小さい頃からの貯金と合わせて、鹿児島ラサール高校へ入学することができました。
高2の頃、社会党議員の浅沼氏が刺殺される事件がありました。武道のたしなみがあれば、一命は取り留めていたかもしれない、という話を聞き、野球より武道だ、と思い、空手と合気道を始めました。その後精進して、空手2段、合気道3級を取得していたのですが、大臣になると名誉段位を得、空手6段、合気道3段をいただきました。いいのかなとも思いますが、おそらく闘うこともないでしょうから、大丈夫でしょう・・・
この高2の冬、1月9日父が急死しました。余裕のある家ではありませんので、農家を継ぎ、大検を受けようと思っておりましたら、このころ特別奨学金の制度が始まり、授業料も免除という恩恵に預かり、学校を続けることができました。
貧しい中で苦労もありましたが、運もよかったのでしょう。

昭和40年大蔵省に受かりました。その中に1人だけ女性(中山恭子・元内閣官房参与)がおり、私を「食事に行きませんか」と誘ってくれました。強調しますが、誘ったのは私ではなく家内の方が先だったんですよ。東大の仏文科で外交官を目指していた彼女は、試験には合格しても採用されなかったのです。外務省は一時期女性を採らないことがあったのです。当時の外務大臣福田赳夫氏の勧めで大蔵省を受けなおすことになり、いつも図書館で勉強して入省した仲間たちとも顔なじみだったようです。私はほとんど道場に行っていましたから顔見知りがいません。家内に言わせると私がぽつんと一人ぼっちで可哀そうだったから声をかけた、そうです。

40歳になり、大蔵省を退官して政治家を目指しました。衆議員選旧宮崎2区より初出馬したのですが、500票あまり足りなくて落選しました。家内は優れた女性ですので、選挙に使うのはもったいないと思い、単身でがんばりましたが、なかなか難しく初当選は昭和61年です。
 
大蔵省で働いていた頃、上のほうのはからいがあったのでしょうか、私は世界銀行、家内はIMF、と同時期に米国にいくことになりました。小学校に入ったばかりの英語など全く話せない子供を現地の学校にやりました。お陰さまで子供は自然に愛国心が育ちました。外国にいると自分を日本人として意識します。アメリカの地図は当然合衆国が真ん中にあり、日本は隅っこに小さくなっています。中国の前に弓のように位置しています。我が国のけなげさが愛しくなります。子供にとってもいい経験だったと思います。

国際交流基金が生まれ、家内にウズベキスタン大使の話が舞い込みました。私は1人暮らしは慣れておりましたし、彼女も外交官の夢が叶えられるチャンスでもありお受けさせました。
そこでキルギスの人質事件が起こりました。犯人は人質を1人ずつ殺すと脅しをかけ、緊迫した情勢でした。彼女は深夜私に悲鳴に近い電話をかけてきました。外務省からは現地の政府に任せて動くな、という指示だが、このまま手を拱いているわけにはいかない・・私は大使の責任で助けられる可能性を探るべきだ、とアドバイスしました。
女性というのは強いものですね。彼女は単身で、タリバンの一族の親分のところへ行き現地の通訳を交えて交渉したのです。人質は解放されました。
 ウズベキスタンもそうですが北朝鮮も共産主義の独裁国家です。国民が自由にものいえるところではありません。我が国のように思っていることをいえるところではないのです。  北朝鮮から拉致された5人が解放させましたが、外務省は北朝鮮の要求に従い、本人の意志があれば、いったん返すべきだ、という考えでした。しかし「本人の意志」など確認しようがないのです。不当に拉致された国民を国家の意思でとどまらせることが当然なのです。このときも彼女は筋を通しました。たいした人です。それにしても外務省の無責任体質は困り者です。
根本から改革する必要性を感じます。

[次期総裁への期待]
 先日、総裁選の出陣式がありました。候補者はそれぞれスマートで弁舌さわやかでした。しかしどうも物足りない、お三方ともおぼっちゃまで草いきれのにおいがしない、政治家も二世・三世が多くなり、ひ弱な感じがいたします。
 
 私は小泉さんはよくやられたと思います。5年前株価は7000円台にまで落ち込んでいました。当時どこの銀行がつぶれるか、保険会社がだめになるか、戦々恐々でした。それが今株価16000円まで回復しています。経済再建が優先課題でしたからその意味でも成功でした。
 ただ、地方にいきますと怨嗟の声が強いです。経済格差が広がっています。地方は公共事業に頼っていましたから、中央からの予算が切られると立ち行かなくなるのです。小泉内閣での地方分権は、がんばっているところはいいのですが、宮崎県などは有効求人倍率1未満です。なかなか仕事がありません。一番高いところは愛知県です。
多くの企業が中国に進出し地方での誘致が進まないのです。しかしチャイナリスクといわれるように外国で高いリスクを負うより、国内にとどまることのメリットを考える時期に来ていると思います。
 団塊の世代が定年退職する時期ですので、人も企業も地方へ移って、もう一花咲かせるつもりになれば活性化の道が開けるのではないでしょうか。農業へもチャレンジしてもらいたいです。
 中国からの輸入品の残留農薬が問題になっています。ほうれん草や生シイタケなど輸入禁止になりました。農産物だけではありません。先日土用丑の日で、駅弁を買おうとしたら中国産のうなぎが輸入禁止で、お弁当が作れなくなったという話を聞きました。日本の食糧自給率は40%ぐらいです。食べ物を輸入に頼っていたのでは危険です。農政は重要です。私も小泉さんに次は農林大臣にして欲しいとお願いしたことがありました。細田さん(当時官房長官)も「それはいい」といってくれたんですが・・
 安心・安全な食を国内で確保するために政治が動かなければなりません。

 小泉首相の靖国参拝が議論になりますが、中韓が問題にするから行くべきではないのではなく、問題にしているから行くべきなのです。小泉さんは立派でした。
 日本のマスコミは時の政権を批判することが役目なのでしょうが、そのため主張が中韓と同じになっています。中韓にしてみれば、日本というのはなんて御しやすい国なんだろう、と思うでしょうね。中韓は一枚岩です。日本は多様性の国です。あちらにとってみればやりやすい、楽な相手に見えるでしょう。日本のマスコミが味方ですから。
 そのことを谷垣さんは分かっていない。安倍さんと麻生さんはしっかりしています。
 先日大連に行ってまいりました。すごく発展しています。日本が十年かけたところを半年でやっている勢いです。高速道路が瞬く間に通っていました。中国はどこも国有地ですから、住民の意思等勘案せず、そこのけそこのけ道路が通る、やり方が出来るわけです。農民は国民とは思われていないような乱暴な開発です。主要都市と農村の格差は著しく、大きな不満を抱えています。共産党が日本をやっつけた、そして中国を発展させてきた、という反日教育をやっています。日本人は鬼畜であるような教育をしていますから、日本に来た留学生などは、はじめは怖がっています。交流しているうちにだんだん分かってくるようです。中国民の不満の捌け口に反日が使われていることを考えなければいけません。
私の発言はよく新聞社から「妄言」だと叩かれます。大臣在任中も韓国の方が大挙して大臣室へ抗議に来られました。私は、「私の故郷の南郷村というところに百済の里がある。1300年前から毎年お祭りをしてきました。一方中国では高句麗はなかったといっている、どっちが韓国のことを思っていると思いますか」とお話したところ、静かに帰っていかれました。

宮崎のゴルフ場が韓国に買われていまして、韓国は冬場凍ってプレイができないのです。韓国は今大変なゴルフブームです。女子プロなどアメリカ遠征でも活躍しています。子供の頃からオーストラリアなどへゴルフ留学をさせるようです。5~6年前から故郷宮崎で小奇麗な女性を見かけるようになり、すれ違ったら話しているのは日本語ではなかったのです。
実は領土問題は竹島どころではないのです。今後労働力が自由化されると、国内の中に租界地ができ、日本人が排斥されるような事態になることも予想されます。韓国人は宮崎で実に元気がいいのです。
台湾は日本人が好きですね。私は台湾で講演の依頼を受けています。10月に新幹線が開通します。台湾ではお年よりは朝公園で体操をやるらしいのですが、それが終わった後日本の歌を歌うそうです。韓国とは違って、日本人が台湾の発展のために力を尽くしてくれた、新しい国づくりをしてくれた、と伝えています。日本は台湾を大切にしなければいけません。
ところが、外務省にはチャイナスクールというものがあって、中国の顔色ばかり伺っている外交官がいます。彼らは中国大使になるのが夢で、中国に嫌われたくないようです。台湾には中国からミサイルが向けられています。ミサイルは日本にも向けられていますが、そのことに脅威を感じないのもおかしなことです。
心配なことは陳総統の身内に汚職が露見し、人気が下がっていることです。国民党に取って代わられたら中国寄りになってしまいます。
韓国のノムヒョン政権は共産党政権といっても過言ではありません。付き合いにくい相手でした。今後任期も終わり、韓国が変化することを望みます。
 中国・韓国は靖国問題があるから首相会談はしない、ということをいってきましたが、問題があるからトップは会うべきなのです。日本は今スケープゴートにされていますが、安倍さんがうまくやってくれるでしょう。

 [教育問題について]
 子供が殺したり殺されたり、大きな事件が多発しています。文部科学省もいろいろ努力しているのですが、対症療法ではなく教育の根本に踏み込まなければ、解決は難しいです。
 秋田の事件で、あの母親は自分の娘も殺しているな、と直感しました。所謂「出来ちゃった結婚」の場合うまくいかなくなったら子供に当たることが多いようです。地元の宮崎の学校でも2割が片親、東京北区では4割のところがあるようです。家庭が壊れているのです。コンビニの前で子供が空腹で倒れていることがあるのです。給食だけが命綱の家庭が増えています。昔は子供がいるから離婚を思いとどまったものでした。我が家でもそうでした。しかし今はその反対で、子供受難の時代です。
 高度経済成長のとき「金の卵」といって地方から集団就職でどんどん都会に出てきました。私の故郷でもクラスの7割が中学を終えると、働きに出ました。クラス会などで話を聞くと子供たちには家の手伝いなどさせず、勉強さえすればいいとしてほとんどが大学に行かせたそうです。「甘やかした」と反省しています。子供たちに人間として生きる大切なことを教えてこなかったジジとババの責任は大きいです。
 「ゲーム脳」の実態など研究させているところです。ひきこもりや~オタクにせずスポーツ振興を働きかけています。特に武道を必修にすること、女性もそのたしなみがあれば痴漢撃退に役立つでしょう。
 「早寝早起き朝ごはん運動」や「読み書き計算」の徹底を働きかけています。詰め込み教育はよくない、ということをいう人がいますが、小・中学校で詰め込まなくては教育の責任が果たせません。
 私は自分の名前も書けない状態で小学校に入りました。中学に入るときはA,B,Cまでしかいえませんでした。誰も教えてくれる人などいませんから当たり前ですが大変悔しかったです。記憶力はいいほうでしたので、出席簿を憶えたりしていました。今でもいえますよ。あの記憶力がよかった時期を無駄に過ごしたなあ、もったいなかったなあと思っています。
 学校では「競争は悪」という風潮が蔓延してしまって、徒競走でも手を繋いでゴールインする、ということが行われています。こういうことが子供から活力を奪い、体力・気力を失わせています。
 今、なんと短大でbe動詞から始めなくてはならないぐらいに学力が落ちています。足し算は出来るが引き算はダメ、という状況は異常です。我が国は人材こそが資源なのです。子供たちに幸せな人生を歩んで欲しい、そのためには基礎的な学問がないと、生きていけないのです。
 「押し付け」はだめだ、「競争」はだめだ、と「平等」「自由」を過度に主張される女性議員がおりますが、親心で子供達の人生に責任を持ち、幸せを願うなら、しっかりとした基礎学力を身につけて送り出すべきです。
 そういう女性議員がどんどん増えていくことを願っています。

女性塾第6回研修会報告

2006年08月25日 14時38分19秒 | 研修会報告
               建て直そう日本・女性塾
            第6回研修会:平成18年7月1日 開催
                 於:靖国会館
 テーマ「男女共同参画(ジェンダーイクォーリティー=性別否定)の実態と背景について」
            桜井 裕子氏(ジャーナリスト)
《略歴》
昭和32年、東京生まれ。慶應義塾大学文学部英文科卒。PHP研究所、PHPエディターズグループ勤務を経て、フリーに。書籍のプロデュースや執筆・制作を手がける。
平成17年より論文を発表、講演活動も行う。主な作品に「猪口さん、ジェンダーフリーの旗を降ろして」(月刊『正論』平成17年12月号)、「フェミニズムの国家侵食を決定的にした朝日報道」(月刊『正論』平成18年5月号)などがある。

[はじめに]
平成11年に施行された「男女共同参画社会基本法」(以下、基本法)という聞きなれない言葉も、7年も経つと違和感を覚える人も少なくなったのでしょうか。この言葉は、国連で使われている「ジェンダー・イクォリティー」の訳語です。まずこの言葉の問題点について整理してまいりましょう。
 男女の生まれながらの身体的な違いは、性別(Sex)です。
 一方、女性学では、「社会的に形成された男女の違い」があるとして、それをジェンダー(Gender)といいます。フェミニストはジェンダー(男女の違い)の解消をめざしています。
 このジェンダーの根本には、男性=支配、女性=被支配の対立構造でとらえるマルクス主義思想があるのです。すなわちジェンダー自体が〝目的つき概念〟なのです。
 その意味に忠実であるならば、ジェンダー・イクォリティーは、本来、「性別否定」と訳すべきでした。それを「男女共同参画」と訳したのは、体制内フェミニストの大沢真理・東大教授です。いわば「性別否定」という過激なイデオロギーが、「男女共同参画」という美名できれいに着飾って基本法として法制化された、という流れを把握していただきたいと思います。
 男女共同参画は、性別否定という言葉に置き換えてみれば、その本質がよくわかります。

[マルクス主義的フェミニズムの侵略]
 アメリカで1960~70年代に吹き荒れたウーマンリブ運動は、その後、同国内で支持を失い、運動家は国連にその活動の場を移しました。1979年12月には、彼女たちの仕掛けた「女子差別撤廃条約」が国連総会で採択されます。
 その第一条には、〈「女子に対する差別」とは性に基づく区別、排除又は制限であって〉と書かれています。つまり「男女の区別も差別」だといっているのです。
 わが国は、中東や旧共産圏に比べて、女性の権利と待遇は非常に高い水準にあり、ことさらにそうした国際条約に署名・批准する必要はありません。外務省は、当時、国内法との整合性がとれないために、批准する目途のない条約には署名しない、との理由で、女子差別撤廃条約の署名も延期する予定でした。
 ところが朝日新聞論説委員・松井やより氏が、朝日新聞一面トップに「政府は、女子差別撤廃条約の署名延期の方針」の記事を書きます。その記事を受けて、国会議員や女性団体が政府や政治家のもとに押しかけて、署名に向けて圧力をかけます。
 その結果、同条約の署名する方向に政府の姿勢が転換します。フェミニストたちにとっては、予想外の大勝利でした。政府が革命思想を受け入れていいの?という意味を込めて、上野千鶴子・東大大学院教授などは、〈おいおい、本気かよ。字が読めなくて署名したんじゃないのかい〉(『ラディカルに語れば…』平凡社)と言っているのです。
 こうしてマルクス主義的フェミニズムは、わが国で市民権を得たのです。94年6月に、男女共同参画室と男女共同参画審議会が設置され、翌年5月から大沢真理氏が加わり、猪口邦子氏も橋本総理に大いにモーションをかけます。
 この経緯は、昨年の月刊『正論』12月号に詳細に述べていますが、橋本総理、野中広務官房長官という支援を受けて、99年に男女共同参画社会基本法が成立し、2001年、省庁削減の行政改革に逆行する形で、男女共同参画室だけが内閣府男女共同参画局に格上げされます。
 男女共同参画局の平成18年度予算は、17年度(10兆6763億円)から半減されましたが、それでも防衛関係費(4兆8千億円)に並ぶ4兆3570億円です。
 
[彼らは何を主張しているか]
①権利の濫用
 彼らは「セックスをする・しない、子供を産む・産まない、中絶する・しない」は女性の権利で、性の自己決定権を高く評価しています。
学校現場では、小学校に入学したときから過激な性教育を行っています。
厚生労働省は、外郭団体を通じて、『思春期のためのラブ&ボディBOOK』を全国の中学生を対象に制作しました。その中では、男女の性交や避妊の方法はリアルに説明していますが、人間としての道徳や守るべき規範、中絶の罪や痛みなどは全く触れていません。
権利の濫用を促す司令塔が、男女共同参画局であり男女共同参画社会基本法なのです。

②個の解放
経済同友会は、平成17年3月に『個人の生活視点から少子化問題を考える』を、そして日本・東京商工会議所は平成18年5月に『少子化問題に関する提言』を発表しました。これらは同工異曲で、伝統的家庭を否定し、事実婚・婚外子・夫婦別姓を容認、促進することが少子化対策の切り札になると主張しています。
フェミニストは、社会の構成単位を家庭から個人にしようと画策しています。しかし家庭は、国家や社会の秩序を保つ上で、もっとも大切なものです。子供にとっては、家庭という愛情溢れる安定した環境が必要不可欠といえましょう。
また、個の解放は、性の解放につながり、過激な性教育と相俟って青少年の淪落を招いています。
今井博久助教授(旭川医大)が高校生3,200人を調査したところ(2004年12月5日付、産経新聞)性体験があると答えたのは、男子35.8%、女子47.3%で、クラミジアに感染した女子(16歳)は23.5%でこれは欧米先進国の10倍に上ります。
日本青少年研究所の調査(2003年9~10月)では、「結婚前は純潔を守るべき」と答えた高校生は、米国(男47.5%、女55.9%)、中国(男72.9%、女76.5%)に比べて、日本は男40.9%、女29.2%ですから、女子高生の7割は婚前交渉を認めています。これでは、妊娠しても、父親が分からない危険も出てきます。
わが国の若者は性道徳の頽廃とともに、帰属意識も低下しています。国旗・国歌を誇らしいと感じる若者は1割程度です。個の開放は、急速に若者に道徳的頽廃を招いています。

③男女の「違い」を「差別」とする(「らしさ」の否定・性別役割分担の否定)
フェミニストは、男女は支配・被支配の関係にあるとしているので、その解消のためには「性別による違いをなくすこと」が必要だとしています。男らしさ・女らしさを否定し、父性・母性も育児性として、性別役割分担を敵視しています。
すでに、配偶者控除などを撤廃する税制面での見直しも進められています。
自治体の広報誌でも、男女の役割分担を暗示するようなスナップ等は排除されています。
また教育現場では、日教組は性別否定のシンボルとして男女混合名簿を導入しています。これは身体検査や体育・水泳などの同室着替え、合宿での同室宿泊にもつながっています。
小さい頃から、「男らしさ・女らしさはよくない」として育てられたために、「女らしくすべきだ」と思う女子高生は22.5%、「男らしくすべきだ」と思う男子高校生は49.2%で、米・中と比較しても大きく下回っています。はたして、「ふしだらな女性と腑抜けた男性が増えることで、果たして結婚したいと思うでしょうか?」と、フェミニストの猪口大臣にお伺いしたいところです。

[日本再生への処方箋]
戦後、〝修身〟は「軍国主義」のレッテルを貼られて徹底して排除されてきました。しかし、これほど美しい言葉があるでしょうか。人間としてどう生きるべきか、を教えることは教育の根幹をなすものです。
わが国が近代国家として歩みだしたとき、明治天皇は学校をご巡幸されて、子供たちの教育に関して「偉人伝」を教えるようにご提案なさいます。実在の人物を通して、修身を教えることの大切さを示されたのでした。
皆様の中で、「浜口梧陵」という名前をご存じの方はいらっしゃいますか? 浜口氏は、江戸末期の安政大地震の折、現在の和歌山県広川村で大津波を体験します。
村人を津波から救出する作業の陣頭指揮に立つと同時に、資財を投じて立派な防波堤を築きます。それが、約100年後、昭和21年の大津波の時に、村を救います。
この浜口氏は、昭和22年まで国語教科書に載った『稲むらの火』のモデルになります。
これには後日談があります。明治になって、日本人青年がイギリスのJapan Societyで流暢な英語で「明治期の傑出した日本女性」について講演します。
講演後、参加していたイギリス人女性が質問に立ちます。「私は、ラフカディオ・ハーンの『生ける神』という物語を読んだ。そこには、津波から村人を救った知恵と勇気に溢れる日本人・浜口梧陵が描かれていた。貴方は同じ苗字だが、何か関係があるのですか」というものでした。
その質問に、急に、講演した青年は、感極まって言葉が発せなくなりました。彼は、浜口梧陵の息子・担氏だったのです。地球の裏側で父の名前を聞いて、感激したのでした。
その『稲むらの火』は、英語、タイ語、シンハラ語などに翻訳されて、世界各国で出版され、紙芝居になって親しまれています。しかし、日本の子供たちは、この物語を知りません。
また90年ほど前、西条八十、芥川龍之介などの文人が集って、『赤い鳥』運動がおきました。これは子供たちが学ぶ唱歌や物語はもっと美しく、情緒的であるべきだという運動で、多くの名曲や作品がつくられました。「赤とんぼ」「早春賦」「浜辺の歌」「待ちぼうけ」すべてこの運動から生まれたものです。
これらの作品は、わが国の子供たちの情操・情緒の育成に貢献してきました。最高の文学的レベルにあるこうした作品を、今後も守り伝えていかなければなりません。

[男女共同参画社会条例は、いりません]
日本全国、津々浦々で、男女共同参画社会条例がつくられています。その中で、ほとんどすべての条例が謳っているのが、「男女共同参画の視点に立った社会制度・慣行の見直し、意識の改革」です。
これは、言い換えれば、自分たちのマルクス主義をルーツに根ざした思想で、わが国の伝統と文化、家庭に革命を起こそうということです。人々の意識から日本を破壊しようとする男女参画社会基本法の本質がここに現れています。
具体的には、性別役割分担を否定し、夫婦別姓の推進を主張しています。しかし、内閣府の調査でも、夫婦別姓を希望している人は全体の6~7%に過ぎません。
また、家事をアンペイド・ワーク(無償労働)として、社会で働く有償労働の下に位置づけて、それに経済的評価を与えるように促しています。しかし、家事・炊事は、お金に換算しないから価値があるのではないでしょうか。何でも貨幣価値で計らないと気がすまない、という卑しい条例です。
また「仕事と家庭の両立支援」という目標は、子育てのアウトソーシング(外注・人任せ)と保育時間の安易な延長につながっています。

「男女共同参画」は、「性別否定」と置き換えれば、その本質がとてもよくわかります。私たちは、この革命思想によって日本の伝統・文化・社会・家庭が破壊され、人倫・道徳が頽廃していくことを食い止めなければなりません。
男女共同参画社会基本法の本質を見抜いて、その廃棄が私たちの願いであるという意思表示をしてまいりましょう。

女性塾第五回研修会

2006年07月02日 21時29分47秒 | 研修会報告
      建て直そう日本・女性塾5
   第五回研修会 平成18年6月3日 開催
       於:日本青年館
テーマ「教育基本法改正、日教組の現状と今後の課題」
     小林 正氏(民間教育臨調教育制度部会長)
≪略歴≫
昭和8年、東京生まれ。横浜国立大学学芸学部哲学倫理科卒業後、川崎公立学校教諭、神奈川県教職員組合執行委員長。平成元年、参議院議員に当選(日本社会党)。平成5年、日本社会党を離党、新生党を経て、新進党結党に参画。在任中は、参議院文教委員会理事、同地方分権・規制緩和特別委員会委員長などを務める。著書に『日教組という十字架』
(善本社)。

はじめにー教育基本法改正について

 私は教員の時代、組合活動から政治活動に展開した時代、そして現在、と3つの時代を生きてきました。一口で言えば反面教師です。
 この女性塾の伊藤玲子先生とは、彼女が鎌倉市議時代に湘南教組(神奈川県教組の一支部)の違法行為を追及されていたとき、私も連携して正常化に取り組みました。
 本日は、はじめに、今期国会で教育基本法改正案が上程されたにも拘らず、継続審議となった経緯についてお話したいと思います。

 教育基本法改正案には、私が関わっている民間教育臨調での促進委員会によるものと、自民・公明による与党案、そして民主党案との3つがあります。後者の2案が国会に上程され、桜井よしこ氏や鳥居中教審会長などが参考人として招聘され質疑を受けましたが、国会延長は認められず、結局継続審議となり、秋の臨時国会以後の審議に持ち越されました。ポスト小泉となる方が受け継ぎます。特別委員会として森山真弓委員を議長とする46人委員会に託されます。
 来年、統一地方選と参議院選があります。いままでこの種の重要問題を選挙の争点にすることを嫌う傾向がありましたが、改正がどの時点で成立するかが鍵になることは間違いありません。
通常国会での決着を願い、会期延長を前・元文科相が小泉首相に申し入れましたが、拒否され、秋以降に持ち越されました。ポスト小泉に誰が就くか、運命の分かれるところです。
 改正には3つの争点があります。
一つは「愛国心」についてです。与党案、つまり政府案は国を愛する「態度」とし、しかも他国を尊重することと抱き合わせでこれを入れています。
二つ目の「宗教的情操教育」は一般的に必要であることを認めながら、記述されていません。これには公明党の意向が大きく関わっています。
三つ目は教育基本法10条の「不当な支配・・」の条項に関することです。この条は国家を悪とし個人を善とする思想により、教育裁判を多発させた元凶でした。はじめ、促進委員会でも教育の中立を守る「不当な支配・・」があってもよい、という意見があり、私は「とんでもない」と、議員会館の会議室で絶対削除を説いてきました。その結果、促進委員会では削除が常識になっております。しかし、残念ながら政府案では入っています。言い分として、一般の法令を定めることによって今までの恣意的な解釈には歯止めがかかる、つまり教育裁判にいたることにはならなくなるだろう、という理屈のようですが、ならばなぜ削除しないのか問題を感じます。
 このような不条理はとりもなおさず、政府案作成において、公明党と妥協に妥協を重ねたが故です。自民党が本来持つ国家観と公明党のそれとでは融合するはずもありません。これでは伝統的な自民党支持者は不満でしょう。
 ある宗教団体の代表は、自民党幹部に対して、「宗教的情操教育」に反対の立場をとっているのは宗教界では創価学会ただ一つ、かつて改正に関し、506万の署名を集めてお願いしたが、村山内閣の成立で、自民党と社会党が握手を交わしている姿に我々は怒り心頭に達したものだった、直近の国体選挙で自民党はこの署名数の500万票を失った、今回は360万署名を集めている、来年の参議院選挙ではどういう結果になるかお分かりか、と迫りました。議員の中では下村博文氏などもまっとうな改正に努力しておられます。
 民主党案について、「なかなかいいじゃないか」という産経の社説もありました。確かに「愛国心」を明記しているところは評価できます。先日桜チャンネルで、私は高橋史朗氏とこの案を分析しましたところ、随所に左右の妥協がみられ、どうも「羊頭狗肉」の観ありです。
 やはり促進委員会案がベストでしょう。強いて言えば民主党案がベター、与党案がグット、といったところです。今後促進委員会案に近づけるよう努力しなければなりません。私は、政府案を1~2年掛けて審議を尽くせば必ず決着できると考えています。
 国会で教育勅語と教育基本法の関係について質問が出たとき、小坂文部科学大臣は、昭和21年10月8日の文部次官通達で、教育勅語は禁止された、と答弁しました。これはまちがいです。昭和21年6月21日の第90回帝国会議で田中耕太郎文相は「教育勅語と教育基本法は車の両輪である」という発言をしています。当初はその意識であったのです。GHQの圧力で奉安殿をつくり、奉読されるべきではないことの勧告をいれざるを得なくなりましたが、当時は教育基本法と教育勅語は並立して存在しうるものだったのです。
つまり禁止された事実はありません。このことは「文部省120年史」に明記されている事実です。この一事をとっても今の文部官僚も大臣もはなはだ無知であると指摘せざるをえません。
 教育基本法改正には教育勅語で求められた徳目を加える必要があるのです。
   日教組の現状と今後の課題

 昭和20年12月1日に羽仁五郎氏によって全日本教職員組合が結成されました。その翌日賀川豊彦氏により日本教職員組合が結成されました。
 紆余曲折を経て昭和22年6月8日、50万人を抱えた日本教職員組合の結成大会が開かれました。奈良県橿原神宮という神武天皇が即位された所が会場です。意外な印象がありましょうが、当時、適当な会場がなかったというのが理由のようです。
 昭和33年には86.3%の組織率を誇った日教組も、現在は29.5%で加入者30万余です。その加入者もほとんどが団塊の世代でここ両3年に退職の時期を迎えますので、ついには10%代に落ち込むことが予想されます。加えて新規の加入者は16%程度ですから、立ち枯れ状態になっていくでしょう。彼らの危機意識は深刻です。
 日教組の財政は、一般会計が26億円、救援資金が30億です。後者はストライキなどの実力行使で処分を受けた教員の救援に使われます。実力行使を何回もやると地方公務員法違反で昇給延期などの処分を受けます。そうすると本来もらうべき給与との差額ができ、仲間とも差がつきます。その差額分をこの救援資金から補うのです。
 ちなみに、最近10数年間、ストライキの類は一回もやっていません。にも拘らず、それ以前に給与に差が出た人たちに対する手当てをずっとやっていて、一般会計を越える金額を計上しているのです。日教組の仲間に補填するという「団結は力なり」の大義名分も右肩上がりだったときは、組合活動のお陰でベースアップが叶ったとして、補填も容認できたでしょうが、今のような右肩下がりになると、若い教員・中堅の教員に「なぜ過去のものの後始末までしなければならない」という不満が出てくるのも自然なことです。新規加入者が望めないのもむべなるかなです。
 日教組はその運動方針にもあるように、人権・平和・平等を掲げます。皮肉なことに、日教組の組織率が高いところは暴力行為の発生件数が多い、という相関関係が出ています。私が所属していました神奈川県や大阪・広島も多発地帯となっています。はなはだ「教育」的ではない組織といえましょう。
 教員の間からもユニオンとしての組織ではなくアソシエーション、職能団体としての組織への関心が高まっています。それを目的とした全日本教職員連盟は、昭和59年2月26日に結成されました。平成17年10月段階で2.3%、23,237人が加入しています。本年2月に東京都でも教育職能団体が結成されました。教職員団体も今後、教育正常化のために、組合組織ではないものに転換すべき時が来ていると思います。

   教育現場の諸問題

今、日教組の思想的影響から、教員は指導者ではなく支援者だ、とする考え方が広がっています。そういう公立学校に見切りをつけて、塾や私学に通わせる保護者が増えています。
PTAの調査でも「学校は楽しいところ、塾は厳しいところ」と判断している保護者が増えていることが分かります。日教組は、「競い合う教育から、共に学ぶ教育へ」といういかにも聞こえのいいことを掲げ、競争を悪として徹頭徹尾、平等主義教育を推進してきました。その結果、今深刻な学力低下が問題になっています。
文部科学省はその原因を「ゆとり教育」にあることを認め、方針の転換を行い、全国一斉学力テスト実施を打ち立てました。しかし実施に反対、実施したとしても学力テストの結果の公表を認めない、など日教組は表明しています。彼らは、日本民主教育政治連盟(日政連)に所属する衆議院二名、参議院八名を国会に出しています。この議員を使って強力に文部科学省と交渉し、中山前文部科学大臣のときと比べ、文科省が少しづつ後退していることがみえます。
このままでは塾や私学に通える余裕のある家庭と、そうではない家庭との間に格差が生じ「階層分化」が進行し、日本社会の弱体化につながる恐れがあります。
日政連に属する議員は、山梨県教員組合問題で明らかになりましたように、選挙の際に校長3万、教頭2万、一般職員1万、退職職員5千円を徴収することが慣例化しており、日教組の組合活動を支える議員の選挙資金に使われてきたのです。山教組は政治資金規正法違反で当然告発されました。このことで教職員組合の組織的な政治活動があらわになりましたが、財政部長が処分され、書記長はお咎めなしに終わりました。このようなトカゲの尻尾きりでは解決にはなりません。日政連が文部科学省の圧力になっている状況の是正のために我々はもっと眼を光らせる必要があります。
教育正常化のためには、日教組の影響を排する努力をしなければなりません。文部科学省でさえその影響下にあるようではとても正常化は望めません。


女性塾第4回研修会報告

2006年05月20日 10時40分50秒 | 研修会報告
    建て直そう日本・女性塾
  第四回研修会 平成18年5月13日 開催
       於:日本青年館
テーマ:「歴史問題をめぐる日本の課題」
   藤岡信勝氏(拓殖大学教授)
≪略歴≫
昭和18年、北海道生まれ。北海道大学教育学部卒業、同大大学院教育学研究科博士課程単位取得。北海道教育学部助教授、東京大学教育学部教授を経て、現在拓殖大学日本文化研究所教授。平成7年、教室からの歴史教育の改革をめざし「自由主義史観研究会」を組織。同会会員が共同執筆した『教科書が教えない歴史』(扶桑社)は百万部を越えるベストセラーになった。平成9年、「新しい歴史教科書をつくる会」の創立に参加し、改訂版『新しい歴史教科書』(扶桑社)の代表執筆者。主な著書に『近現代史の授業改革』『汚辱の近現代史』『呪縛の近現代史』『「自虐史観」の病理』『教科書採択の真相』などがある。

[はじめに]
教科書は3回作られることをご存知でしょうか。まず白表紙本(しらびょうしぼん)、これは文部科学省が検定を行うにあたってどこの会社のものか予断を持たないよう一律に白表紙にしているものです。次に検定に合格した教科書を採択区の見本として使用する見本本、そして実際に子供たちが手にする供給本です。
本日皆様にお買い求めいただいたのは、4月から全国5000人の子供たちが使っている扶桑社の供給本です。本日は、この教科書を使って、5つのテーマをオムニバス風にお話したいと思います。

1.聖徳太子(『新しい歴史教科書』p34~)
 小学校の日本の歴史で取り上げなければならない人物は42人います。最も重要だと国民的合意がある人物は先ず聖徳太子でありましょう。その証拠に、お札の図柄として最も高額紙幣の中に登場したのはこの聖徳太子がダントツです。ところが現在は使われていません。お札から聖徳太子が消えた頃からどうやら日本はおかしくなってきたようです。
 6世紀の大和朝廷の時代、欽明天皇の在位の頃、仏教伝来がありました。新しい教義・経典、仏像などの美術品を揃え、外来文化がセットでもたらされたのです。
有力豪族の中で、蘇我氏は国際化の波に乗り外来文化を受け入れるべきとし、物部氏は伝統文化を重んじ古来の神々をないがしろにすべきではない、と主張しました。この政策論争を『日本書記』を手がかりとして教材化し、リベート風の授業を実践している齋藤武夫先生がおられますが、教室で子供達は蘇我派・物部派に見事に半々に分かれるそうです。
蘇我派は、①仏教は当時の世界の常識。
     ②先進国である中国文化に学ぶべき。
    ③我が国の神様はルールの厳しさがない。
④仏教は人の生き方を示すので国の発展につながる。という意見を出し、
 物部派は①ご先祖様に感謝すべき。
① 外国文化に被れるのは浅はか。
② 日本の神様にルールの厳しさはないが、明るく温かい。森や川や海にも神様がおり、我々を守ってくれている。
③ 伝統の神様を守って国が一つにまとまるべき。と主張するそうです。
我が国では、外来文化に対してどう対応するか、いつの時代も課題になりました。改革か伝統か、子供たちは先祖が直面した問題を知り、自分たちのこととして考えることは歴史教育において大事なことです。教室での論争は歴史の論争でもあります。
大和朝廷もこの問題になかなか決着がつけられないまま、蘇我氏と物部氏は血で血を洗う闘争にまで発展します。物部氏が破れ、一端終息しますがくすぶり続け、聖徳太子の登場を待ちます。
太子の政策は、四天王寺などの建立にあたり仏教導入という大事業を推進する一方、607年(推古15年)に「敬神の詔」を発すことでした。先祖の信仰を継承して皇室につながる日本の神々をゆるがせにしないことを誓ったのです。ここに、我が国の外来文化と伝統を統合する姿勢、異質の宗教に対する寛容さといった、一つの文化戦略が太子によって示されました。以来この姿勢は後の世に引き継がれていきます。
もう一つの偉業は、外交です。遣隋使を派遣し、小野妹子に隋の煬帝への「日いづる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」という信書を託します。煬帝はこれに激怒します。「天子」は皇帝と同義語であり、煬帝にとって日本が対等な立場を表明することは許しがたいことでした。しかし当時隋は高句麗との戦争を控えていたため、日本と高句麗が手を結ぶことを恐れ、小野妹子に返礼使をつけました。太子の外交戦略の勝利でした。ここに大国隋の属国になることなく独立国家として宣言できたのです。

2.鎖国(p92~)
16世紀の半ば、キリスト教・鉄砲といった西洋文明が相次いで入ってきました。我が国は外来宗教に対する寛容さと好奇心でこれらを受け入れ、九州各地にキリシタン大名が増えていきました。天下統一を果たす織田信長も豊臣秀吉も南蛮貿易がもたらす潤いやキリスト文明に魅了されました。
ところが1587年、秀吉は「バテレン追放令」を発します。絶対的真理を説くキリスト教はそれ以外を邪道だとみなし、日本が文化侵略を受ける恐れがあること、スペインの宣教師たちは、東南アジア・南アメリカなどでキリスト教を先ずひろめ、のちに武力でそれらの国を征服していくこと、を危惧したのです。国家の指導者として、安全保障の観点からキリスト教の禁止はやむをえなかったのです。
秀吉は、九州のキリシタン大名24名を見せしめに磔に処し、警戒信号を出しました。ところが、南蛮貿易のうまみは残しておいたため、なしくずしになり徹底しませんでした。    国家運営で大切なことは、「安全保障」・「経済発展」です。この調和においてヨーロッパ人とどう付き合うか、この課題が徳川幕府に引き継がれました。
当時、新興国オランダが勃興しており、布教しない、貿易のみという条件で、この国との交流に絞りました。長崎の出島に限定した所謂「鎖国」政策をとりました。
近代日本の知識人はこの鎖国を、日本の近代化が遅れ世界に取り残されたとマイナス評価を下してきました。ところがこの鎖国政策が江戸時代に繁栄をもたらしたのです。200年以上平和で安定した社会が実現しました。
スーザン・ハンデイ女史は、研究課題として1850年の時代に世界のどの国に暮らすのが幸福かを調査しました。金持ちであればイギリス、庶民であれば日本、という結論に達したといいます。ペリーが来航する直前の日本の庶民階級は世界のどこよりも文化的で裕であったといわれます。
貧農史観にたった教科書は、江戸時代を描くのに「慶安のお触書」を持ち出し、農民がいかに抑圧され苦渋をなめたかを書き連ねます。しかしこれは実態から乖離しています。五公五民といわれますが実際には二公八民、あるいは一公九民ではなかったといわれます。八割以上が農民であった頃、武士階級は一割にも満ちません。それで農民のほとんどが米を食べられなかったとするのは現実的ではありません。「慶安のお触書」は実証的歴史学で否定されています。それをシエア51%、日本の中学生の半分以上が使用している東京書籍の教科書もこの階級闘争史観の派生である貧農史観で編集しているため、江戸時代の実相を歪めています。

3、明治維新(p136~)
明治維新は、なぜ必要だったかを先ず問いかけます。欧米列強が開国を迫ることがなかったら、もう100年ぐらい江戸時代が続いていたかもしれません。
階級闘争史観に立つと、抑圧された農民が武士階級を滅ぼしたとし、フランス革命をモデルにして明治維新を捉えます。扶桑社を除く教科書は今もこの破たんした史観で明治維新を描いています。
しかし、町人・農民が武士階級を滅ぼした事実はありません。またフランス革命をモデルとすると、革命政権がその利益に沿った政策を施行しますが、維新の士たちは自分たちの利益とは正反対の政策を打ち立てました。「廃藩置県」です。これは武士の大量解雇であり、特権の剥奪です。
伊藤博文が岩倉使節団に同行した折「一発の弾丸も発することなく、一滴の血も流すことなく成し遂げた」と表明したのは、この「廃藩置県」のことです。世界は賞賛しました。武士道精神は、近代国家として生まれ変わるためには、私利私欲を捨て、自己犠牲で公に殉じ、国家の発展に寄与することを潔しとしたのです。
このことはモーリス・ハンゲが『自死の日本史』(教科書p149)で世界に紹介しています。明治維新は、世界に誇るべき歴史的事象なのです。
我が国は、働くことを苦役と考え必要悪としかみなさない多くの国と比べ、働くことそのものを尊いとしてきました。この勤労の精神は近代日本の国力を支えた原動力でありました。このエートスが成功の根源であることを忘れてはいけません。

4.近代日本とアジアの関わり
近代日本の成功はアジアのモデルとして評価されてきました。中国革命も日本に学び、日本をモデルとして発したものです。
近代日本がアジアに影響を与えたのは、①明治維新②日露戦争③大東亜戦争です。①に関しては一般庶民にあまり知られることはなかったでしょう。②は日本が大国ロシアに勝利したことで注目を浴びました。③は同じ肌の色をしたものが、自分たちの目の前で白人を打ち破り、植民地とされたアジアの国々を解放したことで感動を与えました。アジアの人々の心を奮い立たせ、植民地からの独立への希望へとつながったのです。(p207)
無論アジア諸国への関わりが100%非の打ち所がないものというつもりはありません。質の悪い日本人もおりましたでしょう。しかしオランダのインドネシア支配やイギリスのインド支配と、台湾・朝鮮での日本の政策とは異質であったはずです。
p171に人物コラムとして台湾の開発に寄与した「八田輿一」を掲載しています。台湾総督府に赴任した氏が、灌漑事業に尽力し、10年もの長い年月をかけて香川県ほどの嘉南平野を緑の大地に生まれ変わらせました。アメリカの土木学会は「八田ダム」として世界にその偉業を紹介しています。
私は、この10年もかけた大事業を支えた資金は、どこから捻出したのか長い間疑問でした。李登輝総統にお聞きする機会に恵まれ、お訊ねしたところ、台湾から日本への砂糖の輸出に関税をかけそれを貯蓄していたものを当てたということです。宗主国に対して、普通関税など掛けないものです。当時の日本人は意識することなく砂糖へ上乗せされた税金を払うことにより、台湾の発展に寄与したことになります。
八田輿一は「認識台湾」という教科書で初めて掲載された日本人です。台湾は中華民国として今も首都は南京という建前になっています。子供達は台湾の歴史ではなく中華民国の歴史を学ぶことになっています。日本へ研修旅行にいらした王啓宗先生は、日本の学校では「わたしたちの日光市」など地方史を副読本として取り入れていることにヒントを得ました。ここから「認識台湾」という地方史を学ぶ建前で台湾の歴史教科書ができました。
日本は欧米と同じカテゴリーで、アジアへの植民地政策をとったわけではありません。

5.冷戦(p193~)
先ず質問します。「冷戦」とはいつからいつまでをいうのでしょうか。
1945年第二次世界大戦が終結してから、1989年ベルリンの壁が崩壊するまで、と見るのが一般でしょうか。
しかしこれはあくまでも米ソの冷戦です。社会体制を異にする大国同士が、熱戦(銃火器を使うこと)をのぞくあらゆる分野で国の総力をかけて戦いました。ソ連邦が解体し、アメリカが勝利して冷戦の終結宣言が出されました。ところが、社会主義・共産主義の国家体制を持つものは、自由主義体制の国へスパイ・工作員をもぐりこませ、破壊活動をすることを本質とします。ですから社会主義体制の国が存続している限り、冷戦は持続しているとみるべきです。
1925年、日本政府はソ連と国交を結び、それによって国内に破壊活動が及ぶことを恐れ、同年「治安維持法」を制定しました。国交を結ぶと同時に神戸からスパイが送り込まれ、日本の軍学校、陸軍士官学校か海軍兵学校かと思われますが、そこの教官を共産主義の思想に取り込んでスパイとして働かせることが判明し、これらに対応して制定された法律なのです。
ほとんどの教科書は、当時の政府は「普通選挙法」を世界の趨勢として制定したが、その抱き合わせとして「治安維持法」を制定したという説明します。しかしこれはまちがいです。普通選挙で労働者の代表が選ばれることを牽制するためなどといった解説は、共産主義者に都合のいいものです。
日本は1925年から冷戦を続けていたのです。アメリカはそれを認識せず日本を叩いてしまいました。その結果、東アジアにまたたくまに社会主義・共産主義が広がりました。そのためアメリカは自ら正面からこれらの国と戦わざるをえなくなったのです。
アメリカには膨大な数のスパイがもぐりこみ暗号を傍受し解読していました。1950年のマッカーシー旋風、所謂赤狩りは、アメリカが自由主義体制を守るためどうしてもやらなければならなかった政策だったのです。
極東において今も冷戦は続いています。現実に横田めぐみさんをはじめとする多くの日本人が拉致されています。国家主権が侵害されているのです。日本は戦争状態にある、との認識が必要です。
保守陣営でさえ冷戦は終結したと主張します。確かにヨーロッパにおいてはそうでしょう。しかしこの東アジアではいまだ冷戦は続いています。地上から共産主義国家がなくならない限り、破壊活動を目的としたスパイ・工作員が送り込まれ続けます。共産主義思想はディベラル・デモクラシーの特権を剥奪しなければおれないものなのです。
冷戦の概念を踏まえ、私たち日本人はこの問題に取り組み、国家・国民の安全のため、引き続き対応していかなければなりません。

                     以上


女性塾第三回研修会報告

2006年04月20日 13時16分39秒 | 研修会報告
       建て直そう日本・女性塾
   第三回研修会 平成18年4月8日 開催
        於:日本青年館
テーマ「日本の安全保障政策の課題」
  一、濱口 和久氏(日本政策研究センター研究員)
≪略歴≫
昭和43年、熊本県生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒。防衛庁陸上自衛隊3等陸尉。
平成16年島根県竹島に本籍地を移す。シンクタンク㈱舛添政治経済研究所において秘書として外交・安全保障・エネルギー・教育問題を主に担当。妻・子供二人の4人家族。
著書に『機は熟した!甦れ、日本再生』『守ろう竹島!日本の領土』『日本を守る決意』などがある。

[はじめに]
 今週ショックを受けたことがあります。私の上の子の小学校の入学式のことです。国歌斉唱のとき、保護者も教師もほとんどのものが歌わないのです。声を出して歌っている私を周りのものは「この人、変な人」といわんばかりの怪訝な顔で見るのです。
 私が学校に通っていた20年ぐらい前は、生徒も教師も保護者も当然のように歌っていました。今の学校のこの光景は異様であり、この国はどうなってしまったのかという思いで落ち込みました。
 これは、私がお世話になった専門学校の理事長をしている方にお聞きした話ですが、北朝鮮籍の学生が入社試験を受けに来た折、件の理事長が、彼女に北朝鮮の国籍で不自由を感じたり困ったりしたことはないか、と訊ねたそうです。彼女は、「両親から自信を持って生きていくことを教えられた」、と答えたそうです。また北朝鮮による拉致をどう思うか、国家から日本人拉致の指令が下りたらどうするか、との問いには「(拉致された人は)可哀想だと思う、しかし私も国家の命令は断れないと思います」と答えたそうです。彼女は正直すぎるのかもしれませんが、国家の命令であれば拉致することも厭わない人が日本国内にかなりいる危険を我々は想定する必要があるのではないでしょうか。

(1) 世界では通用しない日本の安全保障観
私は防衛大学を卒業して3等陸尉につきました。しかしこの身分がどのようなものか分からない方がほとんどでしょう。皆さんに陸軍少尉ぐらいだと説明してようやく見当がつくようです。陸上自衛隊施設科、普通科、陸将、海将、なども分からないと思います。自衛隊の組織や階級は日本でしか通用しない、実にわかりづらいものになっています。
私が自衛隊に席を置いていた頃、ソウルで韓国陸軍の若手将校との会合で、休憩時間に、韓国の兵士に今北朝鮮が38度線を越えてきたらどうするか、と質問したところ「北とは戦う気はない。北と一緒になって日本と戦う」と笑いながら答えたのです。当時はそんなものかなと感じていましたが、恐ろしいことだとつくづく思います。
韓国は北の核を決して批判しません。南北統一後、自分たちも核を持つ国として日本と相対したいのです。
韓国に不法占拠されている竹島は、東京ドームの5倍、日比谷公園ぐらいの広さの小さい島です。ここに韓国の警備隊が常駐しています。ここを日本が放棄すれば、ロシアと返還交渉している北方領土も決して望めません。また中国との軋轢になっている尖閣諸島を外務省は領土問題とすることを避けています。数年前、中国の市民運動家と称するものがここに上陸し頑丈な岩に中国旗を立てましたが、あのような技術は普通の市民ではできません。軍人の可能性が高いのです。このようなことを放置すると第二の竹島になることは目に見えています。しかし日本政府はこれらの領土に対して有効な手立てを講じていません。
世界の常識から考えると理解不能の状況が続いています。

(2) 日本の地政学的な位置
 国家とは領土・国民・統治機構で成り立っています。地図をご覧いただきたい。中国・朝鮮半島を弓なりの日本列島が覆いかぶさっている地図に、どんな印象を持たれるでしょうか。中国も朝鮮半島も太平洋に出るためには日本は非常に邪魔でやっかいだと思っているだろうことが想像できると思います。
中国は日本の主要23都市に届くミサイルを持ち、潜水艦をふらつかせています。ガス田や尖閣諸島でさまざまな要求を突きつけ、沖縄さえも中国の領土といって憚りません。
18年連続で軍事費が2ケタ伸びる軍事大国です。この国から靖国参拝や歴史教科書について内政干渉されるいわれはありません。現在進行形で膨大な軍事力でチベットなど侵略を続けている国に文句を言われる筋合いはありません。
現在韓国は、歴代政権で一番の親北であるノムヒョン政権です。竹島問題で揺さぶり反日政策を掲げています。北朝鮮は核を保有し、拉致事件をおこしました。この国とは今交戦状態にあるといっても過言ではありません。
ロシアとの北方領土返還交渉も暗礁に乗り上げたままです。
国家にとって領土を守ることは最重要です。領土を占拠されても怒らない国民の意識は問題です。
2月22日の「竹島の日」に国会議員は1人も出席しませんでした。島根県選出の国会議員でさえ来なかったのです。「北方領土の日」も小泉首相は予算編成の時期であることを理由に2年間欠席しました。歴代の首相で初めてのことです。

(3) 憲法問題と自衛隊
 日本の安全保障、いわば国防を考える上で重要なことは精強な軍隊や最新鋭の武器を持つことではなく、国民一人一人が国を守る意識を持つことです。これは憲法問題と密接に関連しています。我が国には自衛隊は憲法違反だという著名な文化人と称する人が多く存在しています。非武装中立を唱える公党も存在します。
 自民党は結党50年を機に憲法草案を発表しました。民主党も提言しました。自民党は自衛隊を自衛軍とする、といい民主党は自衛隊の存在を認める、といっています。民主党は論外ですが、自民党案も英語で表記すると自衛隊も自衛軍もSelf-Defense Forcesです。国軍、つまりArmyやNavyでなければ世界標準とはいえません。自民党でさえ戦後の一国平和主義から今もって抜けられないのです。
 何よりも憲法で「国民は国を守る義務がある」と明記しなければ意味がありません。同じ敗戦国であったドイツでは、2000年の憲法改正ですべての国民の徴兵を明記しました。18歳から55歳の健康な女性も非戦闘行為に限って従事すること、としたところドイツの女性たちから猛烈な抗議があり提訴されたというのです。男女平等意識に反する、女性も戦闘行為に参加すべきであると主張し、そのようになったということです。私自身女性が武器を持って戦うことを潔しとしませんが、ドイツ国民の国防意識、平等意識には学ぶべきものがあると思います。
 昭和45年の防衛白書で「専守防衛」ということが使用されるようになりました。例えばミサイルが飛んできても着弾して被害が明らかになったとき始めて防衛体制に入ることができる、というあくまでも「専守」が強調されてきました。石破防衛庁長官のときようやくミサイルが発射された瞬間に防衛体制に入ると国会で答弁がされました。
 安全保障において国際法に照らしあわせて、どの国も個別的自衛権や集団的自衛権は認められています。ところが我が国では憲法解釈をめぐってこれらは明確に権利として確立していません。

(4) 司令塔不在国家日本
 戦争はもちろん避けなければなりませんが、外交の延長線上に戦争はあります。やむなくおこることもあるのです。日本は外交問題・安全保障問題において司令塔が不在です。
 東アジアに対するスタンスも確定しているとはいえません。日米の同盟はある程度うまくいっているともいえますが、沖縄にある3000メートル級の滑走路に今自衛隊は停駐できません。稲嶺知事は反対を表明しています。日本政府は答えを出さないようにしています。安全保障上の前線基地に対して相変わらず腰が引けている状況です。
 スターリンはもちろん好きではありませんが、彼の外交上のしたたかさは学ぶべきだと考えます。
 一方で情報収集能力がなくスパイ天国と揶揄されている我が国は、民間レベルも防衛意識の低さ問題です。ヤマハが軍用に転じる危険性の高い無人ヘリを輸出したり、他にも北朝鮮に遠心分離機を輸出したことがありました。経済活動も常に国益を念頭に入れる必要があるのです。
 マスメデイアの自衛隊への偏向報道も問題です。国民一人一人が明確な攻防意識を持たないとこの国は滅びる危険性があることに気づかなければなりません。


     二、米田 健三氏(帝京平成大学教授)
≪略歴≫
昭和22年、長野県生まれ。横浜市立大学商学部経済学科卒業。徳間書店勤務、代議士秘書を経て、昭和62年横浜市議会議員に当選。建設大臣秘書官を経て、平成5年衆議院選挙に初当選。以後3期連続当選。現在は帝京平成大学教授。
*著書紹介:5月下旬『日本の反論―戦勝国の犯罪を検証するー』刊行予定。

 急にテレビ朝日の収録が入り、お約束が十分に果たせなくて申しわけありません。拉致問題が停滞していることについての話であるというので行って参りましたが、小沢氏の民主党党首についての議論が主になり、靖国に波及しました。戦後生まれは国際法も何もわかっちゃいないのでいささか激昂してまいりました。
本日、皆様にいただいたテーマについては、防衛大学卒業の安全保障においての専門家、濱口氏が十分にお話されたと思います。伊藤令子先生は女性が賢くなければ日本は救えない、という思いで開設された女性塾にお招きくださったことを光栄に思い、重複することもあるかと思いますがお話させていただきます。

安全保障の問題については、我々はこの世界に生きている、この世界の現実はどうなっているかということをしっかり考える必要があります。
世界のあり方を巡って、さまざまの思想が生まれ消えていきました。その中に国家の概念をなくそうというもの、国家は意味がないということを言う思想がありました。これは結局モスクワも北京も帝国主義に他ならなかったことを示して無残に敗退しました。
世界は国家間のせめぎあいの中にある事実を直視する必要があります。国家の運命は個人の運命に直結していることを認識しなければなりません。
1980年代の後半中国は、地理的な国境はではなく、国境は国力つまり軍事力によって決まるという声明を出しました。この覇権主義国家がフイリピンやベトナムにおいて軍事力で既成事実を重ねていることについて、我が国の戦略はどうなっているか、当時の外務大臣川口順子氏に訊ねたとこと、キョトンとされました。これはどうにもならないな、という感慨を持ちました。
戦後我が国は健忘症にかかったごとく、防衛力それ即ち軍事力であることを無視してきました。政治家も国民へ責任を持った語りかけをしてきませんでした。
そもそも国家は公認の暴力によって成り立っています。警察の存在がそうです。国のルールが定められ違反したものは法によって罰を受けます。警察という代行するものがあり、社会は安全・安心が守られるのです。
国際社会での安全はつまるところ軍事力が保障します。
戦後日本はODAという世界にお金をばら撒くことによって日本は守られるといって国民を騙してきました。一番に供与した中国は、日本からの援助を軍事力増強に使って、日本の脅威になっています。東南アジア各国も余力ができるとアメリカやロシアからの戦闘機輸入合戦をしている始末です。お金をもらえば感謝し、抑止力になると想ったら大間違いです。嫌な話ですが、これが国際社会の現実なのです。
日本は大変異様なことですが「専守防衛」が幅を利かせています。我が国は例え防衛上の必要があろうとも他国に脅威を与えない、ことになっています。最小限の軍事力にとどめるべきだとし、例えば爆撃機は持つべきではないとされています。これでは国民が拉致されても報復しないことを宣言していますから、相手にとっては痛くも痒くもないわけです。
アメリカを盲信し、日米同盟を過信する人が政治家にも多く存在します。しかし日本が危機に陥ったときアメリカが自動的に参戦するという条文は何処にも存在しません。アメリカにはアメリカの国益があります。それに見合わない行動をとることはまずありえません。思いやり予算をさんざんとられるだけでおしまいです。
日本は近隣諸国に、殴られても抵抗しない国と看做されています。領土を占拠され、ガスを抜かれ、国民は拉致されるのです。彼らは人のうちの墓参り(靖国参拝)にまでけちをつけています。
日本は主体的な国防を考えなければなりません。これは国際法で認められていることです。国連憲章においてもサンフランシスコ講和条約においても、個人的自衛権、集団的自衛権は独立国の権利です。
それを憲法に抵触するといって自分から手足を縛るようなことをしてきました。ピョンヤンや北京にミサイルを向けること、航続距離の長い戦闘機を確保すること、などそれほど膨大な予算をつけなくても十分に抑止力として機能する方策はあります。
国を守るための積極的な政策が求められているのです。


女性塾第二回研修会報告

2006年03月31日 18時56分50秒 | 研修会報告
建て直そう日本・女性塾
  第二回研修会 平成18年3月4日 開催
      於:靖国会館
テーマ「現場からの教育改革―教師と親の意識改革」
      高橋史朗氏(明星大学教授)
≪略歴≫
昭和25年、兵庫県生まれ。早稲田大学院終了後、スタンフォード大学フーバー研究所客員研究員。臨時教育審議会(政府委嘱)専門委員、国際学校研究委員会(文部省委嘱)委員、神奈川県学校不適応(登校拒否)対策研究協議会専門部会長を経て、現在明星大学教授、埼玉県教育委員、玉川大学院講師、日本仏教教育学会理事。
主な著書に「教科書検定」「天皇と戦後教育」「悩める子供たちをどう救うか」「魂を揺り動かす教育」「感性を行かすホリステイック教育」などがある。

[はじめに]
 30歳のころ米国留学のおり、240万頁に及ぶ在米占領文書の調査・研究をしました。3年間人と合わずこもりっきりで、最後の半年はラーメンとシイタケで過ごしました。そのときの無精ひげがいまや額縁のようになり、昭和50年に一度剃ったところ周りが大変ショックを受けてしまいました。やむなくこの状態を続けております。
 34歳のころ政府の臨時教育審議会の専門委員に指名され、教育改革の一端を担いましたが、トップダウン型の制度改革だけでは限界があることを実感しました。
 やはり、現場からの教育改革が求められているのです。
 子供の教育に関わる親や教師の意識を変えないと、制度を変えても間に合いません。
 大局に着眼し、各種小局に着手する方法が肝要です。トイレ掃除が出来ないやつは天下国家を語る資格はないといった「凡事徹底」、地球環境を守るのならゴミを出さないことを考えるといった「脚下を照顧せよ」の精神が大切です

[教育者の主体変容]
 東京・大阪・福岡・埼玉に続き、横浜・京都でも師範塾や教師塾の開設を予定しています。家庭が悪い、地域が悪い、学校が悪い、といった責任のなすりあいではなく教育者の主体変容がキーワードです。
 大阪師範塾の原田隆史先生は一番しんどい、荒れた学校を希望して遅刻者を0にしました。また陸上部の顧問をし、2年目で全国優勝を果たし、13年間連続優勝を続けました。先生は着任後直ぐに優勝することを想定して3年後のホテルを予約したそうです。
 そういった先生方が500人集まり、いまでは1000人を越えています。
 4月にスタートする杉並師範館も、山田区長が理事長に就き、30人の定員に全国から500人を越える応募者が集まりました。
 そして組合組織ではない、教師による新たな職能団体の結成を進める予定です。
 家庭教育においても、親に子育ての主体者はあなたですよ、ということを明確に伝えなければなりません。私は「親学」を推進しています。
 子育て支援について、東大教育学部の教授、汐見稔幸氏と大激論をしたことがあります。氏はいかに親の子育ての負担を減らすかが「支援」だと考えておられます。「親は人生最初の教師である」ということをいってはいけない、親は被害者だという立場で、育児の社会化を推進します。
 私はそれは子捨てであり、子育て放棄につながると考えます。子育ては誰かが肩代わりをするのではなく、「あなたが責任者ですよ」を明確にして、労働者支援ではなく教育者支援が今求められているのです。
 各自治体はこの汐見氏と立場の異なる私を交代で講師に招聘しています。自治体も支援策について、どちらを採るか揺れているようです。
 日本の伝統的な子育てに「しっかり抱いて、下におろして、歩かせよ」という言葉があります。しっかり抱いて=愛着(母性)、下に降ろして=分離(父性)、歩かせよ=自立、と子供の三つの発達段階を即妙に言い表しています。子供は母性と父性をきちんと発達段階的に受けないと自立ができないのです。憂慮すべきことに今、母性・父性は固定的役割分担で差別につながるといった愚かなジエンダーフリー教育が蔓延しています。家庭教育においては、母性・父性をきちんといわないとはじまりません。
 日本はかつて「厳父慈母」といいましたが、今は「厳母甘父」になりました。生徒に募った標語で一等賞だったのは「父よ何か言ってくれ、母よ何も言わないで」でした(笑)。
 教育は他力や押し付けから始まります。文化の「型」を継承させることが教育なのです。男の型、女の型を押さえなければ、自分らしさは育ちません。
 教育が荒廃している原因は、この教育の本質が混乱しているからにほかありません。

[対人関係能力・社会力の育成のための愛着形成]
 最近になって、神戸・佐世保・長崎などで陰惨な事件が相次いでいます。これらに共通しているのは命を奪った実感や遺族の悲しみを理解できないことにあります。脳の発達障害が伺えます。こういった子供たちに道徳の時間を使って、いくら「命の大切さ」を教えても分からないでしょう。「しっかり抱いて=愛着」がなかったために共感性が育っていないのです。
 生物の脳には臨界期があります。小鳥などの「すりこみ(インプリンティング)」の時期を逸すると一生歌えない鳥になります。人間の脳は幼形成熟で、骨盤や脊髄が整う三歳までに6割、そして八歳までに9割以上完成します。この間に人間性知能が発達します。人間としてのアイデンテイテイが育まれる大事な時期です。「三つ子の魂百まで」といわれる由縁です。この間十分な母性愛を受けないと人間性に乏しい、理性を失った欲望をコントロールできない状況になります。これは文部科学省のデータでも公表されています。
 これを否定し「三歳児神話」を唱えた厚生省は大間違いを犯しました。
 最近目を合わせない乳幼児が増えてきたといわれます。育児に効率化・合理化を取り入れ、労働政策に女性を利用し、親心を崩壊させた結果です。虐待を誘発し、子供の人権が
冒されています。
 「母性の研究」という博士論文を著わした大日向雅美氏の主張が、文部科学省の家庭教育支援のガイドブックに使われています。これは即刻回収する必要があります。

 女性塾の皆さんには、必修文献として昨年10月に文部科学省が発表した「情動の科学的解明と教育等への応用に関する検討会報告書」をお薦めします。

 [食育と基本的生活リズムの獲得]
 「どうしてもわが子を愛せない」というお母さんに、献立を聞いてみたところ、インスタント食品が多かったので、料理に手間隙かけることをすすめたら、食べさせたい思いが募り、子供への愛着心がわき、愛することができるようになった、といいます。
 ここ十年間で日本人の価値観は大きく変わりました。子育てを負担に思う人の割合が8割を越え、73カ国の意識調査を行った結果も73国中72位でした。因みに73位はリトアニアです。子育ての意義、喜びが急速に矮小化されるようになりました。
 昭和30年代までは、女の子の将来の夢で「いいお母さんになる」はトップテンを維持していました。今は50位にも入っていません。
 「親学」はこういった子供達の準備期間の教育も含んでいます。家庭科の教科書の役割も重要です。
 皆さんに岩村暢子氏の「変わる家族、変わる食卓」をお薦めします。新人類と言われた世代が親になり、インスタント食品が食卓に上っても違和感を感じなくなったころ、親の意識が変容しだしたのです。
 また鈴木雅子氏の「その食事ではキレる子になる」もお薦めです。「食育」に注目しなければなりません。
 愛知県の高校生が母親を毒殺未遂するという事件がありました。
この女子高生が日記で唯一人間的な記述をしている箇所があります。それは4歳児の園児と関わった日のもので、自分を必要としてくれる園児と関わることによって、存在価値を実感し、幸福感があった、という内容です。
 人間は自分を必要としてくれるものの存在に愛情を感じ、幸福感を得られるのです。この自然な感情を最近の思潮で「負担」「犠牲」と変容させたことを反省する必要があります。
 子供達の睡眠障害も深刻です。
 日本では急速に夜型化が進んでしまいました。
 12時以降に寝る高校生は66.4%に上っています。アメリカや中国では10%ぐらいです。そこに乳幼児が巻き込まれています。
 カラオケ・居酒屋にも託児所があり、このような商業ストアに4分の1の親が乳幼児を連れ出しているといわれます。親の利便性ばかりが優先され、子供の人権が侵害されています。その結果生態リズムが狂い、脳の発達にも悪影響が出ています。
 不登校や社会的ひきこもり、ニートなどが増える原因です。
 甲子園球児として馴染みのある四国の明徳義塾高校で、特進クラスの生徒が友人を刺す、という事件がありました。当時私も教員研修に関わっていたこともあり、この生徒のインターネット日記を読むことができました。夜更かしや生活リズムの狂いが、彼を追いつめ精神を崩壊させていく軌跡は、涙なしでは読めませんでした。
 自治体が進めている行き過ぎた延長保育を憂慮します。子育て支援は親が親として育つための支援を施すべきで、子供の脳の生育を無視した施策は受け入れられません。

[人間性を育む根源的な教育を]
 戦後教育に決定的に欠けていた「愛国心」「伝統文化の尊重」「宗教的情操」を取り入れた教育基本法改正案を超党派の議員との間で進めています。今春、通常国会に上程します。
 国家の安泰は「人づくり」に全てがかかっています。
・ 「愛国心」について:自分を愛せないものは他人を愛することはできません。ひいては郷土も国も愛せません。ハワイのワイアナエ公立学校では、「平和はセルフ・エステイーム(自己尊重)から」を平和教育のテーマにしています。沖縄でも同様の学校があります。愛国心をもっと根源的に捉え、平和教育の理念につながることを説くべきだと思います。
・ 「伝統文化の尊重」について:園児に茶道を教えたり、高校生に和装で礼法を教えたり、漢詩を暗誦させるとき、脳が活性化することが、科学的データによって証明されています。全国組織の和文化教育研究交流協会も設置され、今50校が推進校として日本の伝統文化教育を取り入れています。2008年から一斉に小・中・高で学ぶことになります。日本文化指導者養成のための講座も大学で取り入れられます。
・ 「宗教的情操」について:伊勢神宮にもうでた西行法師が「・・かたじけなさに涙こぼるる」と詠じた気持ちこそ育まれるべき情操です。
「もったいない」「おかげさま」「かたじけない」心を育てる教育の理念を教育基本法の中に盛り込まなければなりません。

男女共同参画第二次基本計画の中には、山谷えりこ先生のご尽力で、混乱の元凶であった「ジエンダー」の定義を具体的に掲載されました。人間性を破壊する極めて非常識な施策に歯止めがかかりました。
 良識派の女性議員育成ための学びの会のご発展をお祈りいたします。

                       以上

女性塾第一回研修会報告

2006年03月31日 18時47分01秒 | 研修会報告
建て直そう日本・女性塾
第一回研修会  平成18年1月28日(土)
   於:靖国会館
テーマ「憲法について」
講師  伊藤哲夫先生  日本政策研究センター所長

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皆様こんにちは。本日は皆様のお手元にある資料を使いながら、憲法についてお話したいと思います。
 昨年の11月には自由民主党が初めて党としての改憲草案を発表しましたが、私はがっかりしました。前文改正案には「日本国民は自らの意思と決意に基づき、主権者として、ここに新しい憲法を制定する。象徴天皇制は、これを維持する。」と書いてあります。味も素っ気もない文章、特に「象徴天皇制は、これを維持する」はどうでしょう。「象徴天皇制」というのは戦後アメリカ軍が憲法に書き込んだ言葉です。しかし日本は長い歴史・伝統を継承して今日があるのであり、そこで培われた国民性は日本が世界に主張できる最大の資産であり、その最大の資産を中心になってしっかり統合されておられるのが天皇陛下なのです。「象徴天皇制はこれを維持する」では歴史的視点を欠いております。
 そもそも、天皇(そのもの)について何の説明もありません。天皇とは特別の存在であり、その特別たらしめているものについての説明が必要です。天皇のはじまりは神話の時代。しかも日本は神武天皇の世界から今日まで、言葉も信仰も文化も全部つながっています。とりわけ神道の祭祀は今日まで伝わり、宮中では今も天皇陛下がその祀りを行っておられます。それを日本国民はとても有難いことだと思っています。このように現代世界の中で神話が生きているのは日本だけなのです。
 それと同時にこの125代すべてが男系というもので繋がってきた。これは簡単に行えることではなく、今日の日本が直面しているような局面は沢山ありました。そのつど皆で工夫し、傍系から継承者をお連れして即位していただくということもやりながら今日にきています。
 第二条には「世襲」という言葉が出てきます。「皇位は世襲である」これを戦後の学者は“特定のものだけが世襲するのは、民主主義の考え方と違う”などと言ってきました。しかしそうではない。この「世襲」という言葉はただ単に血を繋げばいいのだというのではなく、男系の血を繋げなければならないのです。男系男子の家系は辿っていくと神武天皇に繋がっていきます。また科学的には遺伝子のY染色体は男系でしか繋がりません。
 次に憲法の成立過程です。
 アメリカが日本を占領したときの基本マニュアルにはこう書いてあります。占領の究極の目的は「日本国ガ再ビ米国ノ脅威トナリ又ハ世界平和及安全ノ脅威トナラザランコトヲ確実ニスルコト」、要するに日本の牙を抜くということです。まず考えたのが(物理的)武装解除。次に精神的武装解除。日本人の戦う精神、自国に対する誇り、自尊心、こうした精神を失くす。彼らが最も力を入れたのが、日本人の思想統制です。
 最初にやったのがマスコミの統制です。昭和20年の9月に入ってから、日本のマスコミの責任者がGHQに召集をかけられました。ドナルド・フーヴァー大佐が、マスコミ関係者に対し、アメリカ軍による強姦事件の新聞記事、こういうものは今後一切載せてはいけないと発表しました。
「日本は文明諸国家間に位置を占める権利を容認されてゐない、敗北せる敵である。諸君が国民に提供して来た着色されたニュースの調子は恰も最高司令官が日本政府と交渉してゐるやうな印象を与へている。交渉といふものは存在しない。(中略)最高司令官は日本政府に対して命令する。(中略)偽のニュースとか人を誤らせる様な報道は今後一切許さない。また聯合国に対する破壊的な批判も許さない。日本政府はこの方針を立証するやうな手段を直ちに実行すべきである。もしそれが行なはれなければ最高司令部がこれを行ふであらう」(米軍宣伝対策局民間検閲主任:ドナルド・フーヴァー大佐声明文 昭和20年9月15日)
 朝日新聞は9月15日にこの声明文を突きつけられ、9月18日に占領軍により48時間出版停止を命じられました。9月22日になって朝日新聞は実質、転向声明というべき社説を掲載しました。それまで朝日新聞は「戦ひはすんだ。しかし民族のたたかひは寧ろこれからだ。~国民は敗戦といふきびしい現実を直視しよう。しかし正当に主張すべきは、おめず臆せず堂々と主張しよう。単なる卑屈は民族の力を去勢する」(「朝日新聞」9月6日号)と言っていました。しかし9月22日には「今や我軍閥の非違、天日を蔽うに足らず、更に軍閥の強権を利用して行政を壟断したる者、軍閥を援助し、これを協力して私利を追求したる者などの罪過も、ともに国民の名において糺弾しなければならぬ。~軍国主義の絶滅は、同時に民主主義の途である。~」となりました。一週間の間に社説が180度変わってしまったのです。今日の朝日新聞の出発点といえましょう。
 占領軍は次に、日本の正当性や日本の歴史の素晴しさを語るものを全マスコミから放逐し、変わりに太平洋戦争という名称で、日本が侵略戦争をしたという刷り込みをマスコミを使って始めました。
 こうやって占領軍が戦争について日本に情報を提供して有罪意識を刷り込むことを「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」といいます。その最大の舞台仕掛けとされたのが東京裁判です。
 ご存知のように、日本は独自の憲法を作ろうということで、当時の日本の代表する最高の学者を集めて、その結果作られたのが松本案という憲法案です。中学校や高等学校の公民の教科書には“占領軍に日本の憲法は押し付けられたものだったが、そのお蔭で日本は民主主義の方向に導かれた”というGHQ美談が書かれています。これは占領軍が国へ帰ってから出した「日本の政治的再編成」という報告書が基になっています。その報告書が後に翻訳されて初めて、あの憲法は押し付け憲法だったことが分かりました。しかし、その時には既にGHQ美談が日本人の頭に刷り込まれていました。
 昭和21年2月13日、民生局案を押し付けられた時の松本国務大臣の証言「ホイットニーは先方の案をタイプしたものを数部机の上に出し~こういうことを言った。『日本政府から提示された憲法改正案は司令部にとって承認すべからざるものである。~マッカーサー元帥はかねてから天皇の保持について深甚の考慮をめぐらしつつあったのであるが、日本国政府がこの自分の出した対策のような憲法改正を提示することは、右の目的を達成するために必要である。これがなければ天皇の身体の保障をすることはできない。~』」これは、占領軍は日本側が提出した松本案を読みもせず“私達が作ったものを基に憲法を作りなさい、私達は押し付けはしない、しかしこれを受け取らなければ天皇の身体を保障できない”と言っているということです。
 松本烝治大臣は、まだ話せば分かる、松本案は決して非民主主義的な案ではない、見るところあの連中は憲法の専門家ではないようだ、として長い説明書の起草に取り掛かった。そして2月18日、それが完成すると白洲次郎に託してホイットニー准将に届けさせた。渡された占領軍は激怒し、“我々が訊いているのはこの憲法案を受けるか受けないかだ”と言う。この剣幕に日本政府は諦めざるを得なかった。
 日本語に翻訳する段になり、松本大臣は日本国憲法の前文を読んだ。しかしこれは夢物語で前文には成り得ないから、日本政府としては前文抜きで第一条から始まるものにさせてほしい、と占領軍に言った。ここで占領軍と松本大臣の間で大喧嘩になったのです。
 次は「天皇の国事行為に対する内閣の助言と承認」という件で、松本大臣は「天皇に対して臣下の大臣が承認するなんてとんでもない。明治憲法に『輔弼』という言葉がある。それでいいではないか」と主張する。しかし占領軍は「いや駄目だ、承認という言葉をいれるのだ」と言う。それでも松本大臣は「あなた達は日本語まで変えにきたのか!」と机を叩きながら主張する。挙句の果てに松本大臣は、どうしようもないからこの場は帰ると言い、法制局の役人だけ残して去ってしまったのです。
 しかしそこで占領軍はドアに鍵をし、明日の朝まで缶詰になってもらう、結論を出すのだと命令を出します。残された法制局の役人(佐藤、白洲、長谷川、小畑)は缶詰になって最後の詰を行った。その結果作られたのが、日本国憲法なのです。
佐藤達夫・法制局部長の手記(3月5日)には「無準備ノ儘、微力事ニ当リ、然モ極端ナル時間ノ制限アリテ、詳細ニ先方ノ意向ヲ訊(ただ)シ論議ヲ尽ス余裕ナカリシコト、寔(まこと)ニ遺憾ニ堪ヘズ。已ムヲ得ザル事情ニ因ルモノトハ云ヘ、此ノ重大責務ヲ満足ニ果シ得ザリシノ罪、顧ミテ慄然タルモノアリ。深ク項(うなじ)ヲ垂レテ官邸ニ入ル」とあります。
 このとき通訳した白洲次郎さんの手記(3月5日)では「斯クノ如クシテコノ敗戦最露出ノ憲法案ハ生ル『今ニ見テイロ』ト云フ気持抑ヘ切レスヒソカニ涙ス。」とあります。
 これを閣議決定しろと言われたときの、幣原首相の言葉は「かような憲法草案を受諾することはきわめて重大な責任である。おそらく子々孫々に至るまでの責任であろうと思う。この案を発表すれば一部の者はかっさいするであろうがまた一部の者は沈黙を守るであろう。しかし深く心中われわれの態度に対して憤激をいだくに違いない。だが今日の場合大局のうえからそのほか行く道がない」でした。
3月5日、同じ閣議での松本大臣の言葉「明治憲法でも案を作るのに一年以上かかった。今、日本の憲法を全般的に改正しようというのに二日や三日でこれを作って、これが日本の自主的な改正案だということをいうのは、これは内閣として実につらい」。そしてこれを承認した後、松本大臣は辞表を提出して、それからずっと沈黙を守っています。
 政府案が出て国会にかけられ一応議論が行われたけれども、議員は皆、結果的に通ることは分かっています。いろんな法律を通すよう占領軍が言ってきて抵抗はする。抵抗して時間が来て廃案になるかというと、時計の針は止められている。法案を通すまで翌日にはならないというわけです。
 10月5日、貴族院の本会議において、佐々木惣一先生(京都帝国大学教授・憲法学)の反対演説が行われました。この日の朝、議会の前に佐々木先生は家で水をかぶり斎戒沐浴されて明治神宮に参拝されました。“私はこの明治憲法の講義に命をかけてきました。最後に反対の討議をさせていただきます”
と祈り、議会に臨みました。長い演説でありました。そして最後に次のエピソードを話されました。
“帝国憲法の草案が成り、翌日親臨、審議せられたが、宮内省からご連絡があり当時の伊藤博文議長に伝えられ、天皇にこれを伝え、ご退席をうながされた。生まれたばかりの親王様がお亡くなりになられたのです。しかし明治天皇はそのままにと審議を進められた。そして審議中の条項の審議を終えて初めてご退席になられた。明治天皇がこの憲法にいかなる思いをかけられたか、ということがお分かりでしょう。その帝国憲法が消滅の運命に晒されている。じつに感慨無量であります”と演説されたのでした。
 この日、貴族院で改正案が可決されたとき、場内は一瞬沈黙、しばらくして後、波のような嗚咽の声が議場をおおったと言われています。
 この憲法施行の日にお一人の老学者が遺書をしたためました(亡くなられたのはその5ヶ月後)。その方の名前は清水澄(しみず・とおる)さんといわれ、九州帝国大学名誉教授で、枢密院の議長をされていた方です。
「新日本憲法ノ発布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル団体及個人アリタリ、其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ、或ハ戦争責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ、我国ノ将来ヲ考ヘ憂慮ノ至リニ堪ヘズ、併シ小生微力ニシテ之カ対策ナシ、依テ自決シ幽界ヨリ我国体ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈念セント欲ス、之小生ノ自決スル所以ナリ、而シテ自決ノ方法トシテ水死ヲ択ビタルハ、楚ノ名君屈原ニ倣ヒタルナリ」
 昔、中国に楚という国があって、屈原という人がいて、水死によって諫言した。その故事にちなんで、清水さんは熱海の錦ヶ浦から身を投じられた。このように明治憲法に殉じた方があったということをご理解いただきたい。
 私が憲法の制定について時間の大半を費やして話したのは、これを知らずして憲法は論じられないからです。教育勅語に「朕惟フニ、我ガ皇祖皇宗、国ヲ肇ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」とありますが、国は遠く神話の世界から始まり、そして歴代の天皇様は大変な徳を積んでこられた、そういう国に生まれてきてよかったと思う、そういう思いが結晶されてこそ日本国憲法ではないですか。しかし「象徴天皇制は、これを維持する」ではこうした思いは伝わらない。
 明治憲法を起草した井上毅は最高の法制官僚でした。漢学をがっちり思想形成し、またフランスに行ってフランス語を学んだ。帰ってきた時には日本を代表する西欧の事情に精通する若手官僚でした。その後伊藤博文の側近となり、憲法起草の際は事務方の責任者になりました。そのとき彼は何をしたかというと、日本の古典の研究を始めたのです。古事記、日本書紀を徹底的に学んで、到達したのが「しらす」という言葉(「しらす」は知らせる、お治めになる、という意味。「しろしめす」(又は「しらしめす」)は知っていらっしゃる、お治めになる、という意味)。「天皇がこの国をしろしめす」とある。豪族が領地を支配することは「うしはく」である。「しらす」という言葉に天皇統治の理念がすべて含まれているのです。それは何かというと、天皇は国民の心をまず知る、知った上で国民の心をわが心とされて国民の幸せのために動かれる、あるいは神の心を知ろうとされる、ということなのです。
 井上は明治憲法(大日本帝国憲法)第一条に「大日本帝国憲法は万世一系の天皇のしらすところである」と定めたかった。しかし「しらす」は英語に訳せない(日本は当時憲法を翻訳して世界に知らせ、条約改正をアピールする必要があった)。井上は泣く泣く「万世一系の天皇が統治す」の修正に応じました。
 井上はさらに、先程説明した「教育勅語」を書いた。「朕惟フニ、我ガ皇祖皇宗、国ヲ肇ムルコト宏遠ニ、徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」歴代の天皇は徳を積み重ねられ、その徳を背景に国民に相対される。その徳とは何か。それは私を出さず、すべて国民の心を受け止められる鏡の精神(鏡に国民の心を映す)である。西洋の君主が行動するのに対し、日本の天皇はただひたすら耳を傾ける。しかしその受容の中に国民をすべて統合する大きな力がある。そのことを井上毅は知るに至ったのです。
 こうした日本国民がこれまで継承してきた大切なものをしっかり把握した上で、次の日本をどう作っていくのかを考えなければならないし、また一方で、日本の歴史・伝統をずたずたにした占領とその後の時代の安っぽさをしっかりふまえておかなければなりません。
 伊藤玲子先生が女性塾を作られた目的は、本当の歴史を知り、この日本をどうしたらいいのかという、しっかりした認識を持った議員を育てたいということだと思います。(終)

女性塾第一回研修会と、候補者のご紹介

2006年01月29日 22時47分42秒 | 研修会報告
昨日28日、女性塾第一回の研修会が開催されました。

詳しい内容、研修の様子等は、後ほど、ブログにアップいたします。

ところで、女性塾が推薦する一番目の候補者、弥吉みち(ヤヨシミチ)さんが
東京都町田市の市議に挑戦されます。

弥吉さんの後援会日記のブログが出来ましたので、お知らせします。

http://ameblo.jp/yayoshi-michi/ 

弥吉さんの御健闘をお祈りします!