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ストーリーテラーと言うものは

2021-08-20 09:00:21 | 日記
我が同志YouTubeの第一形態まぐちゃんねる氏が書いた偉大なる二次創作、『新サクラ大戦後日譚神崎すみれ物語』がついこの前大円団を迎えた。

一年4カ月の配信で13.5話だった。出だしは降魔大戦(太正19年)(1930年)に起きた降魔大戦で、ただ一人残された神崎すみれが「わたくしを置いて行くなんて絶対にゆるしませんわ!お願い
一人にしないで〜!」のすみれの絶叫も虚しく
帝国華撃団の仲間たちは消えた。

いや、帝国華撃団だけでなく救援に来た巴里華撃団、紐育華撃団も消えて降魔皇は封じられた
たった一人の隊員を残して。

これは『新サクラ大戦』の冒頭で天宮鉄幹役の速水奨が述べていたが。

すみれは重傷を負いながらも奇跡的に意識を回復した。

しかしすみれは最初は事態をよく分かっていなかった。

すみれの頭の中では戦闘続行中モードだったのだ。

それを見たすみれの父神崎重樹は「すみれ、もう心配しなくても良い、戦いは終わったんだ」
と戦いの終わりと降魔皇や降魔たちは消えたことを告げる。

するとすみれは「勝ったのだ、勝ったのですね!ならみんなはなぜいらっしゃらないのですか?」
と重樹に言うが重樹と母雛子は悲しげな顔をするばかり

「ねえ、勝ったのなら皆さんが来るはず、どうしていらっしゃらないの?」と何度も重樹に聞くが、重樹から齎されたのは「レーダーで深層部まで調べたのだが全員の生体反応が消えた」と告げる。つまり死んだと判定したのだ。

すみれが信じられるわけがなく「そのレーダーが壊れていたのですわ!みんなが死んだなんて認めませんわ!」

しかし重樹は生存の可能性はないことを告げる

するとすみれはあまりの悲しみのために狂気に満ちたようになり、「わたくしが代わりになれば良かったのですわ、どうせ霊力が尽きかけたわたくしが犠牲になればみんなが犠牲になることはなかった!」とまで自嘲する。

そしてあまりの悲しみに胸が張り裂けそうになり、泣き出す、凄まじい絶叫に似た叫びが病院の外まで響き渡るくらいに。

回復はあまり進まずこれ以上病院にいても回復しないと判断した医師が自宅で療養することを提案し、すみれは不完全ながらも退院した。

車に乗って歌舞伎座あたりを見て昔の話をしたために重樹は返事をするもすみれは反応しない
しかし歌舞伎座に来たところで重樹に「ここから銀座は近いですわね」といきなり反応する。

銀座に向けて車を走らせるも廃墟や雑踏がそれを阻害して遅々として進まないためにしびれを切らしたすみれは車から降り、まだおぼつかない体で走った、途中男とぶつかり膝を怪我しても走った。

「もしかして帝撃のみんながいるかもしれない」と淡い期待を描いたがすみれの目に見えた大帝国劇場は、ところどころ壊れて屋根に穴が空いていて、玄関には材木が打ちつけられている。

傍には李紅蘭の蒸気バイクや、降魔大戦が起きなければ上演予定の『ハムレット』のポスターが残るのみで人の気配はなかった。

それを見たすみれは「ここにいても仕方ない」と悟り車に乗った?

その夜夕食になるもすみれは殆ど食べられない
ちょっと食べたらもうおしまいだった。

そして寝室に行くもさっぱり眠れない、かなしさゆえに。

そしてすみれは銀座にあるいかがわしい店の『GOGOクラブ』に出入りするようになる。
飲めない酒を煽ったり、客に自分の小遣いで奢ったりもしていた。

チンピラ風情と踊ったりもした、元来すみれは下戸なのに酒を煽っていたがばかりに嘔吐がオチだったが、とうとう過激になりすぎてGOGOクラブの店長が激怒してすみれに怒鳴り散らして店の外に出し「今日からてめえは出禁だ!」とその後にバケツに汲んだ水をすみれにぶっ掛けて店員も顔を覚えたから二度と来ないでくださいね!と釘を刺す。

泥濘にまみれたすみれは通行人から気味悪がられ、すみれの自嘲でみんな退いてしまう。

堕ちるところまで堕ちた挙句何故か帝劇の前で眠っていた。

何者かが築地署にそっとすみれを置いておいたから築地署から川崎の神崎邸に電話がかかり、重樹が出て無事帰ることが出来た。

翌日夕方すみれは父重樹から引っ叩かれて、自分の命をどう考えているのか?ドブに捨てるようなまねばかりするのか?と叱責される。

祖父忠義からも「もっと相談に乗って欲しかった」云々の言葉をかけられる。

すみれはいたたまれなくなり家を飛び出し、また汽車に乗り銀座に来てしまった。

勿論昨日のクラブには入れないから普通の大衆食堂にいたが、昨日クラブにいたチンピラがすみれに馴れ馴れしくしつこく絡むためにすみれが激怒し持っていたリンゴジュースをチンピラにかけるもそれ以上の抵抗する気はなえてしまい、チンピラはすみれを連れ去ろうとする。
勿論すみれの肉体が目的である。

しかしそんなピンチの際に何者かがチンピラの顔面に強いパンチを喰わせた。

?「いけねえなあ、嫌がる女を連れ去ろうとするのは感心しねえなあ」

チンピラ「うるせえ!てめえには関係ねえことだろ?誰だてめえらは!」

?「俺たちかい?人はこう呼ぶなあ歌って踊れるギャング団、ダンディ団とな」

声の主はダンディ団のボス団耕作その人だった
チンピラはお前らは浅草で調子こいているのに何故銀座にいるのか?その女とは関係ないだろうと言った。

団「関係?大いにあるね、今てめえらが連れ去ろうとしているのは帝劇のトップスタア神崎すみれ嬢だぜ、いい加減気づけよ!」

チンピラ「神崎すみれ?帝劇のトップスタアじゃねえか?もし攫ったらただじゃ済まねえぞ」とことの重大さに気づく。

団は「なんだったら表に出るかい?」と喧嘩も辞さずである。

チンピラの一人が「ダンディ団と言うのは喧嘩上等の三人で負けなしなんです」と言う

団はやる気満々だがチンピラはビビったのか、捨て台詞を吐いて逃げる。

すみれは男が倒れた際に西村に保護されている
店の表に警察が来たために団、西村、武田の三人は裏口から狭い路地を通り逃げる、警察を巻くために。

すみれは西村に背負われてなんとか安全?なところまで逃れた。

一斗缶に腰掛けながら団は「すみれさん、どうしちまったんですかい?」とすみれに聞く。

すみれは無反応だ、それを察した団は話せないのか話したくないのかを思ってすみれに諭す。

女が酒を飲むのは相場が決まっていて男と上手くいってないか、やることがないかのどちらかだと言う。酒と言うのは飲んでいるうちは良いのだがその後虚しさが残るとも。

団「あんたのことだから男と言う線はねえでしょうから目的を探してもがいているんですかい?」と図星を得た答えを出す。

確かにすみれはかけがえのない仲間を失った際に嘆き悲しみ自棄になり、酒に逃げた。何をして良いか分からないから。

団「我々は歌って踊れるギャング団と言われますが強ち嘘ではないんですよ。帝劇の演劇、もちろんすみれさんの舞台を勉強のために見てましたよ、勿論引退公演もね。」

神崎すみれは霊力の低下で帝国華撃団乃至歌劇団を引退した。それが1927年(太正16年)である。しかし引退後も帝劇に出入りしていた。

すると周りを警戒していた武田が団に言う

武田「ボス、ゆっくりしてる暇はないようですぜ、また警察が嗅ぎ回っているようですぜ!」と今度は別の警察官がこちらを嗅ぎ回っていることを述べる。

こうしちゃいられねえと思った団は一斗缶から降りてズボンの汚れを払うとすみれに言う

団「それでは我々は浅草に戻ります、今なら列車も走っていますから早く戻られたほうが良い」

その後団は思い出したように振り返りすみれに言う。


団「すみれさん、出来ればもう一度あんたが踊る楽しい舞台を見てえと、そう思っています。私だけではなく帝都の人々多いはずですぜ。」

団はニッコリ笑って「それではこれで」

そして武田がすみれに言う。

武田「すみれさん、もうあんな店にいっちゃダメですよ?いつも俺たちみてえな男前が助けてくれるとは限りませんから」

すると西村が言う

西村「おいおい男前とは誰のことでい?てめえ
自分の顔を鏡で見たことがあんのか?」

武田「なんだとこの野郎!」

喧嘩を始めた団は二人を叱った

団「あーうるせえ!静かにしろてめえら!マッポに見つかっちまうじゃねえか!」

二人「へ〜い」

この漫才というかコントみたいなやりとりに、思わずすみれはクスリと笑う

団「やっと…笑ってくれましたね、よくお似合いです」

団「あっ、そうだすみれさん、もしよろしければ浅草に遊びに来てくださいよ、我々は浅草の鴨南蛮屋の隣にいますんで。酔い潰れて帝劇の入り口で寝ちまうよりは浅草で美味いものを食い倒す、これが安全ってなもんです、わはははは!」

すみれ「帝劇の入り口?団さんとおっしゃいましたよね、もしかしてわたくしを交番に運んだのはあなたたちなのではないですか?」

団は「はて?そんなことがありましたかね?覚えてねえなあ」

とはぐらかすが、間違いなくダンディ団が救い出して築地署の交番にすみれをそっと置いたに違いない。

「では!」というとダンディ団の三人は走って浅草に帰っていった。

それを見えなくなるまで見送るすみれ、漸くすみれの心に灯が灯った。

すみれは勝鬨橋まで行き対岸を見つめながら真宮寺さくらのことを思い出す。

帝劇のバルコニーから見える夜景が好きだということを思い出す。

かってはすみれはさくらが苦手で凄まじい喧嘩までしたことがある。

新入りなので厳しく接したのも対立の原因にはなったが生半可なことでは帝都を守ることは出来ないというすみれの厳しさがそうさせていたのかもしれない。

しかし真摯に向き合うさくらを見てすみれは認めることになった。

そしてさくらはすみれにとって背中を預けられる親友になった。

そしてすみれはダンディ団の本拠地の浅草に訪れ、団や西村の話を聞いて「凌雲閣が化け物に壊された時はみんな泣いていた」ことや、まだ廃墟なのに街の人たちは明るいと言うことを言う。

そして西村から凌雲閣のエレベーターガールの菊乃と団が二世を誓った間柄だったことを言い
自分たちの面倒も見てくれたともいい、そんな菊乃は降魔大戦の日に勤務中に凌雲閣の上にいた客を避難させるために上に登った結果、降魔によって観光客ごと真っ逆さまに落ちて落命したことを言い、それを聞いた団は半狂乱のように残骸を除けてやっと菊乃のボロボロになった遺体を発見する。


そして団が来ると西村は菊乃の話をしてしまったことを詫びるが団は「すみれさんにならいいさ」と許した。

そして団は今風の西洋の結婚式で神父(宮司みてえなやつ)が「死が二人を別つまで」と言うくだりが大嫌いだと言う。

団「冗談じゃねえ!夫婦と言うのは死んでも一緒だ!」と言う持論で菊乃の遺骨は荼毘に付した後に自分が骨壷を持っていてやがては菊乃の墓を作り自分が死ねばそこに入ることも誓う。

さらに団は自分達より子供も頑張っているのだからあれを見ていたら自分も頑張らねばと思うとも言う。

そして団は「凌雲閣はぶっ壊れちまいましたがまだ帝劇はあるじゃないですか!」とこれからすみれがなすことを言う。

つまり帝劇再建である。やっと自分のやることが見つかったと言うすみれは団に感謝する。

「まだわたくしにはやらねばならぬことがある仲間たちの戻る家を守らねばならぬ」と

そして帝劇の前に立ち敬礼し、宮田に帝国華撃団の旗を出すように命じてすみれは帝国華撃団の旗を振り「帝国華撃団は死なず!」と高々とここに宣言する。

それから後の話はダメージを受けた帝劇を再建するために状況を把握したり仲間の部屋のチェックをしたり、途中さくらの部屋でさくらとお揃いの着物を縫っていた、それもすみれのイメージカラーの紫色の。

そしてすみれはその作りかけの着物を自らの手で縫い上げて少し趣向を変えると宣言した。

それからは帝劇再建のために中島親方やダンディ団まで加わり他の人々の手伝いもあり、
帝劇は予想以上よりも早く完成した。

そして後に帝国華撃団風組になる二人、竜胆カオルや大葉こまちとの出会い、そしてこの二人は自分が育てると言う。学校にも行かせて立派に育て上げることも。

品川に孤児院を作ることもした。

そして帝劇が正月を迎えようとしたその時にまた降魔が現れた警報が鳴り、12万の降魔が現れたと聞き、紅蘭の部屋で発見した禁断の装置を使い最後の戦いに挑むことになる。

詳しいことは動画を見てくれれば良いかと、ネタバラシはしないので。

いずれにせよこれは公式を上回る作品愛に満ちた作品である。

サクラ大戦だけでなく、新サクラ大戦、更にはサクラ革命にも繋がると言う作品に書き上げている。

これは凄い、もはやまぐ氏は坂口博信以上の脚本を書いている。

二次創作なんて生易しいものではない素晴らしい作品を作り上げている。

今のゲーム界に一番欲しい人材ではないか?
次回作の『夜叉物語』も楽しみである。

決して本物にはなりきれない夜叉の悲しみなども描かれると思う。

この悩みは昭和期の仮面ライダー達が「自分はもう人間には戻れない」哀しみを描いていた。

人造人間キカイダーはそもそも人間ではないことを悩んでいた。

これだけの物語を書くのは凄いと思った。
オレがパワプロにムキになって強い選手育成と言うせんなきことをしているから、そろそろ創作もしないとな。

ヒントはもう浮かんでいる、どういう話にするかと言うところである。







創作と言うものはエンターテイメントだから

2021-08-11 09:14:00 | 日記
創作と言うものはエンターテイメントだから
楽しくなければならない。

時々Facebookで流れる漫画の予告はワル共に両親を殺され弟を廃人にされた少年が復讐を誓うもその力がなく、元日本陸軍の部隊に伝わる『人を完全に殺す方法教えたろか?』と言う老人の元少年は復讐のためにその方法を教わる。

なんか昔見た洋画の『ベスト・キッド』(1984年)に似ている。

あの作品は弱いところを見せて恥をかいた少年ダニエル(ラルフ・マッチオ)が、老人ミヤギ(パット・モリタ)に空手を本格的に学び、バカにしていた連中を空手で見返すと言う話しだが。
(なにしろ昔の映画なのでうろ覚え)

基本的には何ら変わりはない、見返すか、殺して復讐するかの違いだ。
老人に教えを乞うのはまんま同じである。
それが武闘か殺人術の違いだが。

そんな復讐の果てに何があるのか?果たしても死んだ両親は帰っては来ず、廃人になった弟が元通りになるはずなどないのに、不毛すぎる。

こんなのが最近の流行りなのか?

もう一方は男共にレイプされた娘がそれを苦にして自殺したが父が法廷で訴えても加害者側は「法は権力に味方する」とか「寧ろ被害者はこっち、息子の未来をどうしてくれるのか?」と全く謝罪すらせず無反省で開き直って寧ろ被害者である娘の父が悪いように言われる。

(これは実際にもあり得る、被害者側の方が損をするのは度々で法は権力に味方すると言うのは強ち間違いではない)

結局は加害者側は無反省、被害者側の父は全く納得など行かない、法的にはもう無理、そしてそんな父が選んだのは理不尽なレイプにより自殺の道を選んだ娘の加害者に対しての復讐であった。無論殺しも辞さない。

何のことはない、さっきの少年の復讐話の大人版である。
てっきり赤井英和が主演した『人間・失格』のような話かと思ったが調べると全くの違う話で
復讐は同じだが理由があったのといじめのやり方がリアルだったのが違う面である。

まあ、『家なき子』『家なき子2』『明日ママがいない』の野島伸司が脚本で、描写は野島テイスト満載だったが。

まあ、大人版の奴は寧ろ昭和の時代に大人気を誇った人気時代劇『必殺シリーズ』に近い。

そう、現代の必殺である。何の新味もない、まあ最近向きにはしてあるのだろうが自分で仕置きするのはまんま必殺だから。

少女漫画に目をやればいじめ系漫画が流行っている。

まあ、編集者がこんなテイストでなきゃ今は売れないとかなんとか言っているので他の企画は通らないのだろう。

まあ、何とも今の時代の陰鬱さや深い闇を感じて滅入ってしまう。

こんなものを見て誰が喜ぶのか?興味本位ならこんな作品はデビッド・リンチの『エレファント・マン』と何ら変わりのないフリークである
あれは感動作品ではなくフリークである。

カラクリがわかれば何ら新しい面はなくこんなのが今のメインストリートなのか?と思う。

全く以て遺憾である、日本人は所詮このパターンにハマれば抜け出せない。

変わったことをやろうとすれば異端児扱いされる。

だからと言ってオレはそんな作品は見たくないし見たいとも思わない。

確かに日本は加害者大国なのは交通事故で人を轢き殺しながらも重い刑が下らない飯塚幸三を見れば分かる。上級市民は人殺ししても重い刑は下らないと言うのを。

まあ、下も似たようなもので加害者側が開き直るのは屡々でしかも無反省である。

まあ、そんな鬱憤晴らしのためにあんな漫画がメインストリートとして許可されるんだろうな
需要があるから。

でもオレ個人としてはそんなものは見たくない
なんなら世の中を滅茶苦茶にしたれ的な荒唐無稽で笑い飛ばすようなものを書きたい。

手段は選ばない、出鱈目、インチキ、詐欺師でも良いじゃないか、問題児?歓迎だ。

『サクラ大戦3』でも本来なら犯罪者で懲役二千年とか言われているロベリア・カルリーニ(cv井上喜久子)を巴里華撃団に入れようと支配人で司令のグラン・マが思いつく、朝の新聞を読んで。

勿論誇り高い貴族の娘グリシーヌ・ブルーメール(cv島津冴子)は猛反対したが当たり前だ。
犯罪人を仲間にするなど正気の沙汰ではない。

しかし勝つためなら手段は選んでいられないグラン・マは「とにかく会わないとわからないよ」と言い、大神一郎(cv陶山章央)やエリカ・フォンティーヌ(cv日髙のり子)、グリシーヌ、コクリコ(cv小桜エツコ)をサンテ刑務所に向かわせる。

まあ、そこではトラブルがあるのだが、詳細は割愛する、ゲームやって貰った方が早いから。

まあ、何とか入れることには成功するがロベリアはやはり問題の多い一筋縄では行かない奴だった。(決して悪い人間と言う訳ではないが生きる術で犯罪に手を染めた)

まあ、広井王子も全盛期は滅茶苦茶やってたのが分かる。

今はその勇者すらいない、いや、挑みたくないのか?

まあ、広井王子の中では「もうサクラ大戦は作らない、終わった話だから」と言う趣旨のインタビューがあった。

でもファンにとっては終わった物語ではない。
熱心なファンは公式を凌駕する物語を作り上げたのだから。

サクラ革命も強ち失敗作ではなく、新しい可能性を示してくれた作品だと思う。

サクラ大戦や新サクラ大戦みたいに霊子甲冑や霊子戦闘機に乗り込むのではなく、自らが鎧を纏うような霊子ドレスという一種の鎧を纏った乙女達が降鬼(正体は人間)を元に戻すべく斬り祓うという話である。

設定やストーリーは合格だったがゲームとしてはイマイチだっただけである。

そのイマイチ面をクリアすればヒットすると思う。

まあ、ゲームも漫画も楽しんでナンボ、そしてマジになることなくゆっくりやれたらと思う。

もしサクラ革命が駄作なら、「結局被害者出たじゃないか」になってしまうが誰も被害者にはならなかった。

山田康雄(1932-1995)の持論である「幾ら正義を名乗っても戦争は戦争、殺し合いに過ぎない」と言うのが人間の本質だがそれを犠牲者なしにやれたのはサクラ革命の功績であり、もっと認められる作品である。

やるならもっと深いものにすればと思ったが、日本人にドストエフスキーやトルストイは理解出来ないし、ダンテの『神曲』も誰も理解すらしない、いや出来ない。

まあ、お堅い話は抜きにしてエンターテイメントの定義は楽しむことだと思う。

不毛な復讐にそれは感じないしオチが『仮面ライダーBLACK』みたいに勝っても虚しいならば哀しさしか残らないからである。