やせうまぜんざい * おうちカフェ

2021年11月08日 | 日々の中で
(やせうま→郷土の団子麺)
 
 
昨夕、小麦粉をこねて団子を作り
やせうまぜんざいを作っていたら
おうちカフェランチのお誘いが❣️
 
 
私はやせうまぜんざいを持参!
 
 
今日のお昼に、友達と3人で
バラ愛好家の友達ん家に集合⭐︎
 
5月の綺麗なバラガーデンは
コキヤと菊の秋仕様でした。
 
 
 
 
 
たまに会い

おうちでカフェの

おしゃべりで

ああ人生の

昼下がりかな
 
 
こう記すと苦労知らずのマダムの
集まりに見えますが…それぞれ
 
何かを背負いつつ置かれた場所で
程々それなりに生きてるみたい^ ^
 
 
💚
 
 
 追記(11/10)
やせうま〜ネーミングの由来
 
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
由来[編集]
大分県に伝わる由来にはいくつかの説がある。
  • 平安時代に貴族の若君が乳母の八瀬が作ったおやつを気に入り、「八瀬、うま」とねだったことに由来するという説[4]。
  • 元々は米粉で作った馬の形のおやつであったが、小麦粉で作られるようになり、平麺状に細長くなったため「やせうま」と呼ばれたという説[4]。
  • 馬の餌とする小麦を、この料理にして人間が食べてしまい、「馬がやせてしまった」といった説[5]。
ひとつめの説について、旧挾間町(現在の由布市)には以下のような伝承が伝わっている[6][7]。
平安時代、都から藤原鶴清麿という幼い貴族が豊後の国に下向し、黒野(『挾間町誌』では古野下原(現在の由布市挾間町古野地区等))に隠れ住んだ。鶴清麿の身の回りの世話をする女は、京都の八瀬出身だったらしく「八瀬(やせ)」と呼ばれた(『挾間町誌』では、大原八瀬とフルネームで記載されている)。八瀬は信仰深く、鶴清麿と共に妙蓮寺[8]の地蔵菩薩を参詣していた。その時、鶴清麿はお腹が空くと、八瀬は、ときおり小麦粉をこね、長く伸ばして麺状にしてゆで、これにきな粉をまぶしたものを作って、鶴清麿に食べさせた。鶴清麿はこの食べ物が欲しい時、「八瀬、うま、八瀬、うまくれ」(「うま」は食べ物の幼児語。まんま)といい、これが「やせうま」の語源となったとする[7]。
妙蓮寺では、現在でもお盆の23日には御施餓鬼会の行事の一環として、やせうまが作られている。これが習慣化され、現在に至るとされている[7]。また、この妙蓮寺の境内には『やせうま発祥の地由来』の看板がある[6][8]。
 
 
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ありがとうございました。
 
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