快談爺流離日記

思いの儘に記す自然を好み手近の被写体を撮り歩く暇爺。

キャンペーン案内状の作成

2012年09月10日 18時54分38秒 | ノンカテゴリ
昨日久しぶりにカラオケ喫茶から電話が有り、
演歌歌手、大沢桃子のキャンペーンを行いたいので案内のパンフレットを作って欲しいと頼のまれたので、
敬老会が済んだ後で寄ってみた、
ある程度の資料を貰いレイアウトを考えて今日作成して持って行きOKが出たので納てきた、

大沢桃子は岩手県大船渡市出身で、6歳の時にお父さんを交通事故で亡くし、
「お母さんを楽にさせたい」との思いから歌手を目指すために高校を卒業後上京し、歌の教室に幾つも通いながら
アルバイトと派遣社員として働くものの、中々デビユーができず、親戚を頼って「エレキの神様」として有名な寺内タケシに弟子入りし、
ライブツアーに裏方やスタッフとして同行し、歌だけでなく踊りの分野でも浅香光代の弟子になり芸を磨き、1998年9月23日に
「娘炎節」(じょうえんぶし)でデビユーした。
演歌歌手にしては珍しく、ジンガー&ソングライターであり、
「恋し浜」この新曲は大船渡市に有る三陸鉄道の駅「恋し浜」(小石浜)。
駅の待合室にホタテ貝を絵馬として吊るすと恋愛が成就すると言われていて此のロマンチックな名前の駅を舞台に"ふるさとへの想い"や
大切な人の想い"を大沢桃子が歌った「恋し浜」、
シンガー&ソングライター大沢桃子ならではの"今の・・・そして、あの頃のふるさとの想いがぎっしりと詰まった感動の一曲、

この話は他から聞いた話ですが大沢桃子の実家は、昨年の三陸沖地震で津波に流されてしまい、
今は、お母さんは高台の地震で被害のあった家に住んで見えると聞いています、
三陸沖地震の原発被害で未だ元の住所に帰れない人が多いことを思うと心が痛みます、
原発の再稼働は許しては成らない事とも思う。

1画は、大沢桃子が今年2月に発売した「恋し浜」のCDジャケッを利用してのパンフレット作成、

キャンペーン案内状の作成の画像