寝転がって気軽に思いました😚😚

寝転がって気ままに思いました。の続編です。
たぶん、おもしろいと思いますのでお立ち寄り下さいな。

うなぎの養殖の話です

2023年12月08日 08時09分46秒 | penhorse813@gmail.com

  おはようございます。

今朝の新聞に特集として載っていた記事に 「かば焼き」救う 完全養殖!

副題に 「卵から成魚育成 世代つなぐ」

うなぎの稚魚を採って養殖する従来の方式では 稚魚の捕獲量が激減した今日では安定したうなぎの供給が

出来なくなるとの懸念が高まっていました。  うなぎ。日本の食の文化の代表的なひとつがうなぎです。

でも、ですね うなぎって私の幼少の頃、高校生くらいまで食べた記憶がありませんね。

私の住まいは内陸の県でしたから、昔は河川や琵琶湖の湖産物が身近にありました。

えび豆や鯉の仔造り(鯉の刺身に鯉の卵がマブシている)鮒寿司、モロコの素揚げ、煮付け、

イサザなどが思い出される懐かしい料理ですが、うなぎ は全く思い出せません。

恐らくうなぎは高価な食物として珍重されていたのでしょう。

  明治の女流作家として後世に名を馳せた樋口一葉は、早くに父親を亡くし貧困の生活を送りながら

執筆活動をしていましたが、当時、女性は家にいるのが当たり前で働きに出るという環境も

整っていませんでした。

女は男‥‥親、夫、子どもに養ってもらう、家事育児は女性の仕事、とされていたのです。

 三従として 幼にしては父兄に従え 嫁しては夫に従え 夫死しては(老いては)子に従え・・ 

近頃は死語になりましたが昔は女は家にいて家庭を守る というのが概念にありました。

そんな明治の時代の中で、樋口一葉(1872年〜1896年)も作家を目指していたのですが、

女性の作家は絶無でした。貧困の中で努力しながらようやく売れ始めた頃 不治の病の結核で

24才の若さで亡くなりました。樋口一葉の家は母親、妹の三人暮らし。収入は障子の張替えや

近所の洗濯の手伝いなどで糊口を凌いでいましたが、如何せん賃金が手間代くらいにしかなりません。

女性が働く場所は今の感覚では想像もつかないほど無かって大店の女中さんが唯一あったようですが、

それに就くにはキチンとした身元保証人が要りました。

樋口一葉家の生活に戻りますが、父親が居た頃は 中々の遣り手で普通以上の暮らし振りのようでしたが、

運送業に投資をして失敗したのがケチのつき始めでそこから下り坂になった頃に亡くなりました。

僅かな蓄えは見る見る間に無くなって赤貧の生活を送るようになりましたが 父親の時の付き合いがあった

人を迎えると生活費の借金を申し込んだりしながら うなぎのかば焼きを出前で取って食べさせていました。

いい暮らしの夢が抜けきらなかったのか いわゆる見栄があったようですが、当時の貧困にあえぐ生活ではとても

手の出せなかった 高価なうなぎのかば焼き。うなぎ自体はかなり昔から食されていましたが、

戦後までは河川から獲っていただけの漁獲ですから 今のような大量の養殖技術にはとても敵わなかったでしょう。

  話が随分飛躍してしまいました(笑)新聞の特集に戻ります。

現在の日本国内で消費されているうなぎはほとんどが養殖で三分の一が国内での養殖。

 最近 うなぎが寿司屋、牛丼やなどのファースフードのチェーン店で展開されています。

うなぎって乱獲の所為で穫れる量が減っている、このままではいずれ うなぎは食べられなくなる

 との警告も聞いたことがあります、なので専門店は供給が減って値上がりしざるを得ません。

とおっしゃるのですが、何故かファースフード系は、ここぞとばかりに売り出しています。

一体 うなぎの生態はどうなってるでしょうか?と思っていたら 今度は 稚魚からではなく卵から養殖する。

確か近畿大学がマグロの養殖に成功したニュースを聞いたことがありました。

又、うなぎに似た味のナマズを養殖して去年は試験的に一般に出されたニュースもありました。

 そして今回は真っ当なうなぎを養殖する話です。

少し時間はかかるようですが、将来的には 一匹千円未満にすることを目標にする。

今年度は1万匹を育て 26年度は10万匹、28年度は100万匹の生産を目指す。

これがそのまま実行されたなら ホントうなぎ好きな人、幸せになれますね(笑)

コメント (2)
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