網戸クライマーはな
登ったのはいいけど体重のせいでか降りるのに苦労していました(苦笑)
今日は仕事で疲れて疲れて、へとへとで帰ってきました
もうそのまま動けなくなって しばらく横になってましたぁ
夕飯をきちんと(それなりに?)作るのはムリってことで、各自夕飯をということに
長男はインディアンカレー
私は冷凍ラーメン
次男も冷凍ラーメン
子供が大きくなったからこんな事も出来ますが、小さい子供を抱えて働いているお母さんは偉いですよね尊敬します
【離婚カウンセラーのつぶやき】
心が弱っていると何かに頼りたくなります
「頼りたくなっている」と自覚している人はまだいいのですが
自覚が無いと、そういうときに限って(そういう時だからこそ)落とし穴にはまったりします
そうですね霊感商法に引っかかったりとか・・・
昔、「壷」とか「お札」とか、それなりの金額を払って購入したことがある人と話をしたことがあります
「その時は、これはいい本物だと思っちゃうんだよね・・・」
その人はそう話してくれました
「私はそういうのには引っかからないなぁ」と答えると、どうしてそう言えるのか尋ねられました
「だって考えてもみなよ、どんなにいいモノだって所詮は人間が作ったもので神様が作った物じゃないんだよ。人間が作ったものが神様のように人を救えるわけ無いじゃない。」
その人は「う~ん言われて見れば・・・」と納得していました
「何かに頼りたくなる気持ちは分かるよ。何かに頼りたくなるくらい、心がいっぱいいっぱいだったてことなんだよ。
ただね、その頼りたい気持ちにつけ込む悪い奴がいるんだから、気をつけないと・・・」
自分の心と向き合うのが下手な人が多いです
霊感商法に引っかかる人もそういう人なのではないでしょうか
「物に頼りたくなるくらい、心が弱っているのだ」
と、自分を客観的に見ることが出来ていれば霊感商法には引っかかりにくいのでは?
さっきも書いたけれど所詮は人間が作ったものですからね・・
確かに人間が作った物でも、仏像やお地蔵様など神仏がやどっているのものもあるでしょう
「ルルドの泉」など、病気を治すといわれる霊場とかありますからね
しかし霊感商法の「壷」「お札」などは、単純に商品です
そんな商品でも「鰯の頭も信心から」信じて救われればいいですけど・・・
でも大概の場合、騙されたとなるわけで・・・
結局そうやって騙されたと感じることによって、更に心の平安は遠のくのです
自分を助けるのは「自分」しかいません
「商品」が助けてくれるわけはないのです
霊感商法だけではありません
例えば過食になっている場合もそうです
夫婦関係がうまくいっていないときや、離婚して心が弱っている時に出合った人が、本当はろくでもない人なのに、素敵に見えたりするのもそうです
難しいことではありますが、「今、私は心が疲れているのだ」と感じる客観性は持っていたいですね
今日もブログを読んでくれてありがとです
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