東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

天候不順の中、防鳥網はずし難渋

2008年08月30日 | 草刈り,整地

 このところの天候不順で全くと言っていいほど農作業ができません。雨と雨と合間に大豆畑の草取りをしようと思いました。しかし、雑草が防鳥網に草がからみついてなかなか刈ることができません。
 防鳥網をはずして草を刈ることにしましたが、背丈以上に雑草が伸びていて難渋しています。途中雨が降ってきたので作業を中断しました。早めに防鳥網をはずせばよかったと後悔しています。田んぼでは防鳥網をかけなければならず、畑では防鳥網をはずさなければならず困ったことです。

            背丈以上に伸びて防鳥網にからみついた雑草


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畦豆と田んぼの草刈り

2008年08月26日 | 野菜:豆類ほか
 このところの天候不良で、毎日のように雨が降っています。毎年今頃は秋冬野菜の植えつけなどの準備をしますが、今年は雨でまだできません。午後から仕事で午前中時間が空いたため、田んぼの畦に生い茂った草を刈りました。
 先日張った防鳥網に雨で水滴がたくさんついていました。このため、草を刈っていると頭や肩に水滴が落ちてびしょぬれになります。カッパを着ているため気にはなりませんが、草刈りしていると冷えるのか肌寒く感じます。

          水滴で重く垂れ下がる田んぼの防鳥網


 畦を中心に草刈りをしました。畦には畦豆として小豆を植えているため注意して刈らなければなりません。しかし、数株の小豆を雑草と共に誤って刈ってしまいました。
 小豆は雑草に囲まれて窮屈そうに育っていました。小豆のいくつかは雑草にもたれかかっていたためか、雑草を刈ると倒れこんでしまいました。でも天気が回復すれば数日で起き上がるでしょう。

           稲を見上げるように、畦の片隅で育っている小豆
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田んぼに防鳥用網をかける

2008年08月23日 | 稲:その他

 稲が出穂して開花を始めたのに合わせて田んぼを網で囲いました。この地域では稲を作る人が少ないため、おのずと田んぼの面積は狭くなります。するとその狭い田んぼをめがけてスズメなどの害鳥が集まってきます。広い田んぼでは害鳥の被害が目立ちませんが、狭い田んぼは致命的です。乳熟期のお米は吸われてしまい、硬く実ったお米も食べられてしまいます。網を張らないと収穫は全く望めません。
 去年耕運機を譲ってもらった農家は、その被害でついに米作りをあきらめてしまいました。田植え後の農作業は一般的には除草が辛いのですが、ここでは網張りが一番の辛い作業です。少しでも隙間があると、スズメに入られて稲を食害されていまいます。

               網を張っている途中の田んぼ


 今日は8月にしては異常に肌寒い一日でした。小雨の中を網をはりました。稲は降る雨と水滴で濡れていました。このため、下半身がびっしょりになりながら網を張っていきました。
 最初、束ねた網を解いて田んぼの畦に沿って一列におきました。そして、結んだ紐を解いて網を開放しました。続いて、事前に張っておいたロープに沿って網を乗せるようにしながらかけていきました。田んぼはぬかるんでおりなかなかの難作業でしたが、2時間ほどで網をかけ終わりました。作業の途中から雨が強くなってきたため、裾は後日止めようと思います。

           網を張り終わった田んぼ、裾は後日止める予

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稲の出穂

2008年08月22日 | 稲:その他

 田んぼでは、稲がいっせいに出穂して花が咲いています。籾の外には小さく白いオシベが垂れ下がるように出ています。一般の花のような美しさやあでやかさはありませんが、この花を見るとひとまず安心します。これから乳熟期を経て、籾の中に米粒ができます。

          花が咲いたお米の穂、オシベが籾殻から出ている


 花が咲いた後お米は乳熟期に入りますが、これからはスズメなどの害鳥に悩まされ続けます。スズメは、汁のような状態なったお米をあたかもジュースのようにすすります。一度吸われた籾はもうお米になりません。また、こぼれた汁で稲は白くなりカビなどで黒く汚れます。
 この被害を避けるためには、田んぼ全体に網を張るしかありません。暑いこの時期の防鳥網を張るのは大変な作業です。

             いっせいに出穂して花が咲いている稲


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ニンジンの間引き

2008年08月21日 | 野菜:根菜
 暑い日差しの中をニンジンの間引きをしました。暑い日差しを背にしながらの作業のため自然に汗がにじみ出てきます。育ちが遅いもの、葉の形が良くないもの、虫に食われたものなどを取り除くにようにして間引きしました。種まきの時に種がたくさん落ちたところはニンジンが群生しているで作業が大変です。
 細かな手先の作業の連続です。ニンジンとニンジンの間隔が4cmぐらいになるように間引きました。間引きしたあと、軽く土寄せしました。あともう一度間引きする必要があります。

           間隔が密にならないようにニンジンを間引く
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砂糖モロコシ,ヒエ,シコクビエ

2008年08月19日 | 麦,穀類,雑穀

 毎年わずかな雑穀を作っていますが、今年はモロコシ,ヒエ,そしてシコクビエを作っています。キビ,アワ,アマランサスなどは作りませんでした。専業農家ではないので、仕事の合間に雑穀まで作るのは大変です。
 雑穀の中でも面白いと思っているのが砂糖モロコシです。穂が出る頃になると茎がとても甘くなります。私が子供の頃、瀬戸内海に住んでいましたがサトウキビと称した甘いモロコシをわずかに作っていました。もっと昔はその茎をカットして子供のおやつにしていたそうです。

         茎がとても甘くなる砂糖モロコシ(葉や茎はトウモロコシに似る)


 20年ほど前に山梨県などを回っては、いろいろな雑穀の種を集めました。最近その地域を回りましたが、雑穀の姿さえ見ることができませんでした。雑穀を作っていた古老が亡くなるに合わせて消えてしまったようです。
 日本の古い雑穀文化が消えるのはとても残念なことです。今は種を保存する程度しか作っていませんが、いずれ農業を専業するようになれば多く作ってみようかと思っています。

       左はヒエ、右はシコクビエ(山梨県の古老にいただいた雑穀)


 シコクビエは地域によって呼び名が違います。静岡方面ではカモアシ、山梨でも峠を越えるだけで呼び名が違います。チョウセンベイ,エゾッペイです。名前が地域によって違うということは、とても古い作物の証拠だそうです。
 ちなみに、シコクビエの原産地はアフリカです。インドや東南アジアのシコクビエは穂が丸まっています。日本のシコクビエの特徴は、穂が開いていることと、穂がいく層にも分岐していることです。

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キャベツ苗の鉢上げ

2008年08月17日 | 野菜:葉菜
 7月29日に種まきしたキャベツがだいぶ成長して混みあってきたため、鉢上げをしました。今までは小さな共同鉢に入っていたのを、一苗ごとのポット鉢への植え替えです。9月上旬に本畑に植え替えるまでの間、このポット鉢で育苗します。ポット鉢へは注意しながら移植しました。

              混みあって狭くなってきたキャベツ苗


 植え替えは最初、へらのようなもので共同鉢から一つ一つ苗を取り出します。そして、あらかじめ土を入れておいたポット鉢に移植します。このとき、葉や根を傷めないように最新の注意をはらいます。
 今の農家では鉢上げしないで、自動移植機で移植するための専用セル型鉢に種を蒔いて苗を育てているようです。私は古いやり方かも知れませんが、ビニール製のポット鉢を使って一つ一つ育苗しています。

     注意深く苗を取り上げ      苗を傷めないようポット鉢へ移植
 

 キャベツ農家ではいちいち鉢上げしていては経営的にマイナスだと思います。大量に育苗した苗をまとめて購入するか、自動移植機で植えられるようにセル型鉢で育苗しているようです。

             葉や根を傷めないように、やさしく苗を持つ


 苗を一つ一つポット鉢に移植しましたが、今後はこの苗を植える畑を整地しなければなりません。8月末までに、耕運機で畑を耕し,堆肥を入れ,害虫が入らないように白寒冷紗を張るなどの作業をするつもりです。
 秋は春と比べて野菜の生育期間が短いため、キャベツや白菜類は一度育苗に失敗すると取り返しがききません。

            ポット鉢への鉢上げが完了したキャベツ苗
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小豆畑の草取り

2008年08月16日 | 野菜:豆類ほか

 かんかん照りの猛暑の中を小豆畑の草取りをしました。田舎に帰省するなど、しばらく小豆畑に来ていませんでした。小豆と同じ高さに雑草が生い茂っていました。今年最後に種を蒔いた小豆でしたのでまだそれほど成長していませんが、晩秋に収穫できるためには今ちゃんと世話をする必要があります。
 しかし、猛暑の中の草取りは過酷です。滝のように流れる汗を拭きながら作業しました。最初に平クワで引っかくように除草しました。次に、小豆の根元に生えている草を手で引き抜きました。

     炎天下、汗を拭きながら雑草を取り除いた小豆畑(左端は大豆)
 

 誤って引き抜いた小豆がありましたが、根をよく見るとちゃんとした豆類特有の根粒がついていました。最後に、豆類にはあまり必要ないと思いましたが、肥料を根元に蒔いておきました。さあ、晩秋にどれほど小豆が収穫できるでしょうか。

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稲の成長,古代米,ミニトマト

2008年08月13日 | 稲:その他
 山口県から帰って、一週間ぶりに田んぼへ行ってみました。この暑い夏、稲の成長は目覚しいものがあります。今年は苗の育ちが良くなかったため、一株一本植えで田植えをしたため、稲の一株の成長が心配でした。
 しかし、心配は杞憂でした。しっかり分げつして株内の茎が増えていました。見たところ8本/株でしょうか。茎も太く開花時に大きな穂を作ると思います。それほど肥料を蒔いていないため、収量はそれほど多くないと思います。しかし、一粒が大きい品質の良いお米が取れそうです。

           一本の苗が多く分げつし、立派に成長した稲


 田んぼの隅に植えた古代米(赤米)は成長がゆるやかです。隣に植えた普通稲(キヌヒカリ)に比べても背はそれほど変わりません。この古代米は晩生のためまだまだ成長します。開花も一ヶ月以上先の9月下旬と遅いため、これからまだまだ背が高くなります。赤い綺麗な開花が楽しみです。

          左は古代米(赤米)、右はうるち米のキヌヒカリ


 畑に行ってみるとミニトマトが色づいていました。特に黄色のミニトマトは粒は小さいのですが、とても甘いため何個でも食べられます。赤いミニトマトは甘さは劣りますが、粒がやや大きいため食べがいがあります。色づいていない粒がたんさんあるため、毎日のように楽しめそうです。

    とても甘い黄色のミニトマト        やや大きめの赤いミニトマト
 
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山口県から東京への帰宅

2008年08月11日 | ふるさと
 山口県から東京に帰りました。昨日の中学校同窓会は思っていた以上にいろいろな旧友に会って懐かしむことができました。そして、再開を約束したりするなどとても楽しかったため、その余韻を楽しみながら帰りました。2,3年後に山口県に戻って生活しようと思っていますので、旧友達との再開がとても楽しみです。

          東京に帰る時、いつも最初に電車に乗るJR田布施駅


 田布施から徳山駅に着くと新幹線乗り場にいきました。そして、「ひかり」で広島駅に行きました。そして、広島駅で降りて「のぞみ」に乗り換えました。
 今回の帰省では、東京から山口県まではトラックで帰りました。14時間もの運転で、それはそれは疲れました。一方、山口県から東京までは新幹線を使いました。ふだん新幹線を使っていて感じませんでしたが、新幹線の乗り心地の良さに満足しました。東京から車を運転して帰るのはしばらく止めるつもりです。

     広島駅で乗り換えた「のぞみ」      14号車の指定席に乗る     
 
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卒業後40年、中学校同窓会

2008年08月10日 | ふるさと

 中学校の同窓会がありました。卒業後40年にもなるため、お互いにあまり覚えていないだろうと思いながら参加しました。私は3年6組だったため、最初その組のテーブルに着いていろいろ話をしました。
 しかしながら、どこか見たことがある顔ばかりで話をするうちにだんだん記憶がよみがえってきました。一番覚えている同窓生は、一緒にいたずらをして校長室に呼ばれてしかられた友達,骨折した友達,家に遊びに行った友達などでした。40年ぶりに会ってお互いに握手しながら再開を共に喜びました。最初で最後になるであろう同窓会でした。

             40年ぶりの出会い、かつての旧友達との再開


 小学校の同級生達も何人か参加していました。せっかくの機会ですので、小学校同窓会について何人かと話をしました。小学校の同窓会を待ち遠しく思っている人もいました。2年後の夏に開催の方向でまとめようかと思っています。

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田布施,上関,光の散策

2008年08月09日 | ふるさと

 昨日トラクターを降車しトラックを返却して一息つきました。今日は故郷である田布施,上関,平生,そして光などを散策してみました。最初に小学生だった頃に毎日通った麻郷小学校に行ってみました。すると炎天下の運動場でなにやら建設していました。近くに行ってよくみると盆踊りのヤグラを作っていました。今夜は盆踊りでその準備をしている方々が働いていました。ざっと見て知っている人がいないようなので、上関に向いました。

            炎天下、麻郷小学校校庭は盆踊り準備中、ご苦労様


 上関に向かう途中、周防大橋を通りました。子供の頃、この付近には浅瀬の海岸が広がっていました。よく祖母と貝を採りに来ました。今は天然記念物になっているカブトガニがたくさん生息していました。また、小学生の頃に、埋め立て中の海岸に行っては、おやつ代わりにカキを岩からはがして食べていました。

           子供の頃、よく祖母と貝を採りに来た平生湾


 上関への道は昔はとても狭く、車が出会うとすれ違いに苦労しました。高校生の春休み、歩いて田布施から上関を往復したことがあります。その時、何度も「車に乗らないか」と声をかけられました。上関大橋のたもとで昼食をとってすぐに歩いて戻りましたが、帰宅した頃にはすっかり暗くなっていました。無茶とも言えるような徒歩行軍でした。

     上関の上盛山から田布施方面を見る(佐合島,麻里府,光が見える)


 上関に着くと、大好きな上盛山に登りました。ここからは、360度、田布施,佐賀,柳井,四国,平群島,四国,祝島,九州,光などを一望できます。大好きな山の一つです。

              上盛山から上関を眼下に見下ろして



          上盛山から長島や祝島方面を見て(九州も見える)


 上盛山を下山すると上関大橋のたもとで休憩しました。子供の頃、まだ橋はかかっておらず、この場所には灯台だけがありました。そして、この灯台の近くに座っては海峡を通る船を飽きずに眺めました。今でも、ここに立つと心が和みます。

                  上関大橋と、たもとに立つ灯台


 上関を過ぎると上盛山とは対岸になる皇座山に登りました。高校生の頃は歩いて登ったものでした。木々もそれほど高くなかったため、海岸線がよく見下ろせました。登る途中に熊毛南高校分校の宿舎がありましたが、今は草木に覆われで見る影もありません。当時は卒業生達がこの宿舎まで歩いて登って卒業祝賀会をしていたようです。その光景に出会ったことがあります。

        皇座山から見下ろした平群島、そして四国も遠望


 皇座山からは尾根伝いに平生に向かいました。途中、光輝病院の横を通りました。瀬戸内海の眺めがとてもよい病院です。柳井市などからの往復バスが行き来していました。

   尾根道の途中、光輝病院の横を通過、向こう側に上関と八島が見える


 光輝病院を過ぎてしばらくすると北側に視界が開けました。柳井市の伊保庄が眼下の広がりました。この伊保庄は私の母の生まれ故郷です。今その生家はなく、お墓だけがあります。

              眼下に広がる柳井市の伊保庄,大畠や大島も見える


 尾根道の最高地点が大星山です。この山からは,平生町の佐賀,田布施町の馬島,麻里府,麻郷の戎ヶ下などが眼下に広がります。馬島の向こうには光市の牛島も見えます。小学生の頃に同級生と、大星山に連なる箕山の途中まで登ったことがありますが、道が途切れ頂上をあきらめました。当時は、今のような尾根道はありませんでした。

    大星山から、佐賀,田布施町の馬島,麻里府などを見下ろして


 馬島へは子供の頃に、海水浴などでよく行きました。当時は今のような船ではなく、木造船でした。喫水が海水面と同じ位でしたので、馬島に向かうと途中に後ろに流れる海水を手ですくうことでできました。下船してエビの養殖場を過ぎたところにある海水浴場は小さな湾になっておりとても波が静かでした。海に潜ると水面下にフグがのろのろと泳いでいたのを覚えています。

          大星山から、佐賀と佐合島を見下ろす、牛島や祝島も見える


 大星山には数年前に巨大な風車が建設されました。発電用とのことです。この付近の尾根道を通っていると、何台分もの風車のプロペラが置いてありました。そして、工事車両やそれに関わる人もいました。この数年のうちに、10台位の風車が大星山の尾根沿いの連なるように建設されるのでしょう。

       大星山山頂、去年は一台だった風車が二台に増えていました


 尾根を柳井に下山すると、ひたすら光に向かいました。最初、子供のころによく遊びに行った光海水浴場に行きました。島田川を渡ってすぐの道を海岸に向かいました。海岸に着くとそこは炎天下、暑いのなんのって汗が噴き出しました。

    懐かしの光海水浴場            島田川の河口付近
 

 あまりに暑いので、水分補給後早々に退散しました。あとは島田川の上流沿いに散策しました。島田川は今でも昔ながらの風情のある川です。

       島田川河口の砂地         島田川河口付近から上流を見て
 

 この川は田布施川のように堤防工事が進んでいないため、昔ながらの風情が残されています。この付近には、平生に住んでいた祖母とよく行った温泉がありました。確か私の小学生時代の同級生の親戚がありました。

               昔ながらの風情が残る島田川の中流域


 JR島田駅近くの川に降りてみました。川には大小さまざまな石が転がっていて、水底を覗き込むとたくさんの巻貝がいました。魚もたくさんいるようです。

     川底に露出した大小の石         両岸は木々に覆われている
 

 しばらく島田川を上流に向かっていると、川遊びをしている子供達の声がしました。子供達を見守ったり一緒に遊んでいる親の姿もみかけました。私も子供の頃によく田布施川に遊びに行きました。そして先輩の背中につかまりながら泳いだこともありました。しかし、プールが普及したためか、今の田布施川では親子で水遊びする姿はあまり見られません。

         たくさんの子供達が水遊びしていた島田川中流域


              親子が歓声をあげながら水遊びしている光景も


 熊毛IC近くまで島田川を進むと、川を離れて岩城山に向かいました。山高が300mの山で、よく歩いて登った山のためいろんな思い出があります。子供ながら、山を取り囲むように並んで神護石に神秘的な思いを抱いたことを覚えています。

            岩城山から、平生,田布施方面を眼下に見下ろす


 岩城山を下山する時は宿井方面に降りました。昔に比べて、竹などが生い茂っていました。降りる途中、大波野方面の視界が開けていました。数年前は木々で覆われていましたが、最近道沿いに木が伐採されたようです。眼下の大波野の向こうに柳井が見えました。岩城山を下山すると麻郷の我が家に帰りました。

              眼下に広がる大波野の向こうに柳井が見える

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トラクター降車,レンタルトラック返却

2008年08月08日 | 農機具,工具

 昨日高速道路で東京から山口県にトラックを運転して帰省しましたが、今日中に借りたトラックを返却しなければなりません。昨日の運転で疲れた体と眠い目で、トラックに積んだトラクターを降ろしました。
 降ろすために荷台に鉄製の梯子を架けなければなりません。ただ、この梯子の一つはつなぎ目の箇所が傷んでいました。このため、その梯子の傷みをハンマーでたたくなどして仮修理して使いました。そして、梯子のつなぎ目の下にブロックを置いて支えるようにしました。

           トラックの荷台に鉄製の梯子を懸架


    左梯子の傷んだ接続部          右梯子の接続部は正常             
 

 鉄製の梯子を丁寧に荷台に架けて、支えるブロックを置きました。そして、梯子が滑らないように麻袋を敷きました。梯子を架けると、そろりそろりとトラクターを後退させました。万が一トラクターが転倒すると大怪我をします。そのため、注意深く梯子を降りました。梯子に後車輪を最初に乗せる時が一番緊張しました。

      ゆっくりとトラクターを後退させて、トラックより降車


 後ろの車輪が地面に着いた時は、一番ほっとしました。東京から遠距離を運んだ苦労が報われた一瞬でした。降ろしたトラックは牛舎の奥に収めました。

      無事にトラックから降車させたトラクターとトラック


 トラクターを降ろしてのんびりするわけにはいきません。レンタルしたトラックを今日中に返却しなければなりません。返却する場所は徳山です。レンタル会社の徳山支店です。
 レンタルしたトラックを運転して麻郷の鳥越から国道188号線に入り徳山に向かいました。徳山駅の少し北にあるレンタル会社支店に到着して、無事トラックを返却しました。そして、徳山駅まで車で送ってもらいました。その後、JRで田布施駅に着いいた後、歩いて家に向かいました。

      JR田布施駅               田布施中学校
 

 田布施駅に着くと、昔中学生だった頃に歩いた道を通りました。まず、最初に今回同窓会がある中学校を見ました。中学校は約10年前に新築されて、昔の面影は全くありませんでした。

           田布施川にかかる橋から下流側を見て流側を見て


 田布施川を渡ったあと、地域交流館に行きました。午後だったため賑やかさはありませんでした。売れ残ったスイカや瓜が並んでいました。炎天下を歩いたためあまりに暑いので、この地域交流館で250円の苺カキ氷を注文して食べました。

   立ち寄った田布施地域交流館       売れ残ったスイカや瓜
 

 カキ氷を食べ終わると、図書館に行きました。この付近は昔見渡す限りの田んぼでしたが、今は整地されて道ができて住宅やスーパーなどが立ち並んでいます。
 昔の図書館は町役場の後ろにあり、とてもささやかな図書館でした。テーブルも4個ぐらいだったでしょうか。中学生の頃によく利用しました。今の図書館は、蔵書数も多くたくさんの町民に利用されているようでした。

                田布施町図書館

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高速道路を通ってトラクター移送

2008年08月07日 | 農機具,工具

 朝5時に我が家を、トラクターを載せたトラックを運転して出発しました。東名高速道路の町田ICに向けて早く出発したつもりでしたが、町田で渋滞に巻き込まれてしまいました。予定より30分遅れて町田ICに到着、そのまま山口県に向けて東名高速道路をたった一人で運転をしました。
 8時頃少々疲れてきて腹がすいてきたため、日本平SAで休憩をすることにしました。天むす定食を食べてお土産を買いました。軽く腰の体操をして再び山口県に向けて出発しました。
 
                朝食をとり、お土産を買った日本平SA


    トラックをコーナーに停車             朝食の天むす定食
 

 日本平SAを出ましたが、一時間ほどで猛烈に眠くなりました。あまりに眠いので名古屋に着く前に再び付近のSAで休むことにしました。ところが、どういう訳か安城を過ぎた頃からすっかり眠気が無くなりました。体が運転に順応したのでしょうか、いわゆるランニングハイのように状態になり運転が楽しくなりました。
 新東名高速道路に入り、名古屋港の景色を楽しみながら運転を続行しました。そして、鈴鹿を通り過ぎてから土山SAで二回目の休憩をとりました。このSAで休憩したのは、水分補給のため,大阪付近の運転に集中するため,そして軽油を補給するための休憩でした。12時半頃にこのSAを出発しました。

            二回目の休憩をした土山SA(山の中にある)


       停車させたトラック           暑くてクーラーかけっぱなし
 

 阪神方面の高速道路を走るのは生まれて初めてのことです。一応出発する前に道路地図を頭にたたき込んでいました。このため、矢印標識や案内板を見て瞬時に道を選択することができました。このころはまだ疲れがなかったため運転を楽しむことができました。

    運転中の外の風景                運転中のトンネル内
 

 神戸あたりまでは車が混んでいましたが、神戸JCTを過ぎると空いてきました。ここからは山陽自動車道です。まずは岡山に向かって走りました。しかし、この頃から疲れが出てきました。目がちかちかするし、腰や背中がむずむず痛くなってきました。このため、吉備SAで三回目の休憩をとることにしました。 このSAでは、簡単な食事をして水分を補給しました。

                 三回目の休憩をとった吉備SA


    コーナーに止めたトラック          この頃になると日が傾いてくる  
 

 岡山からはとても疲れた運転でした。広島までの距離の長いこと、そして広島から熊毛ICまでの時間が長いこと。特に岩国の付近からだんだん夕焼けになって、周りがだんだん暗くなってきました。熊毛ICに到着して高速道路から外に出たときにはすっかり夜になっていました。
 この付近は以前来たことがあるため、道路を思い出しながら家に向かって運転しました。岩城山のふもとを通過して、田布施に付いた時にはほっとしました。田布施まで来ると、知ったる道です。午後8時頃に麻郷の実家に到着しました。
 到着するとトラックは外にそのまま置いて、風呂に入ってすぐに寝ました。たった一人で東京から山口県まで運転するのは初めてのことでした。いやはや疲れました。

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トラクター移送用トラックをレンタル

2008年08月06日 | 農機具,工具
 明日、トラクターを移送します。この移送のためのトラックを今回レンタルしました。事前にレンタカー会社の2トン車ロングを予約していましたが、実際には3トン車でした。予想していたのより大きなトラックでした。トラクターを載せて試しに公道を運転してみましたが、トラックの大きさに慣れないため一度エンストを起こしてヒヤリとしました。
 しかし、荷台が大きいためトラクターを余裕で載せることができました。ただ、はみ出したパケット部はトラックの屋根に載せる形になりました。

         トラクターを載せた3トン車(パケット部は屋根に)
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