幕府に弓を引いた日蓮は、鎌倉で一時打ち首の危機に晒されたが、その神通力をもって何とかこの難を逃れたという。そして佐渡への配流が決まり、1271年10月22日に寺泊に到着し、その数日後に松ヶ崎の港へ上陸した。佐渡に上陸した日蓮聖人は、まず欅の大木に彫られた洞穴で一夜を過ごした。その後草庵に移り、3日間そこに滞在した。その跡が本行寺だと伝えられている。つまり日蓮関連の寺で日蓮自身が建立した寺などは一つもなく、全て日蓮の弟子達が法華経の教えを広めんとして後世に建立した寺ばかりだ。寺の始まりはほとんどが日蓮が過ごした粗末なあばらやである。この本行寺もそうした寺のうちの一つである。山門には外国人観光客が訪れるせいなのかどうか知らぬが、英文による標識が掲示されていた。
入って右側に鐘楼があるが鐘は取り払われ、別の建物内に安置されていた。何故このような事をするのか実に不思議だった。更に寺の本堂の三角屋根の中央部にある家紋のようなマークの意味もよく分からなかった。日蓮宗を意味するマークだろうか?越佐旅の絵本には、本堂の向かって左手に二股の松ノ木があると書いてあったが、既にそのような木は消滅しており、代わりに近代的な日蓮の石像が鎮座していた。宝物殿には弟子達に彫らせた日蓮の木彫りの坐像が安置されているそうだ。
松ヶ崎の有名な観光資源と言えば、この寺以外には「おけやき」、松ヶ崎神社、鴻ノ瀬鼻灯台を含む松ヶ崎ヒストリーパーク、集落内の屋号掲示、松ヶ崎祭りであろうか?