佐渡の翼

佐渡の観光名所紹介、佐渡の宿泊施設の宿泊記、佐渡の全飲食店と東京都内高級レストランの食べ歩記、ヨーロッパ及び国内旅行記事

i8ロードスターのPR動画を記事の最後尾に貼り付けました

動画に登場するi8ロードスターと全く同じ車体カラー、ホイール、内装、の右ハンドル車が、8月6日に千葉港へ到着し、通関手続きが完了いたしました。そして、新車整備、車両登録も完了し、9月2日に無事納車されました。従いまして、日本上陸第一号となったi8ロードスターの全貌を、9月6日に当ブログ上で公開いたしました。9月18日には、Keiyo BMW千葉北支店のフェイスブック(https://www.facebook.com/keiyo.bmw.chibakita/)でも紹介されました。このフェイスブックには、スマートキーをリモコン代わりに使用して、i8ロードスターの屋根を開閉する動画も掲載されています。更に、7月6日に発売されたホンダS660のcomplete modelである、ModuloXは、9月23日に無事納車となりました。 2018年9月24日現在

i8ロードスターPR動画

https://twitter.com/i/status/988688999794409472

本行寺(佐渡市松ヶ崎)   投稿者:とある旅人

2010年08月31日 06時42分46秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

幕府に弓を引いた日蓮は、鎌倉で一時打ち首の危機に晒されたが、その神通力をもって何とかこの難を逃れたという。そして佐渡への配流が決まり、1271年10月22日に寺泊に到着し、その数日後に松ヶ崎の港へ上陸した。佐渡に上陸した日蓮聖人は、まず欅の大木に彫られた洞穴で一夜を過ごした。その後草庵に移り、3日間そこに滞在した。その跡が本行寺だと伝えられている。つまり日蓮関連の寺で日蓮自身が建立した寺などは一つもなく、全て日蓮の弟子達が法華経の教えを広めんとして後世に建立した寺ばかりだ。寺の始まりはほとんどが日蓮が過ごした粗末なあばらやである。この本行寺もそうした寺のうちの一つである。山門には外国人観光客が訪れるせいなのかどうか知らぬが、英文による標識が掲示されていた。

入って右側に鐘楼があるが鐘は取り払われ、別の建物内に安置されていた。何故このような事をするのか実に不思議だった。更に寺の本堂の三角屋根の中央部にある家紋のようなマークの意味もよく分からなかった。日蓮宗を意味するマークだろうか?越佐旅の絵本には、本堂の向かって左手に二股の松ノ木があると書いてあったが、既にそのような木は消滅しており、代わりに近代的な日蓮の石像が鎮座していた。宝物殿には弟子達に彫らせた日蓮の木彫りの坐像が安置されているそうだ。

松ヶ崎の有名な観光資源と言えば、この寺以外には「おけやき」、松ヶ崎神社、鴻ノ瀬鼻灯台を含む松ヶ崎ヒストリーパーク、集落内の屋号掲示、松ヶ崎祭りであろうか?

松前神社(佐渡市松が崎)    投稿者:とある旅人

2010年08月30日 06時00分41秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

この神社は、松が崎の研修センターのような建物の前にある神社だ。訪れた頃は松が崎祭りの真っ最中で、神社には提灯やら日章旗やらが飾られていて祭り気分を嫌が上にも盛り上げていた。ここから神輿が出るのだろうか?この神社は佐渡奉行の大久保長安が松が崎に上陸した際に信仰を始めた神社として知られている。長安は奈良の春日神社を信仰していた。それゆえ、境内に入って左手のお手洗い石のわき腹には、よく見ると春日神社や奈良公園でよく見かける「鹿」の絵が描かれている。この神社は最初は春日神社と名乗ったが、明治以後に松前(まっさき)神社と改名したそうだ。

この神社には長安が奉納した三十六歌仙絵馬が秘蔵されているそうである。ゆっくりと境内を散策すると、相川金山へと向かう奉行所のお役人や、世阿弥、日蓮、順徳上皇などの配流の憂き目にあった、高僧・高貴なお方などに関する伝説の一章が蘇ってくるだろう。

参考文献:越佐旅の絵本

おけやき(佐渡市松ヶ崎)    投稿者:とある旅人

2010年08月29日 04時38分45秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

松ヶ崎の集落内に、「おけやき」という欅の大木がある。日蓮聖人が松ヶ崎に上陸したのは文永8年(西暦1271年)10月28日であった。日蓮はその日は、とりあえず、欅の木の空洞に身を潜め、一晩だけ夜露をしのいだという。日蓮は、その洞穴の中で、旅の疲れ、寒さ、飢えと戦いながら一心不乱に法華経を唱えたという。これを見た地元の老婆が一椀の粥を差し入れたところ日蓮はお礼にと持参した鍋と血曼荼羅を老婆に与えたとされる。この鍋は今でも池田家に残されているそうだ。ところが、日蓮は上陸直後は辻堂に泊まったという説もある。それはそうかもしれない、いくら大木の欅の窪みと言えどもそこで一晩過ごすなどとは実に非現実的だからだ。そうは言ってもそんな伝説的な話についぞ耳を傾けてしまうほどこの欅は大樹なのだ。

この「おけやき」は、まるで周囲を睥睨するかのように山裾のかなり高い所に立っている。そして枝を切断した部分は、こげ茶色のトタン板で覆われ、まるで包帯でもしているようだ。「おけやき」の前はちょっとした広場になっていて、仰々しく案内看板やら石像などが建てられすっかり近代化した遺跡に生まれ変わっていた。佐渡観光協会によれば、このおけやきは2代目だそうだ。普通、こういった遺跡は人目につきそうもないような所にひっそりと佇んでいるものだが、この「おけやき」さんはまるで神社の本殿のように威風堂々たる姿で一段高い所に鎮座ましましていた。日蓮が一晩雨露をしのいだ空間にしては少し違和感といおうか奇異な感じを覚えなくもなかった。そうは言っても松ヶ崎集落の大事な霊的な遺跡であり貴重な観光資源である。大事にそして敬うに越したことはなかろう。



多田の弁天崎    投稿者:とある旅人

2010年08月28日 05時11分52秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

赤泊港から東に向かうと「多田」という地区が見えてくる。ここは海洋深層水を作成する大きな工場があるので有名だ。この多田地区に、多田弁天崎という祠がある。道路端に小さめの赤い鳥居があるので大抵のドライバーは気づくはずだ。この多田弁天崎には農耕にまつわる伝説がある。設置された看板の案内書きによれば、土佐国(高知県)の永楽又兵衛という農夫の倅三助が継母にいじめられて佐渡へ流されたという。何故いじめられたくらいで佐渡へ流されなきゃならないのか?そもそもこの辺から無理を生じ始めている。三助の実母は悲しんだという。実母がいて継母がいるという事は、おやじが離婚後三助を連れ子にして再婚したのだろう。実母は、佐渡へ行く三助に籾(もみ)三升に鍬(すき)・鎌を持たせたという。そして佐渡に着いた三助は、能登の国から流されたお菊(この女もいじめで流されたのか?)という女性に多田の浜でめぐり逢い、二人は夫婦となり三助のもってきた籾をまいて稲を育てた。これが佐渡の稲作の始まりとこじつけている。つまり、多田の地は佐渡農耕文化発祥の地だったと言うのだ。全然知らなかったよ。

この地の地名は、二人が巡り逢った場所ゆえ、逢田となり、中古には大田と変わり、更に現在では多田と変遷した。多田の西北方に男神山、女神山という二つの山が仲良く並んでいるが三助、お菊をそれぞれ祀った山とされており、丁度紅葉山公園からよく見える位置にある。多田の弁天崎は佐渡七弁天崎の一つであり三助・お菊が真夏に語り涼んだいこいの地だそうだ。



喫茶店「緑水」(佐和田地区)    投稿者:佐渡の翼

2010年08月27日 05時44分01秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記

筆者は5月初旬のとある日、佐和田の八幡堤脇にある喫茶店「緑水」さんにお邪魔した。この「緑水」さん、住宅展示場を兼ねており、住宅見学に来た人々が休憩がてら立ち寄れるようにとの配慮で設けられたらしいのだが、現在では、佐和田の奥様方の隠れ家喫茶店としてつとに有名のようであった。場所は鍛治町から石田観音堂の方向に車を走らせると左手に見えてくる。詳しい位置はデジブックの「詳細」の部分をクリックすると地図のURLが記載されているので、それで確認して頂きたい。この「緑水」さんは庭園造園も手がけているようで、喫茶店の前庭には所々に彫刻が置かれた広大な敷地が広がっていた。建物そのものは喫茶店っぽくなく、普通の民家のような感じだ。ドアを開けると、靴を脱いでスリッパに履き替える方式で、なんだか普通のおうちに招かれたような気がしてくる。入り口のドアを開けると、12畳大の洋室のリビングと和室のリビングがあり、ソファー席もある。更に八幡堤を臨むテラスにもテーブル席があり、桜が満開の頃には格好のお花見スポットになりそうであった。この喫茶店はセルフ方式で、注文したお料理や飲み物が出来上がるとお客さんが受け取りにくる仕組みになっている。二階にも席があるようで、こちらの方が眺めはよさそうだった。

和室と二階席に先客がいたが全員女性だ。このような喫茶店では男の一人客などは相当に珍しいだろう。メニューにはビーフシチュー、グラタン、パスタ、ピザなどの軽食が並んでいたが、食べたかったサンドイッチはなかった。セットメニューには、ピザを除き、全てサラダと飲み物が付いていた。更にビーフシチューとグラタンでは、トーストかライスを選べるようになっていた。筆者はピザセット(780円)(画像)を注文した。厨房と言おうか、普通のおうちの台所のような場所で品のよい中年女性がお料理を作り、若い女の子がそれを手伝っていた。先客の調理に時間がかかり、注文してから20分ほど経過したところでピザが焼きあがった。筆者がモバイルPCでメールチェックなどをしていたら、忙しそうだと思ったのか、おねーさんが席までピザを運んでくれた。生地から全て手造りのピザだそうだ。ベーコン、玉葱、ピーマン、チーズをトッピングしたピザで非常に美味しかった。お洒落でありながら家庭的な雰囲気も併せ持つ、佐渡ではあまりお目にかからないスタイリッシュな喫茶店と言ってもよさそうだ。


水津集落        投稿者:とある旅人

2010年08月26日 06時31分37秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

両津港から海岸線を東に約15キロ、白い姫崎灯台の岬を回ると広い漁港が視野に入ってくる。急峻な山肌が海岸線まで迫り、わずかな平地に沿って40軒ほどの小さな集落が広がっている。それが水津集落だ。水津は島内有数の漁業基地として知られ、毎年10月に開かれる「竜王エビ・カニ祭り」は多くの観光客でにぎわう。水津の人々は「豊富な海と山の幸に恵まれ、人々は人情が厚い」と自慢する。水津港は江戸時代、北前船の寄港地として栄え、物資の出入りを監視する幕府の目付所や御番所も置かれたという。明治になると、蒸気船が登場し両津港が佐渡の表玄関となるや、水津港は商港から漁港へと姿を変えた。 水津の漁師たちはいつの時代も、先進的な漁法技術を積極的に取り入れた。いそ漁、イカ釣り漁、はえ縄、定置網、刺し網、銀ザケ養殖などなど。1961年にエビ・カニかご漁を県内で初めて導入したのも水津だった。「水津漁業は一朝一夕に築かれたものではなく、順風満帆でもなかった。挫折と成功が繰り返され、今日に至った」と集落の人は言う。地元の人々は「水津から海を取ったら、何も残らない」と口々に語る。だが、漁で暮らしを支えてきた集落も今では、会社員や公務員などのサラリーマン世帯が多くなり、漁師は高齢化し、後継者不足にあえいでいるという(以上は「日本海道をゆく」の記事を引用改変してまとめた)。

水津は、一昨年の波浪災害の折には最も被害の大きかった集落である。その激甚災害から2年経過後に彼の地を訪ねてみたら、黒い土嚢が多数積み上げられている以外、災害の爪痕をしのばせるような物は何一つ残っておらず、見事な復興ぶりであった。水津は何と言っても漁港で有名だ。冬の味覚、ずわい蟹などは水津産が極上と言われているくらいである。昔から漁業の盛んな集落だったのであろう。集落内を歩いてみると、網元のおうちらしき立派な門構えで綺麗な破風板を備えた家屋が目立った。勿論、漁港から揚がったばかりの海の幸を食べさせる民宿も多い。旅荘「さか」さんなどは老舗民宿の部類に入るといってもいいだろう。「金処館」という名称のいかにも儲かっていそうな名前の民宿もあった。

この集落の中で唯一面白いと思ったのは、玄関先に「予防しません」という木札を掲げたおうちが2軒ほどあった事だ。何を予防しないというのだろうか?インフルエンザの予防接種はしないという意味なのか?それとも犯罪に対する予防をしなくともいいくらい警備は万全とでも言いたいのだろうか?

5月のとある休日の日に訪ねたのだが、門前に日章旗を掲げるおうちが多かったのが妙に印象に残っている。



津神島公園と大川集落     投稿者:とある旅人

2010年08月25日 06時00分07秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

津神島公園は、両津の大川(おおがわ)集落にある津神神社を中心とした公園である。赤い太鼓橋を渡り津神島に到るが、その手前に波除地蔵がある、東京築地の波除神社と同じく、航海の安全、商売繁盛、大漁を祈願するお地蔵様だ。この大川集落は、元々は和船時代、能登と北海道を結ぶ航路の三大寄港地として賑わったそうだ。それゆえ境内には実際の船の錨が祭られているし、神社の背後には私設灯台などがあり、それを背後から眺められるように海岸に遊歩道が整備されていた。又、この大川の港は南東の風が強く吹き付ける頃には船の避難場所、即ち風待港としての機能を果たしてもいたそうだ。

この大川集落では、各家の外壁に版画を張りつけ、屋外版画展を開催していた。大川と版画とがどのような関係にあるのかちょっとよく分からなかったが、多分版画好きの人々が大川には多いのだろうと勝手に推測した。集落の中には面白い構図の土蔵があったり、装飾がお見事なお寺があったりして、けっこうぶらついていると面白い!野浦同様、廻船宿の面影を残す家々もあるそうだがついぞ見逃してしまっていた。大川集落の人々の間には古来からの伝統・文化・産業を大事に継承する気風がみなぎっているのだそうだ。




民宿「一福(いっぷく)」(佐渡市橘)   投稿者:佐渡の翼

2010年08月24日 09時05分37秒 | 佐渡のお宿評価
5月初旬のとある日、筆者は七浦海岸沿いの橘という集落にある民宿「一福(いっぷく)」さんに宿泊した。場所は、二見中学校跡の真向かいで、人気民宿の「敷島荘」さんのすぐ近くにある。この一福さんは、デトックス及びダイエット効果のあるマクロビオテイック料理を出す島内唯一のお宿だそうで、島外から多数のお客さんが来るのだという。宿泊当日もそのお料理目当ての7人の女性客が宿泊し、しかも連泊していた。都会の女性は事のほかダイエットに関心が高くしかも敏感だ。新宿伊勢丹にも葉山の日影茶屋が運営するマクロビオテイック料理屋「チャヤマクロビ」があり、いつ行っても満員のご盛況。マクロビオテイック料理とは、旬の新鮮な野菜や豆類、穀類や海藻などを、肉・乳製品・白砂糖・化学調味料を一切使わずに調理するもので卵や小魚程度は使用する。主食は玄米だ。野菜も地物で低農薬のものを使用する。一福さんでは、このマクロビオテイック料理を昼食に提供するカフェ「マナ」の営業を始めたので、ダイエットに興味のある島内の女性は一度訪ねてみてはいかがだろう。

さて、筆者は午後4時頃に一福さんに到着した。二階の階段際の6畳ほどのやや狭苦しい部屋に案内された。宿泊当日は夏のような暑さだったので、まずお風呂に入りシャワーを浴びた。それから夕食先へと出かけて行った。帰ってきたら「清水荘」さん同様お布団を敷いてくれていた。

朝食は、翌朝の午前7時に1階の食事処に用意されていた。りんごと春菊の白和え、大根の焼き物、切干大根、ふきの煮物などのお野菜料理が細長い皿の上に盛られて出てきた。これはマクロビオテイック料理組にも出されていた。とてもいいお味で盛り付け方も都会派だ。こりゃあ、女性に受けるだろうなあ~と思った。焼き鯖は脂が乗っていや実に美味い!これに定番のいごねり、目玉焼き、漬物、野菜入り味噌汁が付いていた。マクロビオテイック組ではないので、ご飯は白米だ。いやもう本当に美味しかった。筆者の評価は勿論★★★だ。一泊朝食つきのお代は5,775円、大満足の民宿「一福(いっぷく)」さんだった。帰り際、筆者がいつもの癖で足早に立ち去ろうとしたら、女将さんから「いつも忙しそうにしているんですね」と言われてしまった。


ダイエットはつらい(スナック「チャップリン」)    投稿者:佐渡の翼

2010年08月23日 05時38分10秒 | 佐渡のスナック・キャバクラ
ほどなくしておねーさんが「お客さんはウイスキーがお好きなんですか?ビールとか飲まないんですかあ~?」と尋ねてきた。筆者は即座に「ビールは太るから飲まないんだよ」と答えた。高野佐渡市長はビールを飲みながらブログを書いていると自らのブログで公言しておられる。さぞかし太るだろうなあ~と思っているが、ま、御節制あそばされたい。そして筆者は「夕食には炭水化物は一切取らないようにしている」とも付け加えた。このおねーさん、「これを食べたら太る、あれを食べたら太ると言われたら、何も食べる物が無くなるんじゃないですかあ~?」と、自らの肥満(と言っても軽度だが)を正当化し始めた。筆者は「肥満の元凶は食べる物の種類にあらず、等しく食べ過ぎなのだよ」とぴしゃりと言ったら、おねさんは静かになった。するとおねーさんが「お客さん、だからスタイルがいいんですね。じゃあ~、お酒を飲んだ後のラーメンなんて絶対駄目ですね」と分かりきった事を言ったので、筆者は「太らないための食事療法の基本は、「ごずこん」と覚えておけばいい。「ご」は胡麻料理、「ず」は豆類。豆腐、納豆、枝豆等々何でもいい。「こん」は昆布などの海藻類。これらに野菜と卵を加え、肉類は一週間に一回程度。魚は何を食べてもよい。油脂類を使用した料理はなるべく控えめにする。食事の量は腹七分目。空腹感は残るが、それは時間が経過すれば消失する。これらを実践すれば、すぐに痩せられますよ」と、おねーさんの脇腹のやや艶かしい贅肉に視線を向けながら、あてつけがましく高説を垂れてみた。おねーさんは、ダイエットに挑戦したが完結できなかったためバツが悪かったのかどうか分からぬが、当方の高説に一切反論することはなかった。医者から健康のために痩せろと言われてからダイエットを始めるようでは遅すぎるのは誰しもが分かっている事なのだが。。。公共交通機関の発達していない佐渡に住んでいるとどうしても車に頼らざるを得ない。何せ、人口6万5千に対し、自動車の登録台数は8万近くもあるそうで、当然都会人に比べて運動不足になりがちだ。加えて食べ物が美味しいからどうしても過食気味になる。佐渡で肥満体の女性を多く見かけるのはそのせいだろう。「肥満は自己管理や本人の自覚が足りないため。病気の危険や正しい食生活の情報を伝える事が肝要」と言うのが一般的な考え方だ。おねーさんは、筆者に向かい「お客さんは意志が強いんですね」と、自らの意志の弱さを認めるかのような発言をした。

このおねーさん、筆者の水割りを作るたびに、いちいち一旦カウンターの外に出て、筆者の背後を回りこむような格好で筆者の後方から水割りを運んできた。他の客に対してはカウンターの内側から対面の相手の客に直接飲み物を差し出していたのに。。。そんなに筆者の全身の後姿を見たかったのだろうか?ほどなくして常連客らしき地元のおじさんが現れ、カウンター席に座りビールを注文した後、釣りの話などを始めた。このスナックのカウンター席には足置き用の一本丸太が置かれている。おじさんがこの止まり木に足を乗せ貧乏ゆすりをするものだから、木が揺れてうるさくてしょうがない。筆者はそうそうに立ち去る事にした。

水割り3杯と乾き物のおつまみのお代は3,900円。佐渡のスナックでダイエット方法を講義するなどとは思いも寄らなかったが、楽しいスナックだった。

スナック「チャップリン」再び    投稿者:佐渡の翼

2010年08月22日 04時39分26秒 | 佐渡のスナック・キャバクラ
筆者はとある日、佐和田のスナック「チャップリン」を午後7時45分頃に再び訪ねてみた。実に2年ぶりだ。前回訪問時はママさんが不在だったが、今度はいらした。更にもう一人、お手伝いのような感じのアラフォーと思しきパートホステスさんらしき人もいた。先客は、カウンター席に農協職員のような格好をしたおじさんが一人だけ。筆者はおじさんとは3席ほど離れたカウンター席に座るなり、ウイスキーの水割りを注文した。すると、おねーさんがボトル棚からニッカの角ビンを取り出そうとしたので、筆者は「それじゃあなくってえ~、サントリーのロイヤルをお願い」と言ったら、おねーさんはえらく丁寧に水割りを作った。このおねーさん、まだよく慣れていないのかもしれない。慣れていないと感じたのは、積極的に新規客に話しかける事はなかったからだ。このおねーさん、顔だちはとても美人だったが、横を向いた途端、ブラジャーの脇バンドが横腹にわずかに食い込む姿が露となった。それは、削ぎ落とすべき贅肉がまだ少々あるという事を正直に物語っていた。客の前で体型を隠そうともしないのは、恋など既に終わった女性か、体型などには無頓着な神経の持ち主のどちらかであろう。このおねーさん、ダイエットすればかなりのいい女になりそうに思えたのでもったいない話だ。

筆者はウイスキーを飲み干すと、次にブランデーの水割りを注文した。するとママさんはボトル棚から細長いビンを取り出した。ラベルに何と書いてあるのかをおねーさんに確認したら、「レミーマルタン」だという。妙な「レミーマルタン」だ、筆者はそのようなボトルを見たのは初めてだった。おねーさんが蓋を開けようとしたがびくともしない。女の力では無理だと観念したのか、おねーさんは蓋開けをおじさんにお願いした。しかし、おじさんの力を持ってしてもピクリとも動かない。「蓋に輪ゴムを巻きつけて摩擦係数を上げれば開くのでは」とアドバイスしてあげたが、それでも駄目だ。そんな騒ぎを聞きつけたママが厨房から顔を出し、やや眉間に皴を寄せながら、「お客さん、すいませえ~ん、このブランデーはカクテルを作る時に用いていたもので、あまり使わないんです。それで開かないと思うので、ウイスキーで我慢して頂けませんか」と言った。おや、「ママさんを怒らせてしまったか?」と思った筆者は、慌てて笑顔で「ええいいですよ」と応じておいた。筆者は、「プロならばボトル棚のボトルくらい、開くかどうか定期的にチェックしてしかるべきではないか」と言ってわざわざ波風を立てるつもりはなかったので素直にウイスキーで我慢する事にした。

「そいのん」のU-streamとワンダー動画    投稿者:佐渡の翼

2010年08月21日 07時48分05秒 | その他
どちらも佐渡島内の出来事をテーマにした携帯動画投稿サイトだ。勿論両者共パソコンからでも閲覧は可能だ。U-stream(http://www.ustream.tv/channel/soinon)の方が先行したが、残念ながら閲覧数を見ると、圧倒的にワンダー動画(http://sado-doga.jp/)の方が上回っており、U-streamの苦戦が続いている。サイトの更新頻度は、U-streamが7月25日の鉱山祭りの画像配信を最後に新たな画像のアップはまだ無いが、ワンダー動画はほぼ毎日のように誰かが新しい動画を投稿している。ワンダー動画は8月1日から9月10日まで、投稿動画コンテストを開催しているのでそのせいもあるのかもしれまい。U-streamの動画は画質の改善がまだ不充分のようで、それに配信時間が長くやや冗漫である。プロのナレーションが入っているわけでもないので、少し面白みに欠けるような気がするし、ツイッターとの連動を売り物にしているが、フォローワーにさほどの広がりを見せていないような気もする。

一方、ワンダー動画は、わずか15秒の動画か静止画のスライドショウで構成されている。だが、あっと言う間に終わってしまうので何を言いたいのか主張がぼける結果となるような動画も散見されるようだ。まだ始まったばかりなので、投稿者名を見る限り現在のところ、「こさど」「佐渡なう」「エスライフ」の3人が手分けして動画を投稿しまくっているというのが現状のようである。勿論一般観光客や佐渡市民からの作品も混じってはいるようだがその数は非常に少なくかつ質の低いものが多い。今後はプロではなく、素人の一般観光客や島民からの投稿が増えてくる可能性があるのでテロップの文言が未熟な動画が幾つか出現するのかもしれない。携帯動画の画質ゆえ、高画質の静止画スライドスタイルで、BGMやムービースタイルなどの様々なプレゼンスタイルを駆使できるデジブックの完成度には遠く及ばない。とはいえ、島内で見かけた面白い事象をリアルタイムで発信し、GPS機能を使って発信位置の表示ができ、誰もが気軽に投稿できるシステムの構築はお見事である。デジブックと違い携帯からでも閲覧可能なのでアクセス数はU-streamやデジブックと比較し桁違いに多いのが特徴だ。取り上げるテーマはU-streamでは、祭り、イベント、伝統芸能などの比較的お堅い物が多いが、ワンダー動画では「るるぶ」つまり、見る、食べる、遊ぶの3要素をバランスよく配置しており、興味をそそられる動画が多い。問題は事業が軌道に乗るまでは佐渡市がある程度援助するらしいが、補助金が途切れたら自前での営業継続を考えねばならない点ではないだろうか。その時が正念場であり、佐渡お笑い島計画の二の舞だけは避けて欲しいと思う。いや、インタークロスは動画投稿サイトの運営だけで生計を立てているわけではあるまい。お定まりのように、金の切れ目が縁の切れ目で補助金交付が途切れたら、さっさとこのサイトは閉鎖されてしまうのかもしれまい。今後は、飲食店主が従業員に命じてお店の様子やお料理などを動画で撮影させ、それを観光振興という名に便乗して投稿し、自店の宣伝活動に利用しようとする行為がこのサイトでまかりとおるだろう事は容易に想像がつく。閉鎖されないうちにせっせと投稿しておく事だ。ま、当ブログが3年もの長きに渡り展開してきた事を15秒程度の動画投稿サイトで後追い追試しようという事業である。当ブログとの大きな違いは、投稿者の大半が素人集団でその作品も玉石混合だと言う点だ。せいぜい、当ブログの目の付けどころ、面白い事象の描写方法、読者へのアピール法などについて当ブログの内容をお手本にすればよかろう。

更に問題だと思うのは、総務省の平成21年度「ユビキタスタウン推進交付金事業」の交付を受け、佐渡市が「携帯CGMを組込んだ観光ブログ構築事業」として民間に委託して進めた事業とは言え、佐渡ワンダー動画が始動し、投稿コンテストが開催される事を佐渡市のホームページが一切公告していない事だ(紙媒体の佐渡市報ではどうかは知らぬが)。トップ画像をご覧になればお分かりのように、閲覧ランキングのトップを走る動画の投稿者は、「そいのん」のU-stream開発に携わった人物と同一人物らしい。このまま、この「小川のひまわり畑」の動画がコンテストのグランプリを獲得したとしたら(ランキング1位が必ずしもグランプリを獲得するとは限らないが)、一般の佐渡島民から、「委託された事業者であるインタークロスが投稿を依頼したかもしれない人の投稿でその人がグランプリ獲得商品のi-Padをゲットするとしたら、それはおかしいんじゃないのか?言葉は悪いが自作自演の可能性だって指摘されるかもしれない。佐渡ワンダー動画は佐渡市の予算(補助金を含む)で運営されているはずだ。一般の佐渡市民や観光客にその事を周知徹底して彼らに投稿する機会を広く与え、最初から、動画投稿に興味を示す全島民及び観光客からの投稿を募る努力を佐渡市はすべきではなかったのか?」と言う批判が佐渡市宛にでかねまい。プロが「こういうふうに投稿するんだよ」と見本を示すのは最初の数本でよい。後は島民や一般観光客からの自主的な投稿を待つべきだ。静かに待っていても投稿数が少なければ、デジブックのような有料会員制にして本当にやる気のある人だけに投稿してもらう事も考えねばならないだろう。

最後に老婆心ながら筆者はあえて忠告しておきたい。「二兎を追うものは一兎をも得ず」である。どちらのサイトにも手を出して中途半端な事をやればどちらの成功もおぼつかないという事を。大体、そもそも、佐渡に似たような動画サイトが二つも必要か?と言われているくらいなのだから。

更に言わせて頂きたい!人間と言うものは、本業に専念すべきであり、本業そっちのけで副業にのめり込むようになったらもう終わりである。

登貴(佐渡市真野)   投稿者:佐ガット覆面調査員

2010年08月20日 05時32分22秒 | 佐渡グルメ美味しい食べ歩記
私は、5月初旬のとある日の夕刻にこのお店にお邪魔した。確か午後6時20分頃だったように記憶している。先客は皆無!カウンター席以外に、小上がりに4人がけのテーブル席が四つほどあった。私はこのテーブル席に座りメニュー表を見た。このお店では海鮮の炭火焼が有名らしいので、海老かアワビの炭火焼を頼みたかったのだが、残念ながらそれらはメニューには無かった。そこで思いあぐねたあげく、「本日の漬け丼」と言うのが目に留まった。600円という安さに少々不安を覚えたが、女将さんに本日の漬け丼の内容を聞いたらば、「鰤」と答えたのでそれを注文する事にした。寒鰤の時期はとうに過ぎていたので、所謂夏ぶり、いなだの類であろうと思われた。待つ事10分ほどで「鰤の漬け丼」が運ばれてきた。これに漬物と魚の荒汁が付いてきた。厚めに切った鰤の量が物凄く多い!鰤は即席漬けのようだった。食べてみたら、すっきりとした味わいにタレの旨みがほどよく絡み美味しい。ご飯も美味しかった。だが、佐渡汽船両津港ターミナル内のおけさ観光食堂(現在は海鮮横丁)の「鰤の漬け丼」の味には今一歩及ばないかなという感じだった。私の評価は価格の安さを考慮に入れて★とさせて頂きました。

やがて、帰省客らしき親子集団がやってきた。奥さんの「ウイスキーはありますか?」の問いに女将さんが「無い」と答えたら、奥さんはバッグの中から持参したウイスキーのボトルを取り出しながら、「多分そうだと思い、持ってきたんです」と言った。このお店では酒類の持ち込みは可のようだった。


矢柄の集落と禿の鷹の難所越え     投稿者:とある旅人

2010年08月19日 05時54分58秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

矢柄と関集落の間には禿の鷹トンネルというのがある。このトンネルが完成する以前は、山越えで関岬に到達するという難所越えが待ち構えていた。昔は外海府の最果ての地であり、旅人はここでしばし休息し、難所越えに向かう心の準備を整えたのであろう。

その矢柄集落であるが、鄙びた集落ながら、その中に一歩足を踏み入れると様々な不思議な顔を見せてくれた。初夏だというのに海からは強い風が吹きつけてくる。やがて、荒海を渡る亀の様子を描いた戸袋のあるおうちを見つけた。今一つは鶴の絵のようだ。何の変哲もない家々が続く中でこういうものに出会うと思わず、にやりとしたくなる。吠えようともしない黒い番犬がいたり、ひまわり柄のシートで窓を覆った家などがあり、どこかものうげである。集落の中ほどに、お地蔵様を祭った祠があり、その脇板が壊れかけていた。祠の隣の建物をガラス越しに覘いてみたら、何枚かの畳が跳ねあげられ、それらが積み重ねられていた。何かの集会場の跡のような感じだった。どの家もぴたりとガラス戸を閉じ、人が出てくる気配がない。そして集落のはずれに、この集落には似つかわしくなさそうな三角屋根のモダンな建物を発見した。何だろう?そう訝りながら、真向かいのおうちで洗濯物を干していたおばさんに、その建物の正体を尋ねたら、「ああ、それは昔幼稚園だったのですが、今は個人の所有になっています」と答えた。少子化で廃墟となった幼稚園である、恐らく二束三文で叩き売られたのであろう。破れた窓ガラスが修理されないままで放置されていたし、内部はがらくたを詰め込んだ倉庫のような趣であった。

矢柄の集落を抜けた後、私は、トンネルの開通で既に役目を終えた、関集落へと向かう峠道を登ってみた。一応階段が整備されていたので、少しずつゆっくりと登ってみた。登るほどに黒い岩山が迫ってくる。落石防護網が設置されてはいるものの、岩のかけらが落ちて来やしないかと気が気ではなかった。そして海から吹き上げる強烈な風に晒されると、この軽量な体は飛ばされそうになる。やっとの思いで岩の頂上付近に到達したが、そこから先は獣すら通った痕跡のない道が続いていた。これ以上は、登山服のような重装備でなくては行けそうもない。撤退するにしくはなし。前進を断念しUターンすることにした。昔は生活道路だったというこの峠越え、私にとっては命がけであった。


北川内の謎の石碑(祠?)      投稿者:とある旅人

2010年08月18日 06時25分40秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

外海府海岸沿いには石花集落の次に「後尾集落」があり、そして「北川内」の集落へと続いていく。この北川内の防波堤の上に奇妙な石碑と言おうか祠のような物が祀ってある。その石碑には何も書かれてはいないが、その背後に、まるで観音様の光輪を擬したかのごとく丸い、輪っか状の物体が突っ立っている。航海安全、大漁祈願を目的とした何らかの祠か神社もどきだろうか?地元の人が作成したに違いないが、誰がどのような目的でこれを作りそして祀っているのか?いつもこの海岸線を通りながら不思議に思っていた。集落の人に尋ねればその答えが得られるのだろうが、生憎、この海岸付近には人っ子一人いなかった。かように、佐渡では思わず首を捻りたくなるような摩訶不思議な石碑がそこかしこにある。どれもそれなりに大事な意味があるのだろうが、いつも、さりげなくそれでいて不可解な風情を漂わせながら路傍にひっそりと佇んでいるのが常だ。



石花海岸とその集落      投稿者:とある旅人

2010年08月17日 06時00分23秒 | 佐渡及び首都圏近辺の面白観光スポット

外海府に「石花(いしげ)」という集落がある。私がこの集落に目を付けたのは、集落が面する石花海岸は、人の手を入れる事はご法度とされている、国が定めた最重要保護地区に指定されていたからだ。私が見る限り、この美しい海岸線は集落の東端から更に入川寄りの海岸線のように思えたが、保護すべき海岸線の委細については佐渡市に尋ねて欲しい。

石花集落の中に入ってみると、集落の中を横切る道路などはなかった。海岸線から道路を隔てて幾つもの集落が建ち並び、その奥行きの長さはせいぜい家3~4軒分くらいである。その中にいくつもの棟を連ねた裕福そうなおうちがあった。見るとカーテンの陰から2歳くらいの女児と1歳くらいの男児が姿を現し窓の外を見ていた。小さい頃から海を見ながら暮らしているとそれはもう当たり前の光景になってしまうのだろう。集落の真ん中あたりで、きもの洋品「恵比寿や」というお店を見つけた。見るとビールなども売っている。商店と言えば、後は電器屋、眼鏡屋さん、床屋さんと「永野商会」というお店くらいのものだった。そしてお社があり、その名称には難しい漢字を当てていたが村の老婆に尋ねたところ、確か「すなもり神社」と答えたように記憶しているが、間違っているかもしれないので、その辺は読者の方で訂正しておいて頂ければ幸いである。更に、古い間垣を取り付けたおうちがあり、頭を下げて潜り抜ける構造の入り口を抜けて石段を登ってみたら、チューリップなどの綺麗な花が咲き誇る花畑がお庭一面に広がっていた。更に、「石花活性化センター」なる集会場があったが、このような集落を活性化してどうするおつもりなのだろう。古い集落はそのまま静かに保存されるべきであり、村おこしの道具にはすべきではないと私は思っているのだが。。。

この集落の西端は大佐渡自然歩道への入り口になっていた。新潟交通のバス停の時刻表を見たら、バスの本数は概ね一時間に一本で、2時間に一本などという時刻表もあった。

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